観ている自分
ヨガ哲学の中で、私が何度と触れてきて、何度もみんなに話しながら、何度も自分がその考え方に助けられてきている教えがあります。
ヨガスートラの中で「観ている自分」と「観られている自分」の意識を持つ大切さが説かれています。
どんな時でも自分を客観的に見ることが、自分の思考パターンに気づき、改善するために必要な視点であることを示しています。
ヨガでは、ほとんどの人が無知である、と言われています。
無知とは、様々な知識を持っていないことではなく、本当の自分を理解していないことを言います。
本当の自分を理解していく方法が「観ている自分」と「観られている自分」を意識していくことから始まります。
ヨガスートラでは
人間が無知の状態に陥ると、「観ている自分:と「観られている自分」を区別できず、渾然一体となってしまう。
と書いてあります。
けれど、私たちは普段の生活の中で「観ている自分」「観られている自分」を区別して意識することがほとんどないと思います。
意識することはないですが、感じたことは皆さんあるはず。
誰かと喧嘩したときに、私言い過ぎてるなぁと感じたり、
好きな人と大喧嘩して、泣いているときに、そろそろ泣き止ませてくれませんか??と考えたり。笑
感情的な自分がいるのに、それを観察している自分がいることを感じたことがありますよね。
感情的な自分、いろんな出来事にその都度反応して、いろんな感情にのまれてしまう自分が「観られている自分」
そんな自分を観察しているのが「観ている自分」です。
心理学では、自分の感情を客観的に認識することをメタ認知と言います。
ヨガスートラに出ていることが、現代心理学で出てきているってすごいですよね。
そして、現代心理学では、メタ認知を実践することで、様々な良い効果が得られるとしています。
心が安定したり、自分に自信が持てて、イライラを減らしたり、未来に希望を持てたり、やる気になれたり。
そんなヨガ哲学や心理学を知らなくても、一流の人はそれを実践しています。
野球のイチロー選手は、
「自分のナナメ上にはもう一人の自分がいて、その目で自分がしっかりと地に足がついているかどうか、ちゃんと見ていなければならない」
という言葉を残しています。
タモリさんも。笑
「余裕というのは、オーバーに言うと、幽体離脱したみたいに自分をちょっとズレた視点から見られるということだね。
それはどんどんできてくると思うよ。」
これって、かなり、自分を客観視してますよね。
そんな哲学に触れてから、私も、出来るだけ、いつも自分を客観視する「観ている自分」でいることを意識しています。
私にはもうすぐ8歳になる娘がいて、妊娠・子育ての中で、この方法はものすごく有効でした。
この時期というのは、自分の思い通りにならないことがたくさん起こる時期です。
自分1人じゃなくなるから当たり前ですよね、自分以外をコントロールすることはできません。
だから、この時は、思い通りにならないことを乗り越える方法を身につける期間だった!と思います。
子育てをしながら親が育てられるというのは本当のこと。
うまくいかないことに対して、いろんな感情が生まれます。
感情の波に呑まれている「観られている自分」が、子どもに当たりそうになる前に「観ている自分」が、それは本当に私の感情、私がしたいことなの??と問いかけてくれます。
そこで、ハッと、観られている自分を、観ている自分と分断することができる、どんどんできるようになります。笑
その結果、子どもに当たらないですんでホッとする。
ホッとするのは快の感情だから、それが脳に新しい癖をつけてくれて、そういう時のコントロールが、今の自分の癖になっているように思います。
脳ってそういう仕組みです。
日常のなかの、本当に沢山の面でこのヨガ哲学の教えに支えられてきました。
もしも、感情にのまれている自分が本当の自分だと思っていたら、その感情にのまれるたびに、私は自分の無力感に打ちのめされ、自信を失って、プライドが傷つけられていたと思います。
「観ている自分」
実はいつもいろんな状況に全く左右されず、傷つきもせず、揺れ動くこともない自分がいます。
その存在に気づくことが、人生を生きる上で、皆さんの役にも立つのではないかなと思って、今日はこの話をシェアさせていただきました。
ヨガのマットでの練習というのは、自分を客観的に見るためにとても有用です。
ポーズを通して、苦しいこともありますよね、できないこともある、でもそれにのまれず、客観視することで、そんなこともあるある、これから出来るようになるから大丈夫って思えたり、自分のちょうどいい場所を探してみようと思えたり、、、。
それは最高にマインドフルなヨガです。
一緒に実践しましょう〜❤️