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忘却のアポカリプス 1話
1話
18年前に空が“割れた“
太陽は半月のように消え、空からガラスの破片のようなものが大地に降り注いだ。形は隕石の欠片に見えなくも無い──が、中から出てきたものはとんでもないものだった。
「灰色の雨が降る」
星読みの間で啓示を受けた巫女イリアが誰にともなく呟く。
隣ですうすうと寝息を立てている白い獣を掴むと、彼女は白い神官服の裾を持ち上げ、長い螺旋階段を一気に駆け降りた。
「こんな夜更けにどうなさいましたか、イリア様……」
「アウトサイダーが来るわ! 戦闘配備について」
「まさか……アレが現れたのは18年も──」
2人並んで門の警備をしていた神官騎士のひとり、窓側に居た男の首が落ちた。
ごとり、と重々しい音と共に見開いた目がこちらを見つめている。
「え……」
突然の事に動揺する間もなく、もう一人の男の体は見えない衝撃波により三階まで吹き飛び、豪華な天使のグランドガラスを派手に割るとそのまま急降下してきた。
「──ッ」
唯一の幸と言えば、別の国の婦人らが礼拝に来ていなかった事だろう。数多の人間に門を開いている中立のクレセント大神殿は昼夜問わず人が多い。
イリアは二人の死骸に近づき、小さく祈る。淡い青色の光と共に彼らは天に召される筈だった。
『ア、ア……ガアアアアア!』
ガタガタと不規則に動き出した兵士は突然真っ黒に変色し、瞳の色を赤へと変えた。首を飛ばされた兵士もゆらりと起き上がり、手に漆黒の斧を持っている。
「なんて事、この一瞬で侵食されているわ」
『イリア、ぼさっとしてる場合じゃないにゃ、星読みの間が破壊されたらヤバいにゃ!』
「分かってる……でも、どこに本体が居るのか探さないと」
モフモフは召喚獣という存在だが、まるで戦力を持たないのでイリアの頭の上に乗りただ慌てて指示を出すだけだ。
ガシャン、と二階のステンドグラスも激しく割れた。破片がパラパラと一階に降り注ぐ。あちらからもアウトサイダーが侵入してきたのだろう。漆黒の剣を握りしめた黒い人型の魔物が押し寄せてきた。
「──《召杖》ヴァルキリア!」
神々しい装飾の施された銀色の錫杖を亜空間から呼び出す。
《魔杖変換》の呼応と共に、杖はイリアの左腕にぴたりとくっつき、彼女の魔力を吸い上げるとさらに白い光を強めた。
「星読みの間まで行くわよ!」
ひとの言葉を失った兵士らを杖で押しやり、イリアは神殿奥の広間へと駆けた。
巨大な水鏡の置かれたその広間はイリアと先の戦で命を落とした前教皇・マグリアスしか入る事が出来ない。
入れないよう封印してあるから良いという訳ではなく。
「古から“時“を守りしエデンの聖母よ、星読みの巫女が命ず、且の名はイリア。水晶の導きに依て……」
『イリア! 後ろ、後ろにゃ!」
「もうっ……どうしてみんな邪魔をする──の」
エレナに促されて振り返った先に立っていたのは同じくクレセント大神殿の大神官、カシムであった。
彼はイリアの育て親であるマグリアス教皇亡き後、以前のアウトサイダー襲撃で崩壊したクレセント大神殿を立て直し、現在教皇と大神官として責務をこなしている。
敵でない事に一瞬安堵したものの、イリアはすぐに面を引き締めた。
「カシム、外の様子はどうですか?」
「あの時と同じです。このままでは応援を呼ぶのも難しいでしょう。イリア様、まさか星読みの間の封印を解かれるのですか?」
カシムは戦闘経験など無いごく一般の人間だ。彼に何かあったとすれば、もうクレセント大神殿を立て直せる人間は居ない。
「……いいえ、封印は解かないわ。地下のシェルターを解放して。そこに一時避難してください」
「はっ、既に神殿騎士の生き残りと共に治癒、祈りの間におられる巫女らの避難を始めております」
「さすがね、貴方も逃げて。此処はわたしが何とかするから」
「しかし、イリア様をお一人にする訳には……」
錫杖を持って戦おうとしてくれる姿は嬉しいが、異形──招かれざるものに通常の攻撃は効かない。
イリアは緩く首を振り、彼にもう一度皆を連れて避難するよう伝えた。
「ごめんなさい、貴方を失う訳にはいかないの」
『にゃにゃー! イリア、ここも危ないにゃ!』
エレナが騒いだとほぼ同時に星読みの間の前に上のフロアの床が轟音を立てて落下してきた。
「──どのみち、此処は封印しているからこのままでいいわ。残りの生存者はカシム達に任せて、“本体“を探すわよ」
アウトサイダーがつけたと思われる炎は益々広がっており、三階にある賢者の塔も大きな音を立て真っ二つに崩壊した。
招かれざるものが数年、数十年に一度は必ず襲来すら事は星読みで告げられていた。そして今この場に一人である事を恐れている訳ではない。
イリアは唇を結び、杖を振り上げた。
「我はイリア・マグリアス。この命取ろうとする愚か者共よ、聖地を冒した罪、決して赦されるものではないぞ!」
『イリアだ、イリア……』
『聖母の血……肉体……あの御方に……』
『その細首、貰った──』
ヴァルキリアを振り上げた瞬間、周囲から黒い人型が一斉にイリア目掛けて襲いかかる。
「燦然と輝く十字星座よ、且の名はイリア。血の盟約の名の下にその御力を」
イリアのヴァルキリアを中心に広がる白い光の玉は近づく黒い人型を次々に消し去った。
今回の招かれざるものは実体を持たないのか、確かに数は多いもののこの程度で消える存在であれば現状の打破は難しくないだろう。
『あははっ! 流石だねえ破壊の巫女』
「失礼な呼び名をつけないで下さるかしら。隠れてないでさっさと出てきなさい!」
『相変わらず煩いなあ、キーキー怒らないでよお。この身体、あの御方に復活させてもらったんだ。いいでしょ?』
銀髪の少年は紅い瞳でにこりと微笑んだ。あどけないその少年の姿は先の戦で既に死んだものだ。
「ネクロマンサー……死者を冒涜するその行為、絶対に赦されるものではないわ。冥界に還りなさい」
『い、や、だよ。ボクはお前の事が大嫌いなんだ。何で嫌いな奴の命令を聞く必要がある?』
黒い短剣を取り出した彼はイリアが消したはずの死者を再度顕現させた。
『ホラホラ、今度はへなちょこ魔法じゃ倒せないよ、しっかり“肉“も与えているから』
『ムキーッ! あのガキんちょ余計な事ばっかりにゃ、エレナが』
「──エレナ、焔に救援をお願い」
白いモフモフはまごまごと身体をゆすったが、一度決めた主人の決意は揺らがない。
『死ぬなよ、イリア』
紅い瞳に変わったエレナはぽつりとそう呟くと白い毛並みを揺らし、一瞬で焔へと飛んだ。
彼女の残滓が消えた事を確認し、イリアはにこりと少年に向けて笑みを返す。
「わたしは絶対に死ねないの。あの人と共に生きるまではね」
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