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【003】サンドウィッチの話

元オーナー・夫の傍らで見てきた六角堂。2024年4月に経営・運営を受け継いでから毎日が必死すぎて、11年続いてきたカフェの残したい&続けたいものを記す「100のおぼゑがき」が、全然書けなかった。本業であるデザインに、これまた本業として飲食が加わったことにより、癒しである文字と塗れる時間が激減。読書や文章を書く…の前に、クライアントワークと会社&自分の生命維持で必死だった2024年。ようやく長いお正月休みを手に入れたので、時間の許す限り、思いを整理しておきたい。

リニューアルオープンから早8ヶ月。

リニューアル直後の1Fディスプレイ

リニューアルオープンのために用意された時間は1/1〜16の2週間強。この間は休業し、オペレーションやメニューの見直し、店内のプチリニューアル、そして何より片付けと掃除をひたすらやった。4・5月は本業のデザインが閑散期になるので結果的にカフェ準備に専念しやすかったが、作業が全くゼロになるわけではなく年度の初めはなんだかんだと慌ただしく、飛ぶように日々が過ぎた。

ようやく見つかった店長候補人材や、飲食事業が増えることでより複雑化する経理人材など、待望の人員・スタッフが確保できた!と思った矢先に、振り出しに戻る事態が続出。これはかなり精神的にきた。しかし、せめてもの救いは古くからのデザインスタッフたちがしっかりと本業を回し支えてくれることと、夫の会社から移籍してきてくれたベテランのカフェスタッフたちがとても協力的だったこと。しかし、彼女たちにこれ以上の負担をかけたくないばかりに、店内や厨房の掃除は夜中一人で行うことが多かった。押しつぶされそうな不安とストレスで体が限界に達し、カフェに入ると息が苦しくなり内臓が腫れパニックに陥ってしまったこともあった。

リニューアル休業中にいろんなものを修理。塗装屋さんにカウンターと手すりの塗り直しを依頼

忙しい時ほど、ボロが出る

ストレスMAX、満身創痍で迎えたリニューアルオープンからゴールデンウィークまでは、もう記憶がないほど毎日いろいろあった。以前と変わらず通ってきてくださるお客様のありがたさ。驚くほど遠くからこのカフェを目指してきてくださる方の存在の尊さ。そして、そんなありがたい状況に応えきれていると言えぬ体制でのリスタートが、本当に後ろめたかった。行き届かぬオペレーションと教育&リソース不足なスタッフ配置に、繁忙時ほどボロが出て厳しい口コミを書かれ、デザインとカフェの合間の束の間の休養もままならぬ事態が相次いだ。

スタッフ全員、一人ひとりのお客様を大切に思って対応したいという気持ちはあるものの、その表現方法が豊富とは言い難かった。この店で素敵なカフェ体験をしていただくため「今の自分ができるベストな方法は何か」と常に問う姿勢が徹底しきれていなかった。その状態でリニューアル後すぐに年間でもっとも来客数の多いゴールデンウィークを迎えてしまい、厳しいお言葉を少なからずいただくことになった。

六角堂の4種類のパニーニのひとつ「プロヴァンス」

サンドウィッチごときに、なんでそんなに時間かかるの?

厳しい口コミの中でも、「サンドウィッチごときになぜそんなに時間がかかるのか」とイライラを募らせた結果、ソワソワイライラと時間を過ごしてしまったことで、カフェにいる時間を台無しにしてしまったという趣旨のコメントがあった。

私がこのカフェのハードユーザーだった時から気になっていたのは、「出て来るのが遅い」「なんか忙しそうで頼みづらい」という空気だった。ゆっくり待つと言ったって、そのへんの本は読み尽くしているし、よく来ていると店内探訪するのもなんだかだし。そして、このカフェは「コーヒーとサンドウィッチの専門店」と言っているのだから、サンドウィッチはちゃんと出してくれよと思う。「なんでサンドウィッチごときにそんなに時間がかかるのだろう?もっと早く出てこないかな…」といつも思っていた。

しかし、実際、夕方ワンオペで(たいてい夕方以降は私がお店を回している)違う種類のサンドウィッチを同時に作らなきゃいけなくなった時に身を持ってわかったことは、【時間短縮はできない】という事実だった。野菜などを挟む時間は一瞬だが、オーブンやグリラーに入れられて【さわれない時間が大半】だったのだ。さらに、何段階かで温め&焼き→挟みを繰り返すので、どんなにシンプルそうなサンドウィッチでも最短15分はかかる。

すでにどこかの段階までやっておいてあればそこまで時間はかからないだろうが、オーダーを聞いてからパンを焼き上げ、フレッシュな材料を一から挟んでいるから、。ここは短縮が難しいところだ。あとは、同時にオーダーが立て込めばもっと時間がかかる。細かなオペレーション改善により短縮できた作業・動線もあるが、リニューアルの際により美味しいパンの焼き方を検討した結果、オーブンにはさらに長く入れることになってしまった…。つまり、お待たせしない状況を作る努力をするより、「イライラせずにお待ちいただける工夫をする」ほうが有効であろうと思った。そこで、こんなカードを作った。

各テーブルメニューに挟んでいるサンドウィッチカード


カードを裏返すと、時間がかかる理由が書いてある。今は焼き方改善により、パンによって6分ほどオーブンで焼くこともあるため、さらに時間がかかるサンドもある。

cafe uchikawa六角堂のサンドウィッチ
〜オーダーを受けてから作るので、ちょっとお時間いただきます〜

当店のサンドウィッチは、お客様にオーダーをいただいてから作ります。作り置きは一切しておりませんので、ご提供までに少しお時間をいただきます(最短で約15分が目安です)。

パンや具材は一度には挟まず、温めたり焼いたりという工程を数回重ね、複数の層を段階的に挟み込んでおります。パリッとした食感や香ばしさ、ジューシーな味わい、広がる香りや旨味…。よい素材を絶妙なタイミングと温度で挟んでご提供いたします。スタッフ一同、できるだけお待たせせずにお出しするよう、日々改善を心がけておりますが、混み合っているときはお待たせしてしまうこともございます。特にお急ぎの方はあらかじめスタッフにお知らせくださいませ。

サンドウィッチカード

おいしいサンドウィッチを召し上がっていただきたい。見た目はアメリカン&ジャンキーな感じのサンドでも、なかなか高価な厳選食材を使っているからこそ、素材の味を噛み締めて楽しんでいただきたい。
「遅い」ことを理解し、それを逆に楽しんでいただけるような工夫が大事なのだと気づきを得てからは、本&カフェ好きな人々の選書コーナーを作ったり、ちょこっとめくって楽しめる本を季節ごとに平置きディスプレイしたりするようになった。

オペレーション改善と検討を繰り返す日々

お客様からお叱りを受ける度、「同じ轍はぜってー踏まねぇ(私の心の声)」と思って、めちゃめちゃ小さなことであっても何かしらベターになるような改善を繰り返している。…あぁこれって、私と夫がまちづくりコンサル業界で触れてきた「終わりなき改善のプロセス」の実践ではないかと気づく。良かれと思ってやった行動は必ず、良きことと悪きことを連れてくる。改善のためには何かを犠牲にし、良い結果の先には新たな&難易度の上がった課題がやってくる。その連続なのだ。それをやり続けられる実際の場としてのカフェなのだと気づいてからは、掃除や片付け、一つひとつのルーティンの全てが愛しい作業だ。


…あまりに書かない時間が長かったので、リニューアル直後のことをつらつらと書いてしまった(癒された…)が、これでちょと気が済んだ。
改めて、おぼゑがき的視点でサンドウィッチのことを話してみたい。

いろんなサンドウィッチ。近くの東橋で並べて撮ってもらいました

そもそも、なんでサンドウィッチ?

現在のカフェにはサンドウィッチメニューが11種類用意されている。仕込みの関係でその日作れないこともあるが、基本的にこの11種類はいつでも提供できるようにしている。さらに、季節限定・イベント限定のサンドウィッチや、閉店間際に販売するようになった「magiwa sand」などの気まぐれメニューもある。挟むパンも5種類あり、具材やお好みに合わせて変えている。
本格的なパニーニグリラーでホットサンドとして提供するメニューもある。このパニーニを、私たちはカフェ計画当初から切望していたのだ。

出張のオアシス的サンドウィッチ

東京時代、地方出張の多かった私たち。担当地域はバラバラだったので、一緒に出張することはほとんどなかったが、それぞれよく使う駅や空港の売店・飲食店は常にチェックしていた。あの地域への出張前にはここのお弁当がいい!とか、到着まで我慢してその先のデパ地下であれを買おう!とか。そのまちの玄関口で、美味しいコーヒーのあるカフェで一息つけたなら至福。まちの雰囲気も感じながら、自分の一服を確保できるから。

ボーヴォワールが、「どうして私は《すべては空しい》とくりかえしていたのだろう? 実は、私の苦しんでいた不幸は、子供の楽園から追われはしたがまだおとなたちの間に居場所が見つからないためであった」と述べているように、嫌悪する慣習にひたっている人たちの一員には決してなりたくないと思う一方で、確固たる自分の居場所がまだ見出せているわけでもない人たちにとって、カフェという場は格好の居場所になるのである。なぜなら、カフェには属すべき居場所を失った者たちにとって魅力的な映る様々な自由があったからである。

カフェから時代は創られる 第4章 カフェという避難所(飯田美樹)

初めての場所やこれから大事な用事がある時は、おしゃれな「カフェごはん」的なものをゆったり食べる気にはなかなかなれないものだ。もっとライトにかぶりつけるサンドウィッチが最適だと思う。シンプルな材料が多いから、土地勘なくて初めてでも大外れしないし、次の予定までの時間が少なくてイートインできなくてもテイクアウトしやすいし。

本書でも語られている通り、何かがうまくいかず、傷つき、絶望した者にとって、カフェはシェルターであり病院であり、オアシスであることがある。カフェにおいて羽を休め、傷を癒し、渇きに潤いを取り戻す。そうした営為はあまり表沙汰になることもなく注目もされにくいが、カフェを経営する者の実感としては、こここそカフェの真骨頂という気もしている。なぜなら、元気で創造意欲にあふれる人々が行ける世の場所は多様にあるからだ。反面、傷つき絶望した者を、傷ついたまま、絶望したままに受け入れてくれる場所は、あるようで意外にない。そして、そうした絶望と希望、破壊と創造、喪失と獲得とは地続きのものでもある。それらは陰と陽のように入り交じりながら、混然一体と存在する。その両者に対して、カフェという場は大きな役割を果たし得るのだ。

カフェから時代は創られる(飯田美樹)あとがき:影山知明(クルミドコーヒー)
あの頃を思って作ったパニーニ(magiwa sand)

中でも羽田空港にあるイタリアンカフェのパニーニがめちゃくちゃ好きだった。ハムとチーズの入ったシンプルなパニーニ。カリカリの表皮の中から、ほんのりナッツを感じさせる香ばしさと噛めば噛むほど溢れるチーズの旨み。今はなくなってしまったが、あのコーヒーとパニーニのあるカフェで、束の間の至福を何度も味わった。あのときのパニーニは未だメニュー化されずだが。

「カフェといったら、あのパニーニみたいな美味しいホットサンドを出したいね」と最初から話していた。パニーニ好きなのです。ええ。
現在のカフェメニューの11種のサンドウィッチのうち、パニーニは4種類。

六角堂の4種類のパニーニのひとつ「キャロットラペ&エッグサンド」

お店のサンドは結構ジューシーでボリューミーな仕上がりのものが多いが、私の好みはもっとカリッカリ、ぺしゃんこにパニーニしたやつだ。お店で提供しているパニーニの半分くらいにぎゅっとつぶしたい。チーズも香ばしさももっと強くして…。メニューにはないため、magiwa sandとしてぎゅうぎゅうに焼いては食べ、「そう、これこれ!」と夫とともにあのカフェの味を思い出している。

夫のカフェの原点

さらに、夫のカフェ原体験といえば、八王子の「パペルブルグ」だ。このお店のホットサンドもうっすらと意識はしていたようだ。こちらは普通の食パンの中に具材を入れる一般的なホットサンド。いろんな具材を入れてまかないで食べていたらしい。
2011年、カフェを作ると決めた夫とともに尋ねたパペルブルグは、圧倒的な存在感だった。サンドウィッチだけでなく、目にするもの、手に取れるもの、感じられる空気、いろんなものが全て吟味され時を経ている。人だけじゃなくひとつひとつのもの、メニュー、空間全体から、たくさんのメッセージを受け取った。

「旅の人」だったからこそ

富山では、県外出身者や移住してきた人を「旅の人」と言う。週の半分は地方出張していた20〜30代前半の私は、半分旅人だった。そんな私にとって、いろんな地域の最初の居場所が、駅や空港内もしくはその近くのカフェだった。

移動は気持ちを切り替えるために必要な儀式みたいなもの。まだ見ぬ出会いやミッションに向け、改めて気合を入れたり、自分を労ったりする時間も大切にしたい。そりゃもちろん、夜には地酒と美味しい郷土料理をいただくのが出張の大きな楽しみの一つだったが、そればかりじゃ自分のペースが崩される。その地域と自分との間合いをはかる中間地点であり、ちょっと大袈裟だけど、自分の尊厳を保つ場所が、私にとってはカフェだった。当時は愛煙家でもあったので、どうしても一服する場所も欲しかったしね。

コーヒー一杯、サンドウィッチひとつで、好きなだけいられるカフェは、地元の人も遠くから来た人も、いろんな人が同じ空間で思い思いに過ごせる場所だ。そんな境界にあるからこそ、フラットで気軽な軽食が相応しい。ふらりと入ったお店のサンドウィッチとコーヒーがめちゃめちゃ美味しいと、その地域への愛着もひとしお。お気に入りの居場所を見つけた嬉しさとともに、何か文化的な深みも感じてしまう。

内川周辺には、老舗の喫茶店・カフェがいくつかあって、それぞれに個性あふれる雰囲気や名物メニューがある。長年この地でがんばってこられた諸先輩に敬意を表しつつ、「移住者が始めた古民家カフェ」とか「おしゃれレトロカフェ」みたいなワードで語られがちな六角堂だけど、「サンドウィッチの美味しいお店」として認知していただけるよう、日々精進していきたい。

どちらにも、どこにも安住できる居場所がないのなら、彼らは自分たちの居場所と思想を自分たちで創り出すしかないのである。もうおわかりかと思うが、このような状態にあったのは異国に移り住んだ異邦人だけでなく、祖国で暮らしながらも既存の価値観に属せなかったブルトンやボーヴォワールのような者たちも同様である。彼らの身体は「いま、ここ」の現実世界にいるものの、彼らは常に「ここではないどこか」を思考するため、精神が不安定になる。自分の居るべき場所を自ら失った彼らにとって、カフェが格好の居場所であったことは先述した通りである。
(中略)
このような比較可能な視点を持つことで、彼らは自分たちが属してきた価値観も今ここにいる社会の価値観も人間によってつくられたものであり、絶対不変のものではないことを知る。それが誰かによってつくられた価値観であるのなら、自分がそれをつくること、自分たちが道を切り開くことに可能なのではないだろうか? 絶対不変でないのなら、先人たちが何かを大いに変えたように、自分たちにも変更可能なのではなかろうか? 複数の視点を持った者同士がお互いに価値観をつき合わせ、現在の問題について議論をしていくことで、自分一人の視点を超えて、多くの人にとって何が問題かを見出していくことが可能となる。

カフェから時代は創られる 第6章 カフェと人との相互作用(飯田美樹)


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