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doll計画〜彼のメモより〜葵の忘却のアポカリプスより

Doll計画〜彼のメモより〜  総文字2830


かつてメタトロン帝国所属の男が神の所業とも呼べる研究を続けていた。
彼の目的はただ一つ、過去への償い。決して誰からも賞賛される行為ではなく、ただ己の為に研究所にひとり篭っていた。

“世界が割れた“日から約百年の歳月を経て完成したプロトタイプのdoll、人型Lタイプ-Noah(ノア)
それ以降もメタトロン帝国に求められて彼は幾度もdollを造る事に着手したが、結局一体も目覚めさせる事が出来なかった。
己の無能を嘆き、彼はエデンを捨てて地上へと降りる。誰の手も触れない新たな場所を求めて。

銀髪の男は自分がエデンから降りてきた事を隠し、地上で生活を初めて数年が経過。細々と研究を続けていると、次第に太陽の光が当たらない事に気づく。

それは日に日に悪化。太陽が消えたのと共に地上に住まう人々から笑顔が消えた。
気温は急激に下がり作物は育たない。そのような過酷な環境下で、地上のひとは生きる力を持たなかった。

エデンは地上の人間を救済しない。あの浮遊大陸の光景を観る事が出来るのは、あくまで能力を持った選ばれし者のみ。いつ開くのか分からないゲートも閉じられたままだ。

次第に消えていく灯火。先のない絶望から人々を救ったのがノアだった。彼女は人形、氷点下の気温であろうとも機能的には全く問題は無い。
彼女は創世神の生まれ変わりと謳われ、地上における女神であった。

太陽の光が失われたと共に、空間が割れ、見たことのない真っ黒い魔物がアルカディアの地上を蹂躙する。
それは泥、それは油、それは時に人型、常に形を変えるそれに飲み込まれた場所は灰色の死地と化し、ひとだけではなく、他のいきている生命体も絶滅の危機に瀕した。

その謎の魔物に立ち向かったのもノアだった。彼女は美しい黒髪を風に靡かせ、女性ではとても振るう事が難しいと言われる両手剣を軽々と天へ向けて叫んだ。
「我に続け、この地に光を戻す為に!」
勿論、ノアを慕う地上の人間達はこぞって武器を手に立ち上がった。

ゲートを地上側から無理矢理解放して数時間後、降りてきたのは赤きマントをつけたメタトロン帝国の精鋭部隊達。
地上に住む人々は泣いて喜んだ。彼等が来たからには、地上は安心だ、と。

一体どのような話がされたのか、研究所に篭る男は気づかない。防音で外界から遮断された場所にいる彼の元へ来るのは身辺の世話をするdollのノアただひとり。
しかし、空腹を覚える時間になっても、今日はノアの姿が見えない。通信手段というものを持たない彼にとって、それは初めての不安だった。

男は研究をそのままに、裸足のまま飛び出した。玄関にたどり着く前に感じた血の匂いに思わず顔を白衣で抑える。一体何があったのだ、この地上は例え魔物の襲撃があっても人々は何とか肩を寄せ合いいきていたではないか。

少しずつ血の匂いが強くなる。これは魔物の血ではない、同じひとの血の匂いだ。薬液で狂った鼻でも同族の死骸くらい判別出来る。誰だ、このような残酷な事をしたのは。

男はフラフラと研究所の中枢まで行き、そこに映るひとの姿に愕然とした。勝利を意味する赤いマントはメタトロン帝国における最強騎士団の象徴。その赤いマントをつけている甲冑の騎士が左手に持っていたのは──。

ぽたり、ぽたり、と白い床に赤が広がる。彼女はdoll。──ああそうか、dollにも血が通っているのか、なんて不思議な事を考え、男は口元に笑みを浮かべた。
「共に逝こう、きみをひとりにはしない」

その日、地上では大陸半分を吹き飛ばす爆発が発生し、エデンと地上を繋ぐゲートも吹き飛んだ。
地上に住む人間はその日壊滅。人口は僅かエデン内にいる人間のみに激減した。これが何を意味するのか、メタトロン帝国は焦り出す。
地上にしか出現しなかった黒い魔物が、エデンにも現れ始めたのだ。

それは地上に住む人々の呪いの声なのか。
それは地上に住む人々の懇願だったのか。
それは地上に住む人々の希望となるのか。

地上から消えたはずの男は、エデンにいる灰色の髪の少女にその命を救われた。
奇しくもdoll計画の為に己の体を神から与えられたものから変えてしまった事で命を長らえてしまったようだ。
男はノアと共にその生を終えるつもりだったのに、動かぬ体に頭だけが冴え渡る。瞳を動かす筋肉も死んでおり、自力では何も出来ない。

数秒後、灰色の髪の少女が近づいてきた。吸い込まれそうなくらい深い蒼の瞳がこちらを覗き込む。
「あなたの力が必要なの。だから、生きて。彼を解放する為に」
何を馬鹿な事を。何故地上を捨てたエデンの人間の言う事を聞く必要があろうか。男は何も出来ない顔のまま、少女の言葉を鼻で笑うつもりで視線を逸らした。
「ノアは生きている。いいえ、あなたとノアどちらも必要なの。もう一度あなたがわたしに協力してくれるのならば──」
視界の片隅にノアが横たわっていた。胴体と切り離されていた彼女は綺麗な姿のまま眠っている。一体この少女に何の力があるのだろうか、それにここは研究所でもない、不思議な黒と青と白の入り混じる異空間に見えた。

彼女に問いたい事は山のようにあるが、男の唇は全く動かない。鏡がないので今の状態が全く分からないが、多分唇と繋ぐ神経も切れているのだろう。それを察したのか、少女は男の顔をそっと両手で包み込んだ。
「今から新しいアルカディアを創生するわ。あなたは、わたしと共犯者。どうかお願い、“招かれざるもの“から、あの人を救う力を貸して」

綺麗な涙だった。少女が見せた涙は宝石のようにキラキラと輝き、白い頬を伝い落ちた。
共犯者。よくわからないが、もう一度ノアと共に生きられるのならば、それでいい。
男は深く頷いたつもりで瞳を閉じた。イエスと判断したのか、少女の小さな手が瞳に添えられる。

数え切れない深い深い眠りの後、男は柔らかい椅子から飛び起きた。
「お師匠様ぁ〜、どうかなさいましたかぁ」
間延びした口調の黒髪のメイドが不安そうに男の顔を覗き込む。男の瞳は正常に色を認識し、彼女の顔もはっきりと見えた。唇からゆっくりと酸素を吸い込み、鼻で薬液の匂いを感じとり、これは夢ではないと再認識する。

あれは、ただの長い夢だったのか、それとも別の次元にいる自分の話だったのか。
「大丈夫だよ、ノア。少し疲れていただけだ」
「んもう〜! あの緑マンが来てからお師匠様の様子がおかしいから心配ですぅ。今日は元気の出るお食事にしますねぇ」
バタバタと忙しそうに動くメイドの後ろ姿を眺め、男は深く椅子に背中を預けた。
──あの灰色の髪の少女は、まだエデンに居るのだろうか?
へプル】の人間が何度もゲートを往復しては男にエデンへ戻るよう苦言を呈す。あのような肌がざわつくような夢を見たのも、多分十八年前の厄災のせいだろう。
男は椅子から立ち上がり、すぐさまメタトロン帝国へ向けての文を飛ばした。


もう一度、正しい未来を導く為に。

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