case-7- 好きなものが食べたい欲求
case-7- 好きなものが食べたい欲求
総文字数3254
人間、誰でも好きなものを食べたい。
私が2回目に担当した患者さんも40代男性だった。なんで私にこの年代が集まるのかと言うと、ただの運だ。自分の担当が退院してから、次の担当が決まる。
「武田さん、よろしくお願いします。今日から担当になりました〇●です」
彼は耳が悪いわけではない。推し活に常に熱中しているので人の話を聞かない。携帯が恋人の母親と共に暮らすニートだ。
不摂生がたかって糖尿病と左半身軽度麻痺になり、インシュリンが必須。
推しに対しての活動をしたいので、退院願望がとにかく強かった。しかし不摂生の血糖値は常に400〜500オーバー。インシュリン自己注射を取得しないと退院は無理。
彼は全てにおいて適当だった。面倒くさい、が口癖。
この人は推しの話をする時だけは喋るものの、基本指導は無視。
薬の自己管理までステップアップしたかったが、何度もOT(作業療法士)に逆ギレし、リハビリの担当がコロコロ変わっている。それくらい問題児だった。
もうひとつの問題は、セクハラ言動が多いこと。可愛いスタッフが担当した時はお触りもあり、女性対応は一切なしになった。リハビリは男性が全て対応するのだ。
それが彼の怒りを増幅させた。ことある事にお気に入りの可愛い子を呼びつけて「なんで担当じゃないの?」と気持ち悪い態度で接する。
そしてなかなか進まない自立支援に痺れを切らした。
要するに、男性スタッフにもキレることが増え、拒否も多いからリハにならんと。医者は無関心なので、自分で出来ないならどうしようもないねー笑と投げやり。
わたしはカンファレンスで思い切って言った。
「もう、外泊させちまえばいいんじゃないっすか?」
血糖値400超えだ。しかも自覚症状ゼロで、歩行も一応できるが麻痺が軽く残っているのですり足の亀さんだ。本人は推し活がしたくて病棟生活のストレスが限界。面倒を見ている母親は彼が入院してくれて安心しているかも知れないが、金銭面にも不安が残る。
じゃあ、外泊して何がダメなのか自分で見極めるしかないじゃん。(極論)
この田中先生(仮名)は本当に理解ある医者で、笑いながら「じゃあインシュリン自己注射出来るようになったらもう退院ね」と決めた。
うちはリハビリ病棟だ。リハビリの拒否がある人間をただ黙って半年置くスペースなんてない。しかも本人がやる気ないなら尚更。帰れば?と言われても仕方ない。
カンファレンスの直後、私は彼に告げた。
「おめでとうございます。インシュリン注射出来たら退院なりました」
「え!?マジで!?」
喜ぶかと思いきや、彼は焦った。そしてことある事に今までの担当にお詫びをしてリハビリを頑張ると言い出したのだ。
もっと早くやる気を出したらこんな事にならなかったのに……と思うが、やる気の無かった彼が突然リハビリを再開しても、思うように伸びない。またそれでキレる。
その度に私が呼び出され、「リハビリの言うこと聞けないなら退院になりますよ?」と半ば脅迫のように伝えた。何故この対応に至ったのか。この甘えんぼは本当に母親に甘やかされたせいで人を下僕と勘違いしている。
リハビリは何処まで伸びるかそれは本人のやる気次第。やる気のない人間がやらされた感満載で伸びるわけがない。
インシュリンの自己注射も痛いから、という理由でやったりやらなかったりが目立つ。イライラした彼はある日「脱走」した。
もちろん、お金のない、友人もいない心だけは甘やかされたおぼっちゃまは母親の所に行く。
泣く泣く母親から電話がかかってきた。もちろん、そのまま強制的に部屋に戻されるが、一度脱走した人間は「強制退院」される。
80近い高齢の母親は医者に土下座した。まだ何も出来ない息子を入院させてくれと。母親にこんなことをさせるこのバカ息子はどう思ったのだろう?
この後、私にこのおぼっちゃまくんは泣いて詫びてきた。
「あんたの言う通りだった。俺は母親に迷惑をかけたくない!今のままじゃなんにも出来ない。だから頼む。ギリギリまでここに置いて。いや、入院させてくださいお願いします!」
スタッフ全員はもうあいつ強制退院だよね〜と笑って言っていた最中での心の入れ替え。おまけに、私の担当はこんな感じの問題児が多かった笑ので、また〇●さんの担当だよ……とひそひそ言われる事も少なくはない。
でも、自分の母親が土下座してまでお願いしてきたのだ。私に彼を入院継続させる力は無いので、もう一度医者に打診した。
もう1回だけチャンスが欲しい。そんでダメなら出しましょうと。
担当医は本当に理解ある人(患者にとっての確率は6分の1)だったので、この医者でなれけば即強制退院になっていた。
心を入れ替えた彼はきちんとリハビリにもお詫びして、イライラした時はひとにではなく、壁に八つ当たりすることが増えた。時々転んだのかと勘違いするくらいドンドン!と大きな音がとある部屋から響く。同室者はみんな高齢なので聞こえていないのがせめてもの救いだった。
頭突きしてみたり、手首に噛み付いてみたり。思うように動かない身体に嫌気がさしていたのかも知れない。それでも、酷だが私は優しく出来なかった。母親に土下座させたのだ、あれほど惨めで悔しいことは無い。
インシュリンもなかなか自己注射が進まなかった。単位を回しても「やった振り」でもすぐにバレる。私以外の担当から業務に支障が出るからどうにかしてくれと言われた。出来るのに痛いから、という理由だけでやらないのはどうしたらいいのか。
困った私は母親を出した。
「あんたはお母さんに毎日注射打ってもらいたいの?出来ないと推し活どころか、高血糖で頭おかしくなって寝たきりだよ?死ぬまで母親に迷惑かけたいの?」
「それは嫌だ」
「じゃあわかるでしょ。親は子どもに元気でいてもらいたいんだよ。わたしは呼吸器に居たから、意識なくてそれをただ黙って見る辛さを何百人もみてきたんだから」
変わるかなんて分からない。結局、何を言ってもやるかやらないかは本人次第。
それでも、ものすこくスローペースだが彼は変わった。ことある事に母親には迷惑をかけたくない。自分の責任だから、とぼやき、推しの画像を頼りに頑張る。
そんな頑張りも残り1ヶ月を切った所で切れた。
外泊訓練前に、また「脱走」したのだ。
さすがの医者も看護師も誰1人彼に優しい言葉は無かった。お情けで入院していたのに、恩を仇で返した。そんなところだろうか。
みんなが避ける中、わたしはまた呼び出された。お前の担当なんだから後始末しろ、という事だろう。
結局わたしは自分の仕事もあるのに彼に話を聞きに行った。
「ハンバーガーが食べたかった」
「そんなの、退院してから食べりゃ良かったじゃない」
「入院してる時じゃないと、食べてダメになったら分からない」
いや、そもそもインシュリン自己注射の前に血糖値測定もしてるんだから、今までの頑張りなんだったんよ……と思った。
それでも、彼は食の欲求に勝てなかった。好きなものを食べて死にたいと思ったのか、あまりにもリハビリで改善しなくて、どのみち仕事はしないからいいけど、これじゃ推し活に行けないと悟ったのか、とにかく暗かった。
また母親から泣きの電話が私へ名指しで来たが、今回は助けられないかも……と正直に伝えた。
結局、母親は電話越しで泣いていたが、医者からも強制退院の指示が出て3日後に彼は病院から出た。
幸い、私に毎日文句を言われて実施したインシュリン注射と血糖値測定は出来ていたし、面倒くさいと思いつつ母親用に血糖値と糖尿病のパンフレットも渡した。
母親からの話だと、叱られた事の無かった彼が入院で初めて葛藤し、私に散々叱られた事でかなり人間として成長したらしい。
40過ぎて叱られたことがないってどういう教育なんだよ、と正直この母親の態度に呆れたが、当時の自分の環境を振り返るのあの方の家庭も似たようなもんか、と何となく腑に落ちた。
若いから体の動きに関しては日常生活で取り戻せたらいいなと思う。