あおさん

職業:看護師、フリースクールのおばちゃん。ずっと育児は迷子。ギフテッドと指摘されたのは小3ですが、思えば1歳頃から怪しい雰囲気が。小4から不登校で転校歴あり。ひっちゃかめっちゃかに走ってきた私の育児が、どなたかの参考になれば・・・。子どもも孤独だけど親も孤独。

あおさん

職業:看護師、フリースクールのおばちゃん。ずっと育児は迷子。ギフテッドと指摘されたのは小3ですが、思えば1歳頃から怪しい雰囲気が。小4から不登校で転校歴あり。ひっちゃかめっちゃかに走ってきた私の育児が、どなたかの参考になれば・・・。子どもも孤独だけど親も孤独。

最近の記事

ついに卒業!!さよなら、母子分離不安

不登校ママの先輩から、”いつかは終わるから”と励まされること数年。不登校から3年が経過しようとする頃から、娘に明らかに変化がみられるようになりました。母子分離不安の濃度がどんどん薄くなっていったんです。原因はわかりませんが、同時に娘は本来の自分をどんどん取り戻していきました(逆に面倒くさいものことも・・・)。色んなものがふっきれたようにも見えました。中学は行かない(行けない)、きっと高校も行かない(行けない)、けど大学には行けそうな気がする、そんな話をするようになりました。

    • 不登校、クラスの名簿に載せないことができる

      【伝達事項】noteからお問い合わせをくださった方にお返事だしました。届いていなかったら迷惑メールに振り分けられてないか、ご確認お願いします! 中学入学のタイミングで、教育センターの心理士さんを卒業することになった我が家。何も支援がないのは危険と判断し、SSW(スクールソーシャルワーカー)さんをいれてもらうことにしました。心理士さんからSSWさんに申し送りがされていたので、これまでのいきさつを話す必要はありませんでした。そして、中学をどのように過ごすかSSWさんと話し合いま

      • 児童精神科と繋がる

        不登校になってすぐ、学校から診断書をとってきてほしいと言われたこともあり、発達のクリニックを受診しました。学校の手前、とりあえず受診した感じです。受診したところで何も変わらない、という思いが私にはあったので、そのクリニックに継続的にお世話になることはありませんでした。クリニックからも、医療的な介入は必要なし、という見立てでした。当時は(今もですよね)、児童精神科は数が少ないこともあり、予約をとるのに3カ月待ちはざらでした。予約の電話もなかなかつながらないし、そこに費やす気力も

        • 気持ちを引き出す作業と意に反する転校

          不登校になる前から関わってくださっていた心理士さんと、何がつらいのかをみんなで一緒に探ってみようという作業が始まりました。以下のことを引き出すのに、面談回数は10回ほど必要でした。娘自身も何がつらいのか気づいていないことも多かったです。というのも、周りと自分の違いにそもそも気づけないからです。感覚の比較というのはそれだけ難しいのだと思います。今も娘が赤ちゃんの泣き声に発狂するのを、私は理解しきれません・・・。 娘から出てきたものはこれが全てではありませんが、不登校になった頃

          学校に行けなくなったその日

          娘は電車で通学していました。いつも夫と一緒に家を出発していました。その日はたまたま私の仕事が休みで、なんとなく「今日はママと行こう!」と声をかけました。本当に何の気なしの発言でした。 様子がおかしくなったのは、電車に乗る直前です。娘の足が止まるんです。私は電車に乗るつもりはなかったのですが、なんだか心配になって一緒に乗りました。学校の最寄り駅につき、そこでバイバイして私は引き返したのですが、泣きながら娘が追いかけてきました。「ママ!!学校に行けない!!」 それから、まわり

          学校に行けなくなったその日

          不登校開始から1か月間の様子

          不登校になってすぐに家族会議をし、夫からの提案でまず1週間休むことにしました。そして、ひたすら大好きな読書をして過ごしました。外に出ることはほとんどありませんでした。この1週間の娘は、言葉数も少なく、ただごろんとして本を読みふける毎日でした。勉強もしない、ピアノもしない、一応食事はとるけど摂取量は少なかったと思います。けれど、好きなようにさせました。外出したくなさそうならそのままにして、一応カーテンは開けて陽の光をいれたり、風を通したりすることはありましたが、ぶっちゃけると陰

          不登校開始から1か月間の様子

          育児書も心療内科も参考にならない

          写真は、まだゆずラボを立ち上げる前のものです。カフェの定休日に場所をお借りして、週1回不登校の子供たち同士で遊んだり勉強したりしていました。参加費は300円×5人。場所代は5000円。開催すればするほど赤字で笑えました。この頃は、Deko-Boko算数っていう名前でやっていました。 小4の9月。学校に行けなくなったその日、なぜ学校に行くことができないのか、本人を含め誰にもわかりませんでした。学校まであとこの横断歩道を渡って50mほど進むだけ。けれど、目の前の横断歩道が渡れな

          育児書も心療内科も参考にならない

          育児が詰んだ!不登校になる前

          ゆずぽんの母、すえざきあおいです。 びびりゆえ匿名でひそかに活動しておりましたが、悪いことしてるんじゃないんだから自信をもて!と叱咤激励され、出てまいりました。 詳しい自己紹介はまた別の機会に・・・。 私が育児に行き詰まって助けを求めたのは、区の教育センターでした。泣きながら電話をしたのを覚えています。娘が小2か小3のときです。「勉強がつまらないから、もっと難しい授業の学校に転校したい。」と言ってきたのがきっかけでした。その場では、義務教育期間だからこれ以上難しい授業をやっ

          育児が詰んだ!不登校になる前