拝啓、3人の葵へ 第10話
『なんなんだよ、こいつは! 上げて下とすのか』
気分屋は彼の書く感想に苛立ちを覚えていた。要するに、何も知らない人間が文章の突っかかりだけを毎度非難していくのだ。
あの頃のわたしはその多大なる優しさに気づくことはできなかったが、一読者、しかもわたしのファンとして葵という一人の人間が成長する為の厳しい指摘をしてくれていた。
しかし、ひょんなことから彼はわたしの一番の理解者となる。
◇
『それで、恭の作品はどうなの?』
「更新、一か月停滞中。一話が進むのに二ヵ月も酷い時は半年かかったりするね」
彼は推敲に莫大な時間をかけている。何度も何度も自分で読み直し、文字につっかかりがあるとそこを修正するまでは次に進めないのだ。感性だけで執筆しているわたしとはまるで正反対の書き方だった。
しかし、あの作品は強烈な色を放っていた。今まで作品を読んで作品から訴えたい色を見た事はない。
じゃあ何色だ?と聞かれても困るが、間違いなくあの作品は色を放っていた。そして、わたしを世界に引き込む魔力。
『ウチよりも凄い妄想しないで』と妄想族の葵にツッコミを入れられた。
そして彼に拒絶されたにも関わらず、震える指で再びメッセージを送る。
すると今度はオフラインで小説を書こうかと思っていると返事が来た。
彼は自分の作品に対する熱意が高く、どうやったら読んでもらえるのかあれこれ試行錯誤した結果、わたしと一緒に営業のような忖度をしてから完全にSNS疲れをしたらしい。
そして、わたしのような熱狂的ファンから作品の先を熱望されることの喜びと苦悩。
事ある事に、彼は「俺は、小説家にはなれへんのや」と呟いた。
何故?
わたしと違って明らかに語彙量も多い、勧めてくれた小説は難しい文章でわたしの頭で理解するまで時間を要した。
彼が好きな少し硬派な文字の構成も、作品に対する付き合い方、読者をいい意味で裏切る手法、当たり前だが完全に辻褄のあう設定、キャラの随所での活かし方、読者を唸らせるシーン、どれをとっても良かった。
良かった、という言葉では片付けられないくらいの作品だった。
しかし彼はあちこちに自分の作品を広める人では無かったし、ライトノベル作家を夢見る若者達との表面上の付き合いをこれ以上広めるつもりはなかったようで、突然活動に蓋をした。
「ただ書くのは簡単なんや。いくら熱量を入れたそれが万人受けするかと言えばそれも違う。オレは、オレの作品を、想いをきちんと見てくれる人に向けて書きたい」
その言葉の意図を、当時のわたしは汲み取れていなかった。ただ、彼がこのままオフラインの世界に消えてしまうのは怖かったし、彼の色を失った瞬間、わたしの心が今にも壊れそうで不安しか無かった。
時限爆弾を抱えているようだった。頭がキンキンして視界がぼやける。心臓がバクバクする、今にも破裂しそうなくらい、鼓動がうるさい。
どう伝えたらいい?
どう伝えたら彼に理解してもらえる?
書くことをやめないで。
いつまでも待ってるから、わたしは、貴方の作品が読みたい。
ここまでわたしの魂を震わせておいて、勝手に逃げるなんて、狡い。
『ダメ、そんなに熱量書いたら重い』
仕事で疲れているはずの社交的な葵がわたしのメールを添削し、簡潔明瞭にした。
貴方の作品に触れて、魂を動かされたのは初めてです。あなたの作品に対する想い、姿勢が大好きでした。いつまでも待っているので、まずはゆっくりとお身体をご自愛ください。
それからだ。彼と、『恭』という人と少しずつメール、Skypeでやりとりするようになったのは。
彼はわたしの書く奇抜な設定を好んでくれた。
作品の改善点を的確に指摘し、更によいものへ変えてくれた。それによって明らかに良い反応が増えていること、新たなファンが増えたこと全てプラスに転がった。
彼は自分の執筆時間を失ったが、わたしの作品を推敲することで新しい作品を模索していたらしい。
『推しの作家さんと仲良くなれて、自分の小説をしっかり見て貰えて、あんたサイコーに幸せじゃん』
「幸せだけど、申し訳ないよ……恭さまには、恭さまの作品があるのに」
画面の先には自分の書きたかったローファンタジーの世界が広がっている。けれども、この結末まで導くスキルがわたしには絶望的に足りないのは承知していた。
しょんぼりしていると、妄想族の葵は『全然わかってないな』と呟き、目の前のテーブルに勢いよくコーヒーの入ったマグカップを置いた。
◇
「葵、オレな、一旦オンラインから離れようと思って」
彼がそう言った瞬間、わたしの中で何かが砕けた。ああやはり彼は消えてしまうのか。自分の創作を一旦おやすみします、と宣言していただけに、いつか来ると思っていた結末。
このままでは、彼の作品に永遠に会えなってしまう。ふと脳裏を薫ちゃんが過った。彼女も突然姿を消した。
しかし、彼は実在する人間だ。単純に少し疲れを癒すべく休憩するだけ。
関西に住んでいる。仕事と物書きは趣味レベル、と言っていた彼は完全にSNSに疲れていた。
ネットの世界では一瞬読まれるものの差し障りのない感想しかつかない。彼は少数の読者だらうと、いつか自費出版でほんと数名の理解者に本を渡せるくらいの作品が生み出せたら最高だと言っていた。
わたしは単純に彼には活動を続けて欲しかった。別に毎日更新じゃなくていい、ただ、時々そこに存在してくれるだけで。
どう返答するのが答えなのか悩み、自分の中にいる3人の葵に助けを求めた。
『どうしてやめるの?』
「書きたいものが、書けなくなったんや」
『……それは、葵が恭を追い詰めたから?』
「いや、それは関係あらへん。単純にな、全く新しい試みをしようと思ってな」
彼はSkypeの通話越しでにかっと笑った。マルボロを吐き出す吐息まで聞こえてくる。
あんなに大作一本に絞って活動してきた彼が何を目指すのだろうか。わたしは社交的な葵に全てを委ねて彼の言葉を待った。
「葵、オレと合作せんか?」
予想外の言葉に、わたしの頭で何かが弾けた。
あの時の喜びを、どう表現したらいいかなんてわからない。彼がどうしてわたしに合作の話を振ったのか、それは彼がわたしの苦悩を何度も聞いてくれていた頃まで遡る。
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