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Doll計画(3)葵の忘却のアポカリプスより

Doll計画(3)

「ディオギス=マイデン……か」
大神官は分厚い住民リストを閉じ、深い溜息をついた。彼の素性は全て謎とされている。かつてDoll計画に勤しんでいたクレセント大神殿出身の同じ名前を持つ男と同じ。しかし、それでは実際に存在している彼と年齢が噛み合わない。不老不死でもない限り。
しかし、かの男は生涯伴侶を持たなかったと言われている。Doll計画に人生の全てを捧げ、ついに完成した“プロトタイプのdoll、人型Lタイプ-Noah(ノア)“
しかし過去のフレイアに消されてしまい、データは何処にも残っていない。
フレイアがdoll計画を知り、研究所諸共破壊したのか。そして、民には手を上げない筈の彼らが一般市民である“彼“を始末したのか。

「ディオギスはイリア様に深くご執心なようです」
「……あの御方を動かすのは難しい」
ディオギスを呼ぶ為にイリアという餌は欲しいが、彼女はそもそもクレセント大神殿所属という訳ではない。









「お師匠様は忙しいのです! オトコワリします!」
「それを言うなら“お断り“じゃないのかねぇ……」
呆れたようなツッコミにレノアはほうきを握りしめて頬を膨らませた。
「む、むぅっ……ヒトの言葉は難しいですね……オトコワリします! お掃除の邪魔ですぅ〜!」
プロトタイプdollの魂を引き継いでいるレノアは匂いに敏感であり、少しでも邪なものを感じた瞬間、それを主の敵と認識する。
難点は、面会に来る人物の名前を先に伝えなければ、全ての人間をほぼ追い返してしまうことくらいだろうか。
「わ、我々はメタトロン帝国の者ではない、クレセント大神殿の遣いぞ。かような無粋な扱いは──」
「お師匠様とお会いする約束があるんですかぁ?」
クレセント大神殿という名前にぴたりとレノアの手が止まる。男がほっとしたのも束の間で、純粋な瞳に射抜かれると心臓が鷲掴みされているような錯覚を覚える。
dollと言え、細身の少女。ぱっとみただけならばハッキリ言って負けるような相手ではない。しかし、純粋な圧力は男を狼狽させた。
「あ、あるぞ。ほ、ほら、これがカシム大神官殿からの勅命書で」
「う〜ん。レノアは難しい事分かりません〜。紙を出すってことはぁ〜約束じゃないですよねぇ🎵」

満面の笑みを浮かべた少女は両手でほうきを軽く振り上げ、勅命書を持つ男の隣に居た神官をえいっ、と薙ぎ払った。
声もなく遠くまで吹き飛ばされた男は一体どこまで飛んだのか。
次は自分だろうか、と勅命書をカタカタ震えさせたままもう1人の男は大量の脂汗を浮かべ、生唾を飲み込んだ。
「貴方もぉ〜嘘はダメですぅ〜。お仕置きが必要ですよぉ〜?」
「ち、ちちち違う! 嘘じゃない。カシム大神官殿がお前のお師匠様に会いたがっているんだ! そ、その日取りを相談したくてだなあ……」
震える声で漸く要件を伝えるとレノアはほうきを下に下ろした。
「だ、そうですぅ」
「──手荒な真似をして申し訳ありません。シャール神官長、お怪我はございませんか?」
中から静かな声と共に銀髪の男が顔を出した。目的の姿を確認した瞬間、一気にシャールはつかつかと詰め寄り吠えた。
「お前は、一体dollにどういう教育を施しているのだ!我々はカシム大神官の遣いだと言うのに……!」
「レノアは、武器を持つ者を敵と認識しております。お隣にいらっしゃった方は神官ではありませんよね?」
「うぐっ……」
手荒な真似をするつもりは無かったが、もしもディオギスが素直にクレセント大神殿まで来なければ、と用心で雇った傭兵だ。
初対面であるレノアに神官の区別がつかないとは言え、匂いで彼が神官ではないと察したのだろう。
シャールも護身用にナイフを携帯しているので、それを悟られていたら先程の傭兵と同じ扱いを受けたかも知れない。
一度大きく息をつき、わざとらしく額の汗を拭い、勅命書をディオギスへ乱暴に手渡した。
「──イリア様が、私をお呼びなのですか?」
「そ、そうだ。そろそろ月詠みの日が近い。doll計画について知るお主に意見を聞きたいと」
ほんの僅かだが、嬉しそうに口角を上げたディオギスだったが、その一言で表情を曇らせた。右手でぐしゃりと勅命書を握りつぶす。彼の無言の返事に、シャールは全身がひたひたと冷えていくのを感じた。
やはり、癖の強いこの男を簡単に動かす事など出来ないのだ。昇進に繋がると思い安易に引き受けた事を今更ながら恥じるも、時は既に遅い。
「私の崇拝するあの御方を、嘘に使うなど許されない事です。これはカシム大神官の指示ではありませんね」
シャールが最後に見たのは、満面のレノアの笑顔だった。愛くるしいくりくりの瞳と、さらさらした黒い髪の毛がふわりと目の前で揺れ動いた瞬間、そこで記憶は完全に途切れた。











「シャールが勝手に動いたか。まあ、捨て置けば良い」
部下の報告にカシムはくくっと小さく笑った。己の信念で生きているディオギスは、イリアに直接命令でもされない限り、味方に引き込むのは無理だろう。
とは言え、別に急いで味方にする必要もない。彼が愛してやまないイリアが此処に居る限り、敵対してくる事は100%あり得ないのだから。
doll計画の全貌は彼の頭の中にしか残されていない。万が一ディオギスが“招かれざるもの“に襲われた時、彼の頭脳を保護しなければ、dollを生み出す術が完全に無くなってしまう。

“招かれざるもの“が何処を襲うかなど検討もつかない。

──突然出現して“生物“を喰らう異形なる存在。

それが現れるのが今日なのか明日なのか、それとも数年後なのか──。
そして“招かれざるもの“が一体で出現するのか、複数で出現するのかも不明だ。
大量に出現した敵がディオギスの下に向かったとしたら?
それでもメタトロン帝国は彼を守らないだろう。それ程dollを重要視しているとは思えない。それに、彼一人に割くべき戦力も無い筈。
「……仕方がない、次の星詠みの際にイリア様のご機嫌を伺ってみるか」
「レノアがいるから大丈夫だよ?」
防音完備されているドアの奥から少女の声が聞こえた。まさかと思い、カシムは表情を引き締めたまま謁見室のドアを開き、目の前に立つ灰色の髪の少女に視線を落とす。
「……もしや私の独り言が聞こえておりましたか?」
「ううん、ぜーんぜん。シャールが大怪我したって話聞いたから。とにかく、ディオギスにはレノアが居るから大丈夫だよ」
「万が一、という事がございます。ディオギス卿はアルカディアの宝なので」
「手伝って欲しい事があるなら、わたしが直接行くよ」
ニコニコと屈託ない笑顔を浮かべるイリア。年齢も不明な彼女が条件として出すものはたった一つ。
「……報酬は、“彼“との面会ですか」
「正解!さっすが〜、本当にカシムは話が早いね。リーシュに逢えるなら手伝うよ。だから、ディオギスを呼びたい時はわたしに声をかけてね」
ルンルンスキップしながら白いモフモフと嬉しそうに部屋に戻る少女の背中を見送り、カシムは漸く息を吐き出した。

彼女が一方的に想いを馳せているメタトロン帝国の一介の騎士リーシュも見た目はごくごく普通の青年。
ひとつだけ例外なのは、彼がエデンの人間ではなく、ゲートを通じて地上からフレイアの騎士見習いとしてスカウトされたという事くらいだろうか。
中立の立場を取るクレセント大神殿が、帝国に居る騎士にコンタクトを取る事は非常に難しい。まさかそれがディオギスを得る為の交換条件になるとは。





しかしカシムの頭痛の種は思いも寄らない方向で片付く事となった。
ストラテジー】の読みが外れ、リーシュと呼ばれる青年が禁忌を犯した事で一時的に“招かれざるもの“への接触禁止令が発令された。それと共に、クレセント大神殿にて彼のチェックと浄化を依頼されたのだ。
最大の難関であるディオギスとの対話と、イリアのご機嫌取り両方を一度に叶えたカシムは神に感謝しつつ、久しぶりに眉間に深く刻んだ皺を大人しくしていたという。

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