【創作】曲芸師と悪人

配給制がはじまれば、飢えをしのげる。なんてったってお国がコメも味噌も家族分くれるってんだから。小学校に一度も行ったことがないまま母親になったアタシにだってそれくらいは分かる。

「梅子、ずっと泣いてんな、泣いてちゃお腹空いちまうだろ?」

梅子はこの冬生まれた女の子。体を売ってお金にしようと思ってたら身篭るなんて思いもしなかった。当然仕事はクビになったし必要な食べ物も増えた。アタシが食べなきゃこの子は死んじまう。

「ほら梅子、かあちゃんのお乳欲しいんだろ?じゃあかあちゃん困らせちゃダメだべさ。ほら、きちにいのとこさおいで、ほれ」

自分のことを『きちにい』と言った子は梅子の兄に当たる。吉助さんというアタシの旦那がお国のために頑張ってる時に生まれた子。産声が、まるで吉助を応援するかのように力強かったから、吉也と名付けた。吉助さんに似て、優しく、よく笑う。その笑顔は誰かを笑顔にするための笑顔だ。吉助さんは、お国の偉い人から貧しい人まで笑顔にするために、8年前から海の向こうで頑張っている。いや、空かもしらんね。吉助さんは頭がよくおいでだから、空飛ぶ機械も簡単に出来るようになっている気がする。

「きっちゃん、ごめんね」
「いいんだかあちゃん、ゆっくり休んでお乳さ出してやってくれ。梅子はおいらが見てるから」

アタシがちゃんと食べ物を見つけて来れないから、お乳の出は悪くなっている。きっちゃんはそれを知っている。知っていて、梅子が飢えを忘れられるよう、どこで覚えてきたか分からない芸のようなものをやって見せている。逆立ちに、宙返りに、口笛や音頭も自身でとって、梅子の周りをぐるぐる回る。勿論笑顔だ。吉助さんと同じ、誰かを笑顔にするための笑顔。秘訣は火に15秒あてたコオロギと言っていた。アタシも真似しようとしたらきっちゃんは

「かあちゃんは女なんだから虫なんかくったらとおちゃん腰抜かすべ?米と味噌汁と芋さ食わんとダメ」

と言って1人でむしゃむしゃ食べていた。代わりにきっちゃんの分の芋をくれた。きっちゃんはコオロギをとるのも上手いらしく、いっつも外で食って帰ってくる。そしてたまに、「親方がくれたんだ」と言って芋をもらってくる。オヤカタがどこの誰か、お礼を言いに行くと言っても口を割らなかった。

「おっかしぃなぁ、梅、お前これ好きだろ?きちにいヘマしてないぞ?なんで笑ってくれんのさ」

いつもはきっちゃんの芸を見たら笑う梅子も、今日ばかりは泣き止まない。きっちゃんのコオロギが足りないのか、アタシのお乳が足りないのか、どちらかなのだろう。どっちにしたって食い物がなきゃ梅子は死んじまう。

早く配給制始まってくれないかしら。そしたらコメが食える。コメは偉大だ。白くて艶々していて、茶碗一杯分食べるだけで3日は飢えを凌げる。お乳だって出してくれる。きっちゃんだって、コメを食える。コオロギもコメも食べたら、きっちゃんはもっと凄い芸ができてしまうのではないだろうか。梅子だって、久しく見せてくれない笑顔を、見せてくれるかもしれない。
配給制は、春になったら始まる。それまで、それまでの辛抱だ。

「かあちゃん、梅子頼むよ、おいら親方のとこさ行って、芋分けてもらってくる」
「ごめんよきっちゃん、大丈夫かい?」
「おいらは平気さ、夜までには帰るよ」

そう言って返事も待たず、素足で雪の中へ飛び出していった。残された梅子は、きっちゃんがいなくなったのが寂しいのか、さらに大声で泣いた。
「梅ちゃん、ごめんよ、春になるまでの辛抱だからね」

服の首元を緩め、胸元に梅子の顔を近づける。梅子がお乳を求めてアタシに抱き付く。お乳は出てはくれなかった。

きっちゃんは夕方には帰ってきた。しかも笑顔だった。しかも何やら風呂敷まで背負っている。泣き疲れて眠った梅子が起きないように、小声で「かあちゃんかあちゃん!」と駆け寄ってくれた。
そして風呂敷を床に置いて開いて見せてくれた。
中には15日分はあると思われるコメと、味噌と、醤油と、塩と、芋が10本入っていた。

「どうしたんだいこれ」

と私が聞くより前に、

「親方がくれたんだ!おいらには乳の出が悪いかあちゃんがいて、乳飲み子の梅子がいる。とおちゃんはお国のために頑張ってる。だからおいらも頑張りますけん、食べ物めぐんでくだせぇって。そしたらこんなにくれたんだ!これでかあちゃんも梅子も、はいきゅーせーが始まるまで、飢えを凌げるっちゃろ?」

こんなにたくさんの食べ物を見るのは久々だったので、アタシは思わずきっちゃんを抱きしめた。

「よくやった、よくやったよきっちゃん、あんたは吉助さんに似て、いつもアタシを支えてくれるんだね。」
「へへ、とおちゃんが帰ってきたらびっくりさせちゃるんだ。今よりかあちゃんをもっと肥えさせて、梅子も立派に大きくして、」
「ありがとうきっちゃん、ありがとうきっちゃん」

今度は頭を撫でた。そして背中をさすった。腕も撫でた。骨ばってるが、きっちゃんはこれを筋肉だという。骨の周りにつく、硬い硬い肉で、これのおかげで芸ができるのだと前に教えてくれた。小さい体が、とても頼もしい。
そしてふと、オヤカタがどうしてそんなお情けをかけてくだすったのか気になった。オヤカタと言うからには、男なのだろう。奥さんには許可を取ってきっちゃんに食べ物をくだすったのだろうか。男なのだから、戦争に呼び出されるのではないだろうか。それともどこかの偉いお家の長男坊でいらして、お家のために戦争に行かずにいるのだろうか。子供は居ないのだろうか。
そしてふと、きっちゃんが帰ってきた時にいった、『おいらも頑張りますけん』だけが、ふっと違和感として浮かび上がった。
そしてその違和感を不安へとにかりたてるように、梅子がぐずり出した。
梅子を抱こうとしてきっちゃんから離れようとすると、きっちゃんが私の背中に手を回して、あたしを抱きしめた。きっちゃんがこんな風にするのは3歳か4歳の頃、空襲に襲われかけた時以来だ。あの時、確かきっちゃんは泣かなかった。アタシの首に手を回して、離すまいとしがみついて、アタシはそんなきっちゃんを信じて全力で腕を振って防空壕の中へ駆け込んだ。きっちゃんは振り落とされず私にしがみついたままでいてくれた。それ以来、きっちゃんは会ったことのない吉助さんのように、よく笑う子になった。誰かを笑顔にする笑顔を振りまいて、アタシを安心させてくれた。

(きっちゃんは今どんな顔をしているのだろう)

梅子が本格的に泣き声を上げると、すぐさまきっちゃんはアタシから離れた。そして、梅子を抱き上げた。抱き上げて、アタシの周りをぐるぐる回った。きっちゃんの顔を見ようとするも、軽い足取りでアタシの視界からきえるのを繰り返した。アタシは座ったまま、きっちゃんの顔を見ようと、体を動かした。動かし続けた。きっちゃんを見ようとした。
ようやくアタシの視界に入ってくれた時、きっちゃんは梅子をアタシが抱くよう渡した。きっちゃんの顔は、梅子の頭で見えなかった。梅子を抱いて、きっちゃんの顔を覗き込もうとするも、きっちゃんは外へ向かって一目散にかけて行った。
そこでアタシはようやく立ち上がった。

「どこさいくのー!!!」

叫んだがきっちゃんの声は返ってこなかった。代わりに梅子が、アタシの声に驚いて、また泣いた。

配給制が始まっても、きっちゃんは帰ってこなかった。
アタシは梅子を抱いたまま、きっちゃんの分の配給も貰いに行った。あまりに量が少ないので、これならオヤカタの方が振る舞いよかったと思ってしまった。
きっちゃんの分の食べ物は残しておいた。いつ帰ってきてもいいように。きっとどこかでコオロギを食べて頑張っているのだろうから、帰ってきたらコメをあげよう。そう思っていた。

配給の量が減っても、きっちゃんは帰ってこなかった。梅子はお粥を食べるようになり、コメがさらに貴重になった。それでもきっちゃんの分のコメは悪くなるギリギリまで手をつけなかった。悪くなりそうになったらお粥にして、梅子の分のコメをきっちゃんの分として、残しておいた。

ラジオが敗戦を告げた日、アタシは地域の集会所にいた。そこでもきっちゃんを探したが見当たらなかった。集会所にいる誰もが敗戦を泣いて悔しがっていたが、アタシだけきっちゃんを探してその場を早々に立ち去った。

配給が止まり、食べ物がなくなって、きっちゃんの分の食べ物に手をつけて飢えを凌いだ。それでも足りず、コオロギを30分かけて1匹捕まえて、15秒火にあてて口にした。つわり以外で初めて吐いた。歩き回るようになった梅子は不思議そうにアタシを眺めていた。

吉助さんがとうの昔に亡くなっていたと知った時も、きっちゃんは帰ってこなかった。アタシはその時、終戦して初めて泣いた。吉助さんにもう会えないのが悲しいのか、吉助さんにきっちゃんと梅子を見せてあげられなかったことが悲しいのか、心が疲れきっていて何が何だか分からなかった。吉助さんの血を引いていないはずの梅子が、優しくアタシの背中を不器用に撫でてくれた。

アタシは、きっちゃんがオヤカタと言っていた人を探すことにした。その人は案外早くに見つかった。アタシが知らなかっただけで、その人は巷では有名人だった。食い物が無い親が男児を売り、その引換えに食べ物を貰うという営業手法をする悪人だったらしい。売られた男児はさらに誰かに売られたり、強制労働させられたりと、様々な道を辿るらしい。そして悪人はあっけなく、空襲に巻き込まれて死んだらしい。彼の元で生活していた子供も巻き添えを食らった様で大半が死んだらしい。

しかしアタシが泣いたのはその話を聞いたときでは無かった。見ず知らずのアタシよりも賢そうなお母さんが次のように言った後だった。

「もう何年も前の話だから当てにはしないでちょうだいね?あの男のところに用があって会ったことがあったの。で、あの男のそばにね、曲芸師みたいなことする子がいたの。名前は……吉…………うーん、思い出せないけどいたのよ。細くて小さい体してたわ。10になってたのかしら。口だけで色んな楽器の音の真似をしたり、合いの手いれたりしながら、宙を舞ったり跳ねたりするの。あの子の芸もさることながら、笑顔が良かったわね。人を安心させる笑顔をしてた。それを見たらね、あとはもう死ぬだけだと思って売るつもりだったうちの息子が、パッチリ目を開けて手を叩いて笑いだしたの。まともにお乳もあげれてなかったのに、どこにそんな体力残してたんでしょうね?それをみて、私は息子を売るのをやめにしたわ。私は息子を自分の手で育てて、またあの曲芸師みたいな子の前に連れていこうと思ったの。そして伝えようと思ったの。あの時のあなたのおかげで、私はこの子を売らずにすんだ。この子は今やこんなに大きくなった。あなたは人を救ったのよ。お国のために戦うことよりずっと立派なことをしたのよ。どんな手を使ってもいいから生き抜いてちょうだいねって。あれから空襲に終戦に色々あったけど、あの子なら火の海だって軽々しく飛び跳ねて逃げ延びてる気がするわ。いや、そうであってくれなくちゃ、私……私まだ、あの子に感謝の言葉、伝えられていないもの……」

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