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第2回 (『ノラら』紗英から見た世界 ) ~一体自分は何処でなら難なく生きられるのだろう~

『ノラら』
第一章:紗英から見た世界
第二回


虚ろな気持ちになるために
こんな回想を繰り返すのか、
何を思い出しても
過去が変わるわけではないのに、
執拗にそうせずには
いられぬかのように、
日に何度も両親の死へと繋がっていた
あの日々を反芻しなおしている。


頭の中はいつも
ある考えを膨らませたかと思うと、
途端に飛んで、
別の思考や過去の映像に辿り着き、
突飛で陸な呟きしかしない。
「呟いている」というのは錯覚で、
ただ映像が流れている
だけの状態のことを
「思考して呟いている」と、
誤認しているのかもしれない。
それらを口からアウトプット
しようとすると、
思考の短絡化過程で舌が追い付かず
言葉に躓(つまず)き、
いや、躓く前に目前に憚(はばか)る
障害物に慄(おのの)いて
頭文字すら出てこない時もある。
表現し得る言葉を
持ち合わせていないことに焦り出し、
その焦りが更なる滞りを生み、
喋ると必ずどこかで噛むか
吃る始末である。
父もこんなだったから、
無口になってしまったのだろうか。
噛んだり吃ったり言葉が出てこず
呆然としてしまう癖は
父譲りなのだろう。

反芻の合間に、
時々立ち止まりなどしていたが、
いつの間にか布富橋を
渡り終えたところまで
来てしまっていた。
こんな昼下がりに、
際限なく降り刺さる
日差しを全身で抱えながら、
まるで自分だけが
世界に取り残された
人間のような顔付きをして、
のらりくらりと歩き回っている。
これ以上南に向かって歩く気力が
急に失せ、元来た道へ踵を返した。
アプリは少し前から遠くの方で、
落語家・千川万治ノ輔の
『赤道に北極があったころ』
を噺している。
気持ちを強引に陽のほうへ
シフトさせたくなくて、
ランダム再生に逆らい、
堪らなく聴きたくなったElijionの
『Impertinent Mutation』に
親指を滑らせた。

マンションについて
十階にある自分の部屋に戻ると、
割り方涼しかった。
引っ越してきて一週間になるが、
北向きにあるベランダ窓も
西側の小さな出窓も、
開け放ったままで
閉めたことが無い。
風の通りはすこぶる良いが、
油蝉が部屋の中に
飛び込んで来るのには
少々難儀する。
出窓に至っては、網戸など
備え付けられていないので、
開け放っていると
虫が入って来放題なのだ。
マンションの西側には
三階へ追いつくほどの
背丈のある木が一本植わっており、
蝉が百匹は止まっているのでは
ないかと思う程、
けたたましい声で鳴き叫んでいる。
そこへ飛んできた蝉が
ひょっこり迷い込んで
この部屋にも入って
きてしまうらしい。
この木は夜になると、
LEDの青いライトが点灯して、
日中の蝉の合唱が嘘みたいに、
そこだけクリスマスのような
テンションで輝き出す。


我慢できずに
マンションの下にある
自販機で買ったコーラは、
二口三口飲んで満足してしまい、
あとはどんどん温くなるばかりだ。
カーペット張りの床の上に
ポツンとそれを置き、
自分もその横に
ごろりと寝転がった。
マンションの東側を流れる
川の上空を、飛行機が飛んでいく。
空深く響くゴォーっという音を
なるべく意識して
近くに聞きながら天井を見詰める。
飛行機が雲に当たって
くぐりぬけていく
涼しげな様をイメージする。
伊吹市に漸く帰って行くのだなと
勝手に決めてしまう。
まだ蛍光灯も取り付けていない
殺風景な部屋の空を眺めていたら、
いつの間にか寝落ちしていた。

暑さで目を覚ますと、
陽はすっかり傾き、
自分はまるで薄暗がりの底に
沈んでしまったかのような
心持がした。
意識が目の前の世界に
焦点を合わせ始めると同時に、
外はまだそこまで夜に
なり切れていないことに気付く。
夕刻、七時半ばくらいだろうか。


窓の外から届く街灯の光と
蒼ざめた空に残る夕日の色気が、
寄り掛かるようにして
部屋の白い壁を
ほんのり色づけている。
また無駄に時間を
消費してしまった。
暑さと嫌悪感を
振り払うようにして
重い体をゆっくりと起こして
立ち上がり、小窓へと近寄った。
窓の向こう側、西の空遠くに、
赤く煌めく観覧車を
見止めた途端、心がすーっと
落ち着いてゆくのが分かった。
市街地のど真ん中に建てられた
その赤い観覧車は、
ここ十階の部屋からの景観を彩る
重要な建造物となっていた。
観覧車の小さな赤と、
それを取り囲むように乱立する
黄色く光り始めたビル街とは
対照的な、
深く晴れた夜空の透明感と
包み込むようなスケール感こそが、
私の心を慰めたのかもしれない。
もしくはその視覚的にも
相対している
美しさによって。……


カーペットの床に座り込み、
そばに転がっていたスマホを
解除して時間を確かめる。
「今日もなんもしてない」
地元からこちらに
発送したものといえば、
数年前から愛用している
デスクトップパソコンと
プリンタぐらいだ。
黒い立方体と
艶のあるディスプレイは
部屋の小窓の真下に
直置きにセッティングしてある。
その横で、当時フラッグシップ機
として発売されていた
高精細プリンタは、
使われることなく
黄色いバンダナを被って
休息している。


パソコンの前に片膝を立てて座る。
電源ボタンを押すと
ボタン周辺が青く光り出す。
ここ数日お世話になっている
派遣求人の総合サイトを見始める。
ここのサイトをオートフィルタに
かけ続けていると、
決まって自分の過去録から
派生したような
如何にも「私の意識」が
好みそうな求人しか集まってこない。
気分で選択の変わる本来の私は、
こいつには理解し難い存在
なのかもしれない。
だからいつもフィルタを解除して
マニュアルで探すことになる。


大方は単純な設定で
「勤務期間」「職種」「時給」
「休日」「企業の特色」「福利」
などを自分好みにアノテーションし、
検索させて出てきたものを
新着順に見ていく。
この時のコツは、
「守備範囲を狭めない」ことだ。
アノテーション作業の上達ぶりは、
言うまでもなく
仕事に在り付けない時間の長さに
比例している。
魔が差して、
いつも見ている景色よりも
真新しい情報が知りたくなったら
条件をちょっとだけ変えれば良い。
その繰り返しは、
まるでハムスターが
何の目的も持たずに
回し車の中を延々と
走り回っているのと似ている。


こういう状況下で
世間の人がよくするであろう
何とはなしの溜息を、
自分も意識的にしてみる。
もっと深刻に、
次は声も出して、
溜息のあとは、
憂いを持たせた遠い目をして
暫く動かないで居る等、
何度も溜息をつく練習をして
検索に飽きた自分を持て余す。


ここ数日で見た派遣の求人情報は
優に千件は越えているだろう。
こんな限られた条件ですら
実に多彩な職業の募集が
引っかかってくる。
データ処理や図面作成業務での
山ほどの募集を始め、
マスコミでの使いっ走りや
ライター、化粧品会社での
開発試験や原材料選定、
製薬会社でのコンシェルジュや
プレゼン作成、航空会社での
パイロットとCAのスケジュール管理や
予約システムの管理など、
現実には立ち会ったことのない
様々な業種と頼まれ仕事を、
黒枠画面の小窓から垣間見て
想像を巡らすことは
私にとってそれなりに
面白い時間でもあった。


一体自分は何処でなら
難なく生きられるのだろう、
本当に興味を持ち
責任まで背負ってやれることが、
この世の中に仕事として
存在するのだろうか、
この職場なら変わった人が
多そうだから私でも
周りと馴染めるかもしれない、
こっちの職場は女性が多そうだから
女性の前ではぎこちなくなってしまう
自分としては
休まるところがなさそうだ等々、
勝手に職場環境をイメージしては
恐れ慄いてみたり、
もうそこの職場で活躍してでも
いるかのように
張り切ってみたりするのだった。


「疲れたぁ」
そう低い声で呟くと、
その場で両腕を万歳にしたまま
寝転がった。
まだがらんとした殺風景な部屋に
自分の声が反響して心地良い。
裸電球の卓上型ランプが、
ついさっきから私の頭上で
部屋の隅を
だいだい色に照らしている。
いつまでもカーペットに
そのまま寝るわけにもいかない。
もうそろそろ蒲団ぐらいは買おうか。
体勢を横向きにして
躰を時計回りに九十度ほど回転させ、
裸電球を目の前に見詰めながら
思うともなく思う。

「ちるちるのものも、
 うっほぉうっほぉ、ほぉ!」

なんとなく思いついた言葉を
御託宣(ごたくせん)かのように
突拍子もなく発音してみる。
自分の声ではないような
違和感のある音の響きに、
密やかな快感を覚える。
そのまま温かいランプの灯りに
照らされながら、
延々と微睡みを彷徨うように
熱帯夜に身を溶かしていった。



【YouTubeで見る】第2回(『ノラら』紗英から見た世界)


【noteで読む】第1回(『ノラら』紗英から見た世界)

【noteで読む】第3回(『ノラら』紗英から見た世界)


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