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拝啓、3人の葵へ 第3話

◇ 3

 わたしはM町に引っ越ししてから、一度だけ首を絞められた夢を見た。声も出なくて殺されると思った瞬間、一階から母が「あんた何騒いでいるの?」と眠そうな声で入ってきてくれたおかげで命を取り留めた。全身びっしょり気持ち悪い汗と、首筋には紫色に変色した人間の指の跡がくっきりと残されていた。
 あれが、薫ちゃんだったとは思っていない。むしろ眼鏡はかけていなかったし、映画にいた「貞子さん」のような感じだった。
 霊感が強すぎたせいでよく聞こえないはずの声が聞こえてきた。楽しそうに笑う子供の声、そして足のないワンピース姿の少女がとある小さなトンネルの前で傘をさしたままいつも悲しそうに空を見ている姿が気になった。

「おとうさん、あそこに女の子が立ってるよ」
「見るんでねえ」

 父は一度車の事故で死んだ人間だ。わたしなんかよりもとんでもなく霊感が強い。その父がきっぱりと見るなと言うのだから、わたしはそれに従った。バックミラーが黒く塗りつぶされたのが気がかりだったが、それでもわたしは目を閉じて耳を塞いだ。

『こんばんは』
「こんばんは」
『またね』

 風の音と共に、その声は消えた。


 あの日薫ちゃんに会ってから姿は見えなくなった。声も聞こえない、せめて夢の中でも会えないだろうかと思ったが、一度も叶った事がない。
 車の免許が取れる年齢になり、わたしは不慣れなMIRAを走らせてT町に向かった。あの、薫ちゃんがわたしを泊めると言って案内してくれた家がまだあると思っていたのだ。
 ところが、表通りにあったはずのジュエリーショップは閉店しており、裏は開発工事が進んでいるのかまっさらな空き地となっていた。
 近所の人に、ここに赤い屋根の家が無かったか尋ねてみたが、誰からも家があったという明確な返答は得られなかった。数十年住んでいる人でさえ、ここに家なんてなかった。元々長年空き地で、霊がいるから気をつけろなんてとんでもない事を言われたくらいだ。

 わたしの人格形成が始まったのは中学時代に遡る。
 友達一号になってくれた空気のような彼女の存在があったからであり、初めての葵は「ものすごい気分屋」だった。
 元々たっぷり寝ていたい性格だったので、夜の8時にはもう布団に入る生活をしていた。けれども、高校受験を控えている事もあり、行きたくない塾へ行くことになったわたしは、偶然にも、友達一号と同じ塾へ通った。

 彼女は勉強が大嫌いで、暇さえあれば絵をかいていた。本も書いていたと思う。所謂、同人誌というやつだ。そういうものを知らないわたしは、高いお金で塾に来ているのに、呑気な奴だな、とちょっとだけ彼女を軽蔑していた。
 勿論、帰り道も一緒なので夜の9時半過ぎに自転車をかっとばす。大体15分くらいの道のりだが、陸橋を通らないと早く家に帰れないので、大外回りをすることが増えた。それだと大体25分はかかる。
 1分でも早く眠りたいわたしにとって、この道は過酷だった。そしてもっと厄介な事に、自由な彼女は帰り道に「おなかすいた」「〇×書店に寄りたい」と口にするのだ。
 そんなに行きたいなら勝手に一人で行け、わたしは帰って寝たいんだ。いつも心の中でそうつぶやいていたのに、ある日突然わたしの口が勝手に動いた。

『いつまでもお前みたいな甘ちゃんに付き合ってられねえんだよ、このボンボンが』

 吐き捨てるようにそれだけ言ってわたしは錆の強い重たいペダルを漕いだ。なかなか前に進まない。けれども、言ってはいけないことを言った自分を責めてとにかく彼女から1秒でも離れたかった。

 なんで、やっとできた友達にあんな事を言ったんだ!
 これじゃあもうあの子はわたしと一緒に塾も行かないだろうし、中学校もクラスは違うけど、隣だから体育は一緒じゃないか。
 どうするんだ、田舎であいつら喧嘩したんだぜなんて情報は秒で広まる。このままだと、わたしはまた友達を失ってしまう。もう、薫ちゃんは居ないのに。

 家に近づいたところで、また口が勝手に動いた。もう彼女との距離は十分に離れている。

『だって、あいつはウチと違って金持ちだし、塾に寝に来てる態度から全部嫌いだし』
「でもいつも一緒に居てくれたじゃない。何で今更……」

 自転車が重い。全然進まない。気が付いた時には必死に追いついてきた彼女が真横にいた。やばい、さっきの独り言が聞こえたかと焦る。

「葵ちゃん、どうしたの? めっちゃ怖い顔してる」
「眠いだけだよ、きっと」
「そう? ごめんね、いやな思いさせて……」

 なんてこいつはいい奴なんだろう。わたしなんて、さっきとんでもなく彼女と彼女の家をバカにしたんだぞ。
 あれが無意識だったとしても、心の底ではそう感じていたって事だろう。いつもそうだ、貧乏な家を呪って、当時は貴重だったインターネット環境やパソコン、本やお金、何でも欲しいものは手に入れられていた彼女が憎かった。
 要するに醜い嫉妬がそのまま言葉に出たらしい。しかも、最低なことにわたしは彼女にこの後から未だに一度も詫びていない。



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