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拝啓、3人の葵へ 第6話

◇  6

 妄想族の葵は時々、陸上部の彼を見つける度に騒ぎ立てた。
 彼も意地悪な人間だ。わたしが好意を持っているなんて微塵も感じていないだろう。
 そもそも、彼が意地悪だと勝手に決めつけるわたしが一番人間として欠陥品だろう。だって、彼との恋愛なんて何もスタートしていない。スタートしていないと言うよりも、正直な話、ただみているだけの存在なので彼とこの先何か進展する事は100パーセント無いだろう。

 得た情報は、彼がビーストウォーズが好きだと言うこと。英語と数学が得意で、陸上部にいる癖に、3年になったら理系に行くこと。
 わたしは彼とクラスが一度も同じにはならなかったが、彼と少しでも同じ空気を吸いたくて、昼は理系の教室に駆け込んだ。そこには塾時代を共にした友達と呼べる子達が居たからだ。
 理系女子は変わり者が多い。それは男子にも言える事で、何を考えているのか分からない人が多かった。口数は少ないが、多分頭の中で激しい論争が繰り広げられているのだと思う。
 わたしも同じ部類だから丁度よかった。薫ちゃんという存在に甘え、その先は「気分屋」「社交的」「妄想族」の3つの人格と同居したことで頭の中は常に忙しい。
 何か言葉を発しようとするとまず、「社交的」がジャッジする。

『それはだめ、相手を傷つけてしまう』
『それはだめ、相手の気持ちを汲み取っていない』
『それはだめ、まず相手の言葉から』

『あーあー、うるせえうるせえ、じゃあ、もう面倒くさいから、何も喋らなきゃいいんじゃね?』

 妄想族は好きな人や推しが来ない限り動かないので、基本2人の葵が騒がしい。
 わたしは無だ。だからこそ、基本何かに感動を覚えたり突き動かされる事はない。なので社交的な葵があれこれわたしを《いい人》に頑張って仕立てようとしてくれるのは非常に有難い話ではあったが、正直人との関わりは煩わしいものが多かった。
 結局、気分屋が言うように「じゃあ何も喋らない方がいいんじゃない?」という結論に行き着く。わたしは友達と呼べるグループに存在していても、殆ど誰かと口を交わした事はなかった。唯一、ビーストウォーズの話だけで。



 季節が移り変わり、わたしは看護学校に入学した。勿論、陸上部の彼にトキメキはあったものの、妄想族の葵という新たな人格が形成されたくらいで、他は何も変わりない毎日だった。
 何も変わらない。それこそわたしの望んだもの。親の敷いたレールに乗っかり、無難な仕事について、ひとの言うままに行動する。
 上からの指示通りに動く平坦な毎日。
 自分の意志を必要としないで、ただ言われるままに行動する看護師は実に機械的で最初は向いていると思っていた。
 わたしが看護学校に入った時、教員に呼び出される。

「葵さん、学校楽しい?」
「楽しくなんてないですよ、でも通らないといけないから来てるだけです」

 わたしはクラスの中でも問題児だった。基本喋らないが、社交的な葵のお陰で必要最低限の笑顔と辿々しい言葉だけは話す。
 あがり症なんじゃない、単純に頭の中の論争が追いつかなくて、結局言葉がその瞬間出せないだけだ。

 そんな自分を理解してくれる人は勿論この場所にいなかった。だから孤独なまま1人で過ごす事が増え、教員からもあの子は何を考えているのか分からないから困る、という結論に至ったらしい。

『何か、問題でもありますか?』

 やばい、気分屋が出てきた。わたしは相当イライラしていたと思う。口はへの字に曲がり、目の光には殺気しかない。無駄に時間を奪われる事が嫌で、クラスにいると情報量が多すぎて頭が痛かった。
 常に外部の声を遮断したくて脳内で妄想族の葵に脳内で違う話を展開してもらっていた。実に彼女の考えた話は100を超える。
 教員のお説教を聞きながら、わたしの頭の中では妄想族の葵が考えたシナリオにツッコミを入れていた。

「葵さんね……看護師って、そう簡単になっても辛いことの方が多いのよ。貴方は、根本的に向いてない。辞めるんだったら早い方がいいよ」
『そんなの、勝手に決めないでください。別に赤点取っても救済されてるじゃないですか、何が悪いって言うんですか?』

 言葉尻だけは丁寧だが、わたしの言葉には棘しか無かった。それを悟っているからこの教員はわたしを呼び出したのだ。

「葵さんの看護に、心が無いのよ。だから向いてない。なってから辞めるのは辛いでしょう、だったら早いうちにやめた方がいい」


 家に帰ってからも教員の言葉を思い出しムシャクシャした。しかし言われた事は清々しいくらい実に正論だ。
 心が無いのは仕方がない。わたしは無。人格は3人の葵が繋いでくれているだけで、涙は出るが『ああよかった』という感動が他の人よりも希薄だ。
 泣いている人がいると《もらい泣き》するが、果たしてそれが悲しいからではない。周りが泣いているから、この場面では泣いた方がいいんじゃないか、と勝手に認識しているのだ。
 社交的な葵が教えてくれたのは周りに合わせることだったが、肝心な時に彼女は黙る。さっきも本来ならば社交的な彼女に教員を論破して貰いたかった。でもわたしが放つSOSに準じてくれるのは気分屋だけだった。

 だからわたしは誤解される。感情の起伏が激しく、何を考えているのか分からない。気がついた時にはガラスに触れるような対応しかされなかった。



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