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第10回 (『ノラら』紗英から見た世界 ) ~空の青さに焦がれていた~

『ノラら』
第一章:紗英から見た世界
第十回


——母の病気が発覚する数ヶ月前に、
私達親子は三階建てのアパートの
三〇一号室に引っ越していた。

私が三歳の頃から
家族で長年住んでいた
木造一戸建ての家は
老朽化が進んでいたため、
誰も住み着かなくなった
その辺り一帯の物件も含めて、
全て取り壊して
更地にされることになったのだった。
そこの地主兼大家である鈴木さんには、
出て行って欲しいと
控えめながら
だいぶ前から言われていた。

重い腰を上げた私たちは、
その古い家から
数十メートル離れたところにある
アパートへ引っ越したのだった。
家賃は五千円程上がったが、
みしみし言わない床、
全室砂壁ではなく真っ白な壁紙、
洋式トイレや窓の外のベランダ
というシステムなどに、
引っ越した当初は
感激しっぱなしであった。
入院していた父は
引っ越したことを聞くと、

「あの家もなくなってしまうんやなぁ」

と擦れた声で呟いていた。
父はとうとう
新しい住まいに足を踏み入れることなく
病院で亡くなり、
その一ヶ月後に母が死んだ。


楓とふたりになってからも、
私たちはそこで暮らしていた。
もしあの時まだ
老朽化した一戸建てに住んだままで、
大家に出ていけと言われていたら、
私は途方に暮れてしまっただろう。
両親が死んでからは
週休二日の派遣先で働いてはいたが、
収入は就職した友人たちよりも
だいぶ少なかった。
近所の歯科医院でパート社員として
受付で働いてくれていた楓と
二人だったから暮らせて行けた
と言っていい。
今も楓はそこで勤めながら
あのアパートに住んでいるが、
彼女一人ではなく楓の彼氏も一緒だ。
料理人として独り立ちする
という夢を持つその彼は、
居酒屋の調理場で
見習いをしているそうだ。
勤めてもう十年になるというのに
時給八百円のままだと
楓伝いに聞いた時、
私はさすがに戸惑った。
十年もどんな居酒屋で働けば
そのようなことになるのか。

「このアパートを出て彼と部屋を借りる」

と言い出した楓を惨めに思った。
楓の給料のほうが彼氏のそれよりは
多少なりとも多いのだから、
部屋を借りるために
楓のほうが奔走し
苦労することになるのではないか。
妹が選んだ彼氏だとは言え、
私には頼りなく思えてならなかった。

「私がアパートを出るから
 楓は彼とここに住めばいい」

私は彼女にそう言って
都心へ出て来たのだった。
というよりも、
あの田舎町のどこに居ても
倦怠を覚え、
その倦怠を紛わすものも
自分では見つけられずにいたがために、
手っ取り早く都心へ
逃れ出て行きたかっただけのことで、
むしろ彼女たちの同棲宣言を、
都合よく自分が出て行く理由として
利用しただけなのかもしれない。

頻繁に連絡を取り合わないので
楓が今どんな状況にいて、
楽しいのか悲しいのかも知り得ないが、
私自身誰彼にやいやい
首を突っ込まれるのが
苦手な立ちなので、
こんな風にひとりで妹のことを
思い遣っておくに留めている。
本当に何か起こった時には
向こうから連絡をよこすだろう
とも思っている。


そういえば、
あのアパートを借りるのにも
母は随分苦労したのだった。
不動産屋の表に面した歩道際で、
母が泣いていたのを想い出す。
母の実家を継いでいた弟に
保証人になってもらいたいと
電話をしたが、
やんわりと断られたのだった。
その電話がきっかけで、
親戚にすら頼れない境遇にいる
自身とその自身の収入の心許無さ、
妹の短大の学費のことや、
いつまで続くのかわからない
父の入院のこと、
そして、
二十を過ぎても定職につかない
私のことなどに次々思いを巡らせて、
いろんなことが、否、
結局金が無いばっかりに
すべてが思うように行かないことが、
情けなくなってしまったのだと思う。


その頃母はスーパーの野菜売り場で
パート勤務をしていた。
大学を辞めて
出戻ってきた私はと言えば、
定職を探す気も無く
近所の喫茶店でウエイトレスをしたり、
日雇いで工場に出向いたりして、
家族を養うという感覚は
微塵も無かった。
ただ自分や家のことを
可哀そうな境遇にあるのだと
決めつけて、
そこに安住し、
「ふつう」に暮らしている
世の中の大衆を、
閉ざした目で睨みながら
生きていたのだった。
自分の身の上に起こった悪い出来事は、
全て他人(ひと)のせいにして——


新しい住処に
親子三人で引っ越して来てから
三、四ヶ月後に母の癌が見つかり、
一時は沈鬱な慌ただしさに見舞われたが、
バイパス手術が無事成功して
抗がん剤治療にも
躰が付いていけるようになってきた頃、
血液検査の結果でも
良好な数値が得られたため、
母は自宅に戻って通院しながら
治療することを許されたのだった。

またこの先に
何が待ち受けているのか分からない中、
私と楓は母の退院の日に
一万円ずつ出し合って買った
白いトートバッグをプレゼントした。
勿論喜ぶだろうと
期待して手渡したのだが、
想像していたような
歓喜を帯びた反応は返ってこず、

「こんな高そうなバッグ、いいのに。
 お母さんなんかに似合うかなぁ、
 …ありがとう」

と落ち着いた声でそう言って、
バッグを手にしたまま
なんだか煮え切れない様子の表情で
俯(うつむ)くのだった。

その日の晩ご飯は、
楓と買ってきた
『癌と戦うための滋養レシピ本』
を見ながら、
蓮根とエビのすり身で作った
ハンバーグや
ニンニクで軽く炒めた茸を
ふんだんに入れたスープ、
それから前日に作っておいた
新生姜の甘酢漬けなんかを用意した。

「美味しいわ。よく作れたわね、
 明日はお母さんが作るから、
 そんなに頑張らなくってもいいのよ。
 それにしても蓮根て
 こんなもちもちしてるのね。
 美味しい」

そう言って母はやっと嬉しそうに
目尻に皺を作って
笑って見せたのだった。


通院しながらの治療を開始してから
何ヶ月くらい
経った時のことだっただろうか。
頑張って料理を作っていた母が、
なんだか自分の作るごはんの味が
変なのだと言って
味見を私に求めるようになった。

「抗がん剤の薬で
 味覚が変わることがあるって
 聞いたけど、そのせいなのかしら」

と言って、疲れた顔で笑っていた。
便はいつも下痢気味で
食べたものがそのまま
出てきてしまっているみたいだ
とも言っていた。
膵臓の辺りが常に痛いらしく、
寝るときは特に苦労している様子で、
体勢をしょっちゅう変えて
どうにか我慢して
眠気に襲われるのを
待ち続けているらしかった。


そんなある日、
父の入院する病院から
大事な話があるというふうな内容の
電話がかかってきた。
楓が学校に行った後、
母を家に残して
自転車に乗って病院へ向かった。
電車とバスで行くと一時間はかかるが
自転車だと四十分程で着く。

緩やかに
長ったらしく続く坂道を漕ぎながら、
きっと悪い知らせなのだろうと
ぼんやり思っていた。
悲しいだとか
居た堪れないなどという感情は
そこには無く、
その「大事な話」によって
父の依然変わり映えのしない現状の
何かがようやっと
動き出すかもしれないという予感から、
幽(かす)かな喜びすら
感じていたのだった。
その日は朝から
とてもよく晴れていたのを覚えている。
病院からほど近いところに
竜見良川という一級河川が流れていて、
その橋を越えると
漸く走りやすい平坦な道になるのだが、
その橋の上に差し掛かった時に、
病院の屋上に立っている
銀色のアンテナか何かが、
キーンと白く光ったのが
ふいに目についた。
その視界の変化を期に、
頭上を覆う空の青さに今更気付いて、
胸の内部が
気圧変動したかのような
焦がれた感情に
一頻り襲われたのを覚えている。

グリップの効く赤い手袋と
コーデュロイ生地で作られた
チャコール色のダウンジャケットを、
病院に着くなり
暑くて脱いだ記憶があるので、
もう冬の真っ只中だったのだろう。


この日、
「大事な話」をしてくれた
父の主治医である先生の顔を
今となっては
露程も思い出すことができない。
だが、白衣姿の男が
デスク横の回転椅子に座って、
壁に貼り付けられた
白く発光するX線写真を指差しながら
「手術が必要」だとか
「このままでは持って一年」だとかいう
言葉を発している場面は
断片的に覚えているのだった。
要するに、紹介状を書くから
循環器専門の病院で
診察を受けて来なさい
ということらしかった。

主治医からの話が終わり、
そのまま三階にある父の病室に向った。
エレベーターで三階に着いた途端、
独特の酸味のある生ぬるい臭気が
フロア全体から押し寄せてきて、
私の臭覚を侵し始めるのだった。
父のいる病室前に着き、
閉められていたドアを
スライドさせると、
窓際のベッドで
ぽかんと口を開けたまま
仰向けに寝かされている
父の姿が目に入った。
カーテンの開け放たれた
窓の向こうには、
すぐ近くの山裾に
ぼうぼうと生える木々と、
それらを露(あら)わに照らし出す
陽気な空の光が描き出されていた。
この病室には
父の他に二人の患者が寝ていた。
二人とも父よりも年のいった
老人のようで、
廊下側に寝かされている老人は、
たまに人間の声とは思えぬような
暗澹(あんたん)たる唸り声を発して、
見舞いに来た私を
驚かすのが常であった。
父は慣れたもので

「ほんまうるさいやろぉ、
 ほっとったらええでや。
 その人がいくら唸っても
 看護婦さんももう見向きもせんでな」

と宙に視線を漂わせながら
言うのが常だった。
三人川の字になって
狭い病室に個別のベッドへ寝かされて
一日をやり過ごす様子は、
まるで死を順番待ちしているかのようで
哀れに思えた。
父はその中でも一番若いにも関わらず、
骸骨のようになってしまった
その風体からして、
この三人の中から一番初めに
「死」に手招きされてしまうのだろうな
と思わずにはいられなかった。
父はベッドの上で、
もう既に死んでしまったかのような
間の抜けた顔で、
イヤホンを片耳に差し込み
ラジオを聞いているようだった。
一日中やることのない父は
いつもこうして
時間をやり過ごしているのだろう。
起きているのだか
寝ているのだかわからない
その表情を見詰めながら

「お父さん、紗英だよ」

と声を掛けた。

「お~、紗英ちゃんか。
 来てくれたんやな、ありがとうな」

そう言って父は
歯の無い口腔に沿うようにして
窄(すぼ)まってしまった口を
ぱくぱくさせて
声のする方に顔を向けた。

「下着持ってきたから、
 引き出し入れとくね」

「おお、ありがとう、
 いっつもすまんでな」

父は上半身を起こすのも
しんどいはずなのに、
私や楓が来ると
必ず体を起こそうとした。

「いいよ、寝てなよ。
 今日はいい天気だから、
 ちょっと窓開けるね。
 外は気持ちいいよ」

私は自分の部屋のような勝手で
窓を開け、大きく息を吸い、
吐き気をもよおしてしまいそうな
淀んだ空気を追い払おうとした。
窓のほうに顔を傾けた父が

「おお…晴れとるんかいなあ。
 なんも見えんけどなぁ、
 白っぽい感じだけはわかるでな」

と言う。
母が病気になってから
よくこんな風に着替えを持って
父に会いに来ていたのだが、
天気のいい日には必ず
このフレーズを口にした。

「いつもの飲む?
 こないだ安かったから
 スーパーでまとめ買いした」

私はリュックから
ブラックの缶コーヒーを取り出して
父の手に持たせた。
父は嬉しそうにして

「ほんまかいな。わざわざ
 持って来てくれよったんかいな」

と、手の中の缶コーヒーの蓋を
さぐりながらプシュッと開けた。
病院の屋上に
これと同じ缶コーヒーが売っていて、
父は長年そのコーヒーを飲んで
一服していたそうだ。
缶に口を当てると
一気に喉を動かせて飲みはじめた。

「看護婦さんに見つからんように
 せなねえ。怒られるでな」

と言って、舌を出してお道化てみせる。

「たまにしか飲まないんだし
 見つかっても許してくれるよ。
 今度はなんか昼ご飯作って来ようと
 思うんだけど何がいい」

私は父の喜びそうなことを
見つけてきては
こうやって言ってみるのだった。
父を目の前にすると、
不覚にも人並みに親孝行してあげたい
という思いに駆られ、
こうやって気の利いた娘を
演じてみるのだけれど、
躰の奥、臍(へそ)のあたりで
ぐるぐると蠢(うごめ)いている
悲しみやら憤りやらの
やり場のないドロドロが、
胸を突き破って
自分の思考回路にまで
邪魔をしてこようとして、
結局いつもそことの葛藤に
苦しむことになった。

怠惰で気まぐれな私の親孝行を、
ここの看護師たちや
部屋の住人たちには
見破られているような気がした。


【YouTubeで見る】第10回(『ノラら』紗英から見た世界)


【noteで読む】第1回(『ノラら』紗英から見た世界)

【noteで読む】第9回(『ノラら』紗英から見た世界)

【noteで読む】第11回(『ノラら』紗英から見た世界)


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