Doll計画(葵の忘却のアポカリプスより)
Doll計画
アルカディアにある空中都市エデン。
クレセント大神殿をエデンの中央に挟み、西にシャルム、東にメタトロン帝国が広がっている。
エデンはとある“招かれざるもの“の襲撃により、ある日突然大陸が浮いた。しかし地上と完全に分断された訳ではなく、今も門と呼ばれる機械を使い、地上との交流を図っている。
とは言え、地上に住む人間は天空人と名乗るエデンの人間を忌み嫌っていた。それもそのはず。大陸が浮いた事により、その真下に住む人々は平等に与えられていた筈の太陽の光を失ったのだ。
光なき大地は少しずつ灰色の死地化し、今は人工栽培しか生きる道は残されていない。
そして空に浮いたエデンの人口は“招かれざるもの“の襲撃で減る一方であり、その補充には何かしらスキルを持った子どもらが選抜されていた。
毎年ある時期に差し掛かるとクレセント大神殿の神官と、メタトロン帝国の【礫】と呼ばれる一般兵士志願を集める機関が視察に来る。そこが彼らの羽ばたくチャンスだった。
幼心でも親を救う為に、彼らは何としてもエデンに行きたいと願う。まずエデンに行くだけで、地上とは比べ物にならない金と名誉が手に入る。そこで賭けるものは己の心臓。
いつ死ぬか分からない最前線へ赴くのだが、太陽のない地上で暮らすくらいなら一旗挙げたいと思う若者が圧倒的に多い。
◇
「ディオギス様、そろそろ【威】にお戻りになりませんか?」
「あの日、私は死んだのです。ここに居るのは【威】のディオギスではありませんよ」
【礫】の男らは緑色のフードの下で小さく肩を竦めた。本来彼らの仕事は地上にいる優秀な人材を探す事。重鎮に付け加えられたプラスアルファの依頼が、ここで研究を続けているこの学者をエデンに連れ戻す事だった。
かれこれ、【礫】の遣いが彼にアタックして丸18年が経過している。全く変わり映えのない容姿に、彼もエルフのように不老不死なのではと疑う者も多い。
「実験の邪魔です。どうぞお帰りください。そうそう、ヴィクトールによろしくお伝えください。《不祥の友はいつか穴倉にて待つ》と」
「は、はぁ……」
よく分からない伝言まで預かった【礫】の遣いは頭を抑えた。賢者の話す言葉は意味が分からない。そのまま伝えた所で【焔】の団長に響くのだろうか?
彼らは深いため息と共に、ディオギスの説得を諦めて本来の仕事へと戻った。
「漸く静かになりましたね」
「うぐぐ〜……お師匠様の命令だから黙ってましたけどぉ、レノアは“緑マン“嫌いですぅ!」
床から気配もなくぬるりと出てきた黒髪のメイド服を着た美少女は頬を膨らませて猛烈に抗議した。
「大丈夫ですよ、私はエデンには戻りませんから。大陸を元に戻さないといけませんから」
「はい! お師匠様に出来ない事はありませぇん! レノアに出来る事は何でも言ってくださいねぇ♡」
「ははっ頼りにしてるよ、レノア。君は最初の──」
そこまで言いかけてディオギスは閉口した。
「ほえほえ?」
「……いや、何でもないよ。またアレが訪れる前に手を打たなくてはね」
この18年間、ディオギスは自分を責め続けていた。メタトロン帝国が壊滅的な被害を被ったあの日、【焔】へ指示を出したのは自分の義父である。
何度も全軍を1箇所へ送り出す事の危険さを説いてきたが、やはり実の子ではないという理由で義父への進言は何一つ聞き入れては貰えなかった。
騎士団長ウォルトの咆哮、そして叛乱で無駄に散った若き命。
彼は近衛兵らに捕まるまでの間、何度も“リーシュ皇子“の名を口にしていたが、リーシュという名の皇子は存在していない。しかし、ディオギスの記憶の片隅に金髪の青年が、【焔】とは真逆の青を基調としたマントを翻して馬を駆ける姿が映る。
一体、記憶に過ぎる彼は何者なのだろうか。
鮮烈な記憶は妄想から生まれたとは考え難い。真実を知るウォルトと話をする機会を設けたかったのだが、中立であるクレセント大神殿へ彼の身柄を移動させられたので、今はそれも叶わない。
「このままだと、アルカディアは崩壊する。手遅れになる前に……」
【威】に頼りすぎているメタトロン帝国。そして、ウォルト騎士団長が退陣した【焔】は若過ぎる。
先ほど来た遣い達は地上にいる若い戦士候補らを死地へ招く死神でしかない。はっきり言ってヴィクトールを失った【焔】で前線を維持するのは難しいだろう。
ディオギスも元はエデン側の人間。選ばれし者達とは言え、彼らがただ死地へ攫われて行くのを静観するのも失礼な話だ。
選ばれた少年らを確認しよう。何となく重い腰を上げ、門から少し離れた所で見慣れた旅立ちの儀式と、【礫】の差し障りない声明を聞いていると、ふと傍で涙を堪える金髪の少女と、木の剣を肩に抱えた少年がニコッと笑ったのが見えた。
「──リーシュ、皇子」
唇が戦慄いた。何故、その名前が口を突いたのかは分からない。しかし、ディオギスの瞳からは確かに忘れかけていた涙が頬を伝いおちた。そして、ブラウンの瞳の少年は遠くにいるディオギスと目が合ったかのように、こちらに白い歯を見せて指を空に向けて突き上げた。
「俺が、この世界をぶっ壊すんだ。みんな平等にならない世界なんて、全部なくなっちまえばいい」
名も知らぬ少年の、その強い決意でディオギスの心は変わった。あれほどエデンへの帰還を渋っていた彼を変えたのだ。
西側に広がっていた広大な空き地が白い壁で覆われたすぐさま研究所へと生まれ変わったので、ディオギスが帰還し住んでいるという話が噂されている。
プロトタイプと呼ばれる少女と、此度地上から選ばれた金髪の少年を共にして。