受験戦争で傷ついた方へ
この文章がお受験に向かう、向かった、向かわせた、向かわされた親と子
の抱えた傷へのかさぶたになりますように
私の受験戦争
私が一本だけ立てた人差し指をみて車の中の母が小躍りしているのが見える
その姿をみて私の心臓は少しづつブレーキをかけられるようになる。
小学4年生から通い始めた塾は実家から車で30分のビルの2階にあった。
その塾は隔週でテストがあり成績で席順が決まるシステムだった。
塾の迎えのときまでテスト結果を聞くのを我慢できない母親は、送りの際に私に席順、つまりテストで何位だったかを確認し、ビルの2階の窓から毎回指で知らせるよういった。
私が3本指を立てた日に、曇る母親の顔はビルの二階から隣の居酒屋の前に停まる車の窓越しに、あんなに離れていたのにはっきり見えたのを覚えている。そして母親は自分に言い聞かせるように「頑張って」とポーズをとっていた。
そんな生活が2年続き受験が意識される小学6年生になると、一位をとっても誇らしさや、喜びの気持ちより安堵が強くなっていた。
人間は慣れる生き物だ。
100点は当たり前になり、1位は当たり前になる。
普通クラスなら特進クラスへ
10位ならトップ3に入ろう
トップスリーになったら1位へ
1位でも油断するな。油断するな。次も1位をとれ
それが私の日常だった。
嫌という気持ちや、逃げ出したいという気持ちはなかった。その当時の私には。
ケージのドアが開いていても逃げ出さないのは人間だけなのだろうか。
私の始まり
私の父は富士通の平社員のサラリーマンだった。
母は私の塾の費用をまかなうためにパン屋や、介護士として働いていた。
私はラ・サール中学受験を目指す塾へ通っていた。
周りの親は社長や、医者ばかりだった。
平凡な家の私を進学校受験させるプロジェクトの原点は
母の兄にあった。
母の兄はいわゆる「神童」といわれる小学生で、周りからはラ・サール中学に通えると言われていたが、家にお金がなく受験ができなくてその後母の兄の人生は「ちんがら」(鹿児島弁でめちゃくちゃ。 ぴったり合わないこと)
になったと聞かされていた。
私立の音楽に特化した幼稚園に通っていた私は幼稚園の歳にバイエル(ピアノの教本)を終わらせていた。
「同じ学年の子の中であなたが一番たくさんの曲を弾けたのよ」と母が喜んで何回も話していたのを未だに覚えている。
その幼稚園はピアノの教本の進み具合で園児に順位がついていた。
3歳の頃から日常生活の中に習い事の時間が組み込まれていた。
ピアノを練習していた時間が後に勉強をしている時間になり、
サラリーマンの家の平凡な子供を受験戦争で合格をとるだけのマシーン
に仕立て上げた。
ちなみに私は今は全くピアノが弾けない。
そして当時も楽譜は読めなかった。
何回も何回も何回も何回も指が自然と動くまで練習をしていただけだ。
私が母にとってのピアノだったのだろうと今は思う。
小学6年生の私も同じ。
何回も何回も何回も何回も問題を解いて答えを覚えた。
私は別に賢い子供ではなかったように思う。
睡眠時間以外は常に勉強していた。
トイレに入っても、風呂に入っても親が問題を出して、それに答えていた。
風邪をひいたことがあった。
鼻水がずっとでていたが、鼻水をかむと答案用紙に答えが書けないので鼻水をずっとすすっていた。
そしてしばらく経ち、尋常ではない痛みが出た日に初めて塾を休んで病院に連れていってもらった。
医者は「中耳炎です。鼓膜を切開しないと危険です。こうなる前に気づきませんでしたか」と私と母に言った。
それが日常だった。
私の終戦記念日
無事入学試験に合格した私が感じたのは
席順が決まる塾のテストで1位をとったときと同じ喜びではなく、安堵だった。
周りの家族や、塾の先生が泣いて喜んでるのをみて、自分は素晴らしいことを成し遂げたんだと自分に言い聞かせていた。
そして私は途方に暮れた。
命懸けで戦争に勝利した後で、それはその先に待ち構える世界大戦の始まりに過ぎなかったと知らされる。
空っぽの私は見事に燃え尽きて、くすぶる中学高校生活が始まったのだった。
勉強は悪くない
私は自分の意に反して受験をさせられたと文句をいいたいわけではない。
勉強は将来を考えると1番コスパのいい努力だと今でも思っている。
まだまだ世の中は学歴社会で紙に書かれたことを暗記して、答案用紙に書いて丸をもらえばいい大学に行き、いろんな職業につく選択肢が与えられる。
小学生の子供がなりたい職業なんてたかが知れてると思う。それならなんにでもなれるように選択肢を多く持っていた方がいい
人と比べない
ただどうしても倫理観の形成が難しい小学生が毎日競走するシステムの中にいれられると、自然と人と比較する癖がついてしまう。
人と比較する癖は1番良くないくせなのではないかと思う。
上には上がいて、いつまでも自分が満たされない。
下には下がいて人を見下すようになる。
大事なのは過去の自分より、成長していることで、合格点以上をとることだ。
幸せのために何かを成す必要はない
そして自分が子供を育てるようになり、1番気をつけているのは、「なにかができるからすごいのではない。ただ生きているだけで素晴らしい存在なのだ」と伝えることだ
テストで100点をとったからすごいと言われた子は
90点をとった自分は無価値だと思うようになる。
入試に合格したらすごいと言われ続けた子が
不合格と言われた時に感じる絶望は進路に関わる絶望ではない
人生の全否定、命に関わる絶望感だ。
読んでくださった親御さんへ
親が毎日かける言葉は呪いになる。
どうか子供に呪いをかけないでほしい。
なにがどうあれあなたは素晴らしい存在で、
何が起こっても愛していると伝わるように伝えてほしい。
読んでくださったお子さんへ
どうか世界を呪わないでほしい。
なにを言われてもあなたは素晴らしい存在で
どんなことが起こってもあなたは愛されている。
子供のうちはコミュニティを選べない。
日常目の前で起こることが人生の全てと思ってしまうがそんなことは無い。
人生には無数の選択肢があって、人に迷惑をかけない範囲で自分が幸せと思えればなんだっていい。
周りに助けを求めて、自分が上手く呼吸ができる場所を探そう。
受験に失敗しても人生に失敗はない
受験に合格しても人生の成功は約束されない
受験は通過地点で、人生は長く続く
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