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第27回 第二章 (『ノラら』堀戸から見た世界 ) ~彼の思い込みに口を挟まなかったことは、嘘を吐いたのと同じ行為にあたるのだろうか~

『ノラら』
第二章:堀戸から見た世界
第二十七回



帰宅した部屋の暗さに時間の経過を感じた。
逃げ場を失くした日中の熱気が
部屋の底で屯(たむろ)していた。
僕はそれを一瞥したあと、
風呂場に入ってシャワーを浴びた。
べたついた空気が、
立ち込める湯気に紛れていく。
纏わりついた汗が削ぎ落されていく。
風呂上がりのさっぱりした気持ちは
部屋にまで伝染していった。
ベランダの窓を開けると、
僅かに夜風が入り込んできた。
生温いはずの温風に
清冽(せいれつ)さすら感じた。

眼下に見えるトキさんの家の縁側が、
奥の部屋から漏れる灯りで
淡く照らし出されている。
トキさんはまだ起きているらしかった。

僕は薄くカーテンを引くと、
窓から離れてパソコンを立ち上げた。

リュックからヘッドホンを取り出し
パソコンにつなぐ。
ネット上では既にピールのライブ音源が
いくつかアップされていた。
取り敢えず目に留まった動画を開いてみる。
全体を通して相当解像度が悪かったが
音は問題なく聴くことが出来た。
ご丁寧に歌詞まで埋め込んである。
見つけた動画は当たりだったようで
曲の頭出しが出来る目次リストまで
付属していた。
僕はライブのラストに
披露された曲であるらしい
タイムスタンプを見つけると
脇目も振らずにクリックした。


始まった曲の映像は
定点カメラで撮影されたもののようで
終始動きが無かった。
ライブ会場の最後方よりもさらに遠くから
撮影されているのではないかと思えるほど
ステージは小さく映っている。
画角もやけに広い。
ピールらしき四人が
メインステージに並んでいる。
楽器は持っていないように見える。
開演後、
彼らがステージに登場したときのように、
四人ともヘッドセットを着用して
演奏しているのかもしれない。
このラストの曲は、
吉岡さんが一番こころにぐっと来たと
評していたので、
ロマ系の曲調なのだろうかと思っていたが、
聞いてみると何のことは無い、
最近のピール達に有りがちな
ブレインダンシング系の
エレクトロニカなイントロで始まった。
ただ、ナギィの歌声が
いつものそれとは若干違って聞こえた。

違和感を覚えながらも
曲に合わせて表示されていく歌詞を
目で追う。


「随分実にリマーカブリー
 到底やすやすレダリーアーリー
 なかなかなかなかなんのかんのと
 バイノーミーンズ ソーフェアリー
 トゥルーザモロー  最もソロー 
 きっとめちゃくちゃ
 ウルトラがさがさ・・・・」

ナギィの歌声と共に
副詞のような修飾語の羅列が
映像下部に表示されていく。
日本語と英語をランダムに並べた副詞が
お経のように淡々と歌い上げられていく。
吉岡さんが
「お経を読むみたい」だと
評していたことを思い出して、
思わず息を呑んだ。

ナギィの発する声は
歌詞こそなぞってはいるが、
音自体はウズリアウやホーミーといった
限られた民族内に伝承される
倍音唱法のそれと似ていた。
低音域で発せられる
唸り声のような音を土台に
鼻腔あたりで響くような
張りのある高次倍音が
重なって聞こえてくる。
ナギィひとりで歌っていると思われるが
映像が小さ過ぎるので
現時点では確証を得ることが出来ない。
音は加工や編集で
どうにでもなるのも事実だ。

歌詞はどうであれ
荘厳で幻想的な音に
一種のトランスに似た状態を
体験し始めていた。

「最後にやっと出て来た
 動詞を含んだフレーズにぐっと来た」
と感動していた吉岡さんの言葉を
時空の片隅で反芻する。


「せやなあ。俺が一番心にぐっと来たのは、
 やっぱりラストの曲やな」


あの時、デネブのお店で
ピールの話題になっても、
紗英さんはライブを
途中までしか見ていないことを
吉岡さんには言わなかった。
会話の流れ上紗英さんが
言いそびれただけだったとしても、
結局その流れに乗っ取って
僕も敢えて言うことはしなかった。
言わなかったという行為は
嘘を吐くことになるのだろうか。
敢えて言わなかったとなると、
言わないことを
意図的に選択したことになるから、
嘘を吐いたと言えるのかもしれない。
嘘を吐いた主犯者は紗英さんで、
彼女を幇助(ほうじょ)したのが僕なのか、
もしくはその逆か。
将又(はたまた)主犯は、
僕らが全てのライブを体験済みだと
思い込んでいた吉岡さんで、
それを幇助したのが
僕と紗英さんなのか―


パソコン画面の中央で
僅かに揺れる四人の影を
陶然(とうぜん)と見詰めながら、
いつの間にかくだらないことを
思惟(しゆい)していた。


宇宙空間を疾駆するような
覚醒した律動感、
心地良い浮遊感を内包した
緩やかなメロディ、
そこへナギィの歌声が重なって、
聴く者の意識を融解していく―


「最後にやっと動詞が来て、
 その動詞を含むフレーズにだけ
 音色が付いてて、
 三回ほど繰り返し歌い上げたあと、
 そのままその曲終わってもて―
 それが逆にぐっときたねん」

朦朧と時空を浮遊する
残り僅かになった僕の意識は、
まだしきりに吉岡さんのコメントを
反芻しつづけていた。
どんなフレーズで
どんなメロディで
どうやって終わるのだろう―

ほのかな期待に浮き立ちながらも
聴いていると、
突然見ていた映像が
画面上部に追いやられて、
ほぼ真っ暗になってしまった。
横長の矩形画面の上部数ミリ程度の幅の間に
しぶとく映像が流れてはいるが、
何が映っているのかさっぱりわからない。
戸惑いつつも
窓の隙間から覗き見するかのように
その映像をなんとか見ようとしていたら、
追い打ちをかけるかのように
正常に聞こえていた音にまで
異変が生じた。
聴力検査の時に聞かされるような
「ピ――」というモスキート音が
しばらく続いた後、
無音になってしまった。

音すら失くした世界の中で、
今度は突然爆音でもなりはしないかと
勘繰った僕は、
慌ててヘッドホンを取り外した。

僕の部屋は何事もなかったかのように
静まり返っていた。
オレンジ色を灯した丸い間接照明が
部屋の片隅からじっと僕を照らしていた。
パソコンの画面は
バグってしまった動画を
引き続き映し出していた。
その動画を閉じて電源を落としたあと、
エアコンのスイッチを入れた。
窓を閉めるときに
トキさんの家の縁側を見下ろした。
トキさんはもう寝入ったようで、
部屋の明かりは消えていた。
アパートの一階から漏れる部屋の灯りが、
眼下に広がる庭の片隅を
僅かに白くしていた。

ついさっきまで
ピールの最後の曲を執拗に
見入っていたという出来事が、
在りもしなかったことのように思えた。


夢から醒めた直後のような虚脱を感じた。
暫くの間、
虚空(こくう)の意識に身を委ねた後、
僕はいつものように布団を敷き、
いつものように眠りに就いた。

週明け早々吉岡さんのいる品管グループは
慌ただしさを極めていた。
僕が出社した時には
既に吉岡さんも紗英さんも
実験室で作業していた。
一体何時から出勤しているのだろう。

僕はいつも通り、
流しの前でロボさんと会話したあと、
淹れたての紅茶を片手に自席へと戻った。

「おはよう!」

声に反応して振向くと、
紗英さんが実験台越しに
満面の笑みで作業しているところだった。
壁際の棚に収められた段ボールの中から
何か探し物をしているらしかった。

「早速聴いたよ堀ドンのプレイリスト」

そう言いながらちらりと僕を見る。
ロダモに保存している
僕のプレイリストのことらしかった。

「ああ」と生返事をする僕を見て
紗英さんが笑っている。
プレイリストは
何個も作って保存しているので、
一体どれを聴いてくれたのだろうと思い
質問しかけたら、

「ダイアナモルフォ」

と彼女が唐突に声を発した。
僕はそれぞれプレイリストに
タイトルをつけている。
つけていると言っても、
プレイリストに入れいている
最初の曲の題名を拝借して
名付けているだけだ。
彼女はプレイリスト全体のことを
言っているのだろう。

「あんな曲初めて聴いた」

紗英さんは探し物の行方を追いながら
続けてそう言った。
プレイリスト全体ではなく
一曲目のダイアナモルフォのことを
言っているようだ。

「僕も最近知った曲なんだ」

僕の返答に彼女はちらっとこちらを見た後
「そうなんだ」と軽く相槌を打った。
その曲の小ネタでも話そうかと思ったが
探し物で忙しそうなのでやめておいた。

それより僕も
手伝ってあげたらいいじゃないか
ということに漸く気付き、
「何探してるの?」と訊ねようとした途端、
彼女の口から
「あった!」という一声が発せられた。

ガラクタにしか見えない道具類が
詰め込まれた段ボールの中から
威勢よく取り出したのは、
円盤付きの古びたトルクドライバーだった。
彼女はその辺に転がっていた試組品で
動作確認したあと、
僕に向って親指を立てて
グッドポーズをとってみせた。
トルクドライバーは
ちゃんと生きていたようだ。

彼女はそれを片手に握りしめると、
そのまま部屋を出て行こうとしたが、
急に僕の方を振り返って

「選曲のセンスの良さは予想通りだったよ」

と元気な声で言い放った。
彼女は僕の反応を待つこともなく、
急くようにして開発部から出て行った。

僕は手に持っていた紅茶を置くと、
さっきまで紗英さんがいた
実験台に移動した。
散らかった道具たちを
また元通り煩雑に
段ボールへ詰め込んでいく。
出て行った紗英さんは
廊下で吉岡さんと鉢合わせしたらしく、
廊下からはふたりの威勢の良い声が
開発部内まで漏れ聞こえていた。
今日の手直し作業の段どりについて
話しているようだった。
忙しそうではあったが、
二人とも普段より
溌溂としているように思えた。



【YouTubeで見る】第27回 (『ノラら』堀戸から見た世界)


【noteで読む】第1回 (『ノラら』堀戸から見た世界)

【noteで読む】第26回 (『ノラら』堀戸から見た世界)

【noteで読む】第28回 (『ノラら』堀戸から見た世界)


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