Doll計画(2)〜彼のメモより〜 葵の忘却のアポカリプスより
Doll計画(2)〜彼のメモより〜
doll。それは数多の生物を生み出した神への謀反であり、造れと言われて簡単に造れるものではない。
男が造り上げたプロトタイプのdoll以外は目を開ける事も無かった。何百、何千という破棄作を経ても。
赤字にしかならない人型Lタイプのdoll計画は中止となり、コストを抑えたロボットのボディと電脳回路チップを流用した簡易doll計画へ以降する。
ロボットは合成金属で造られたメタリックボディ。簡易電脳回路チップを用いて造られたdoll一号機は無事に起動成功。
dollとロボット。果たして何が違うのだろうか。男が続ける簡易doll計画に、その答えがあると信じて。
◇
一号機は更なる改良を経て量産体制に着手したものの、途中で回路の不具合が発生して同じタイプの二体目を作る事は出来なかった。
様々な機能を簡略して作られた後続の二号機は増産されたが、プロトタイプや一号機に全ての面で劣る。
とはいえ、メタトロン帝国が何を求めたかだ。
別に地上の人々の助けだけならば二号機で全く困らないだろう。
男は数多のdollを世に出し、ふと誰かの夢を思い出す。
──確かに人々の生活はdollの普及により豊かになった。しかし、ひとはそれを当たり前と感じ、dollに対しての感謝の心を次第に忘れていった。
それは自分の望んだ結末ではない。
己らが出来ない事を、dollはあくまで代行しているのだ。どうして当たり前の心、感謝の気持ちを忘れてしまったのか。ロボット達もそう、感謝の気持ちを忘れられて乱雑に扱われるが故に壊れるのだ。
まるで男の不満を代弁するかのように、ある日突然一号機が暴走した。
全てが黒いdoll。
黒い魔物に喰われて飲み込まれた一号機は地上の作物を踏み潰し、ただ吼えた。
地上の人々は奇怪な黒い一号機の行動をただひたすら恐れた。このままでは、自分達も食われるのではと。
突然出現する黒い魔物。あれは一体何なのだろう。男は本気で悩んだ。このままでは折角起動に乗り始めた二号機も黒い魔物に喰われてしまうのでは。
折角の研究も大切な我が子も魔物なんぞに奪われるのは御免だ。そうなる前に眠らせよう。
男は五体の二号機を回収し、電脳チップを凍結化する事に成功。彼女らは安らかな笑顔のまま眠りについた。
これでいい、これで黒い魔物に襲われる事は無いだろう。
一号機を喰い殺し、“黒いdoll“と化した魔物はさらにあちこち徘徊した。が、結局ひとは襲われなかった。それは男が施した電脳チップの命令がそうさせているのか、はたまた一号機の心がひとを襲ってはいけない、と認識していたのか。
人々の不安は抑えきれず、いよいよ男も腰を上げた。そもそもdollは自らが撒いた種だ。エデンへ救済を求めたのは地上に住む人々の為。エデン、地上関係なく人々を救わなければこの世界に未来などないのだから。
──どうせ直ぐにエデンは動かないだろう、とタカをくくっていたが、一刻もしない内に彼らは地上へと降りてきた。
赤いマント。メタトロン帝国英雄の象徴たる赤は、記憶の片隅にある誰かの血の色にしか見えない。
赤いマントを翻した騎士らは黒き魔物と化した一号機を消滅させた。悲しいかな、男は愛すべき我が子が塵一つ残さずに消えたのを眼の裏に焼き付けた。
何があろうとも、この悲しい光景を忘れてはならない。ひとの為に造ったdollが、ひとの手により消滅するなど。
暫く一号機が消えた場所で瞑想に耽った男はよろよろと重い足取りで研究所へと戻った。
何か異変を察した男は眉間の皺を深くした。記憶の片隅に追いやった嫌な事が過ぎる。
真っ白い顔、周囲に飛び交う血飛沫。
そして、男を自害へと追いやった赤いマントの騎士ら。
男が見た光景は、違う世界──夢でみたものとあまりにも酷似していた。ひとつだけ違うのは、二号機のボディに“血は通っていない“という事のみ。故に機械の弾け飛んだものは散乱していたが、白い壁が赤に染まるということは無かった。
「あ、あああ……」
何故、歴史は繰り返すのだろう。
何故、未来は変わらないのだろう。
何故、私は選択を間違えたのだ。
男の気配に明らかに気づいていたはずだ。なのに無言のまま去ろうとした赤マントの騎士に怒りが込み上げる。
冗談じゃない、何が英雄だ、何が!
男は全力で騎士に体当たりをした。鎧が当たり自分の肩の骨が砕け散ったが、そんなものはどうでもいい。
体格差もまるで違う。屈強な肉体を持つ騎士に勝てるはずはない。それでも、男は素手で何度も騎士のつけた仮面を殴りつけた。自分の手が砕けて血塗れになろうと、ただただ獣のように咆哮した。
この痛みは、喰われた一号機の分。
この痛みは、騎士に殺された二号機の分。
この痛みは、守れなかったNoahの分。
ノア?
ノアと言ったな、私は今。
男が手を止めた瞬間、騎士は何事も無かったように立ち上がり、男を突き飛ばすと召喚した門へと消えた。
元々、彼等が地上に来たのはあの黒い魔物を祓う為だ。他に興味は無い。そして、無害なひとの命を奪うというミッションは課せられていない。
──だから去ったのだ。
どうせならば、情けなどかけずdollと共に屠って欲しかった。“あの時“と同じように。
男はそれからdoll計画を完全に封印し、研究所も封鎖した。
「は。はは……」
もう二度とdollは造らない。やはり、あれは神への謀反なのだ。ひとがやるべき所業ではない。
生まれた命を大切に、新たなる命を、ひとが勝手に産み出して良いものでは無いのだ。
◇
(また、あの夢か)
銀髪の男はこめかみを抑え、ふと横にあるメモに手を伸ばした。かつてdoll計画を実施していた“過去“の自分。その記憶が間違いなく中に残っている。だからこそ、彼が復活させたかった人型LタイプのNoahを創造する事に成功した。
それからこの悪夢だ。
いくらメタトロン帝国からdoll計画を再始動してくれと頼まれても首を振る事は出来ない。
「お師匠様ぁ〜、なんだか体調が悪そうですぅ……」
心配そうにこちらを覗き込む何も知らされていない彼女。ボディは唯一のdoll、そしてL-Noah(レノア)という名前、存在も、全て造られた記憶である事も。
いつか彼女に真実を伝える日が来るだろうか。
──いや、わざわざ伝える必要はないか。彼女は既にひととして生きている。彼女こそ、ひとよりもひとらしい感情を持っている最高のdoll。
今度こそ、絶対に一人にはしない。何を賭けても彼女を守ると誓った過去の自分に。
「ああ、私は問題ないよ。今日は【礫】に呼ばれているから少し時間がかかりそうだ。レノアは貧民街のサポートを頼む」
貧民街の話をすると、レノアは嬉しそうに顔を綻ばせる。
「わかりましたぁ〜! あの小煩い金髪の坊っちゃまと遊んできますねぇ」
多分、地上から選ばれた【焔】候補の一人、リーシュの事だろう。
「あまり虐めるなよ。彼は金の卵になるのだから」
「虐めていませんよぉ〜。では行ってきますぅ〜」
地上の人々を救うべく立ち上がり、そして同じ人により殺されるという不憫な死を遂げたNoah。彼女が新たなるボディと魂を経て、この時代で幸せそうに微笑む事と、それを見守って過ごせる事。
今のディオギスにとって、それが何よりの幸せである。