拝啓、3人の葵へ 第9話
◇ 9
「何だ、これ」
『すごいだろ、葵が好きそうなやつだから、ツバつけといた』
本当に気分屋は男前な行動をする。こいつがわたしの彼氏だったらどれほど気楽だろうとこの10年くらいずっと考えていた。
しかしわたしの中の葵達は、現実で飯を食ったり酒を飲んでわいわいすることはできない。
彼(彼女)らは、空想の友達としてわたしの中で勝手に産まれた存在であるとつい最近知った。
今まで何十年も一緒に頭の中で独り言を繰り広げていたものが、既に人格という形で確立していた。
不思議なものだ。普通の人であれば到底理解はしてもらえないだろう。けれども、わたしの中に確かに3人の葵が存在していた。
鏡を見るとその時に出ている葵が顔を出す。鏡にうつる自分の顔が変化している事に恐怖を覚えた時、声も出なかった。だから写真に写るわたしの顔も変わっていた。
どや顔をしていたと思う気分屋の葵がわたしの手を使い、彼のサイトをのぞき見する。
殆ど自分語りをしないその人は、真摯に黙々と自分の作品と向き合っていた。時々書く活動報告をこそっと出すものの、基本個人サイトのようなこじんまりとした印象だった。
わたしは彼の作品を読み、気が付いたら日付が変わっていた。実に8時間、パソコンから動かなかった。
空腹を覚えた時に初めてそれだけ物語に入り込んでいた事を知った。下手をするとそのままVRの世界に入り込んでいたかもしれない。
それくらい心が、魂が震えた。こんな気持ちは初めてだ。
どう伝えていいかわからない。社交的の葵が出ない限り、わたしの語彙力は全くない。
この馳せる想いを「よかった」と表現するには言葉が足りない。
かと言って暑苦しい感想を述べたところで、はじめましての彼には届かないだろう。
ではどうしようか。感動し過ぎて妙に手が震えた。思うようにパソコンを打つ指が進まない。まるで初めてラブレターを書く気持ちだった。
思い出せ、学生時代にギャグ王を読みふけっていた頃の自分を。
思い出せ、毎年推しの漫画家さんに手書きの年賀状を送り付け、コピーとは言えご丁寧にイラストとコメントつきで返信来た時の悦びを。
行動しなければ、何も始まらない。わたしは何があってもこの作家さんと知り合いになりたかった。思えば、これが狂気的な恋の始まりだった。
ラブレターと言えば妄想族の葵に助けを求める。しかしこいつは気分屋よりも気まぐれで、活動時間が不明だ。突然ぽっと恋愛小説を漁ってぶつぶつ何か言ったと思いきやまた違う作品に移行する。尻軽なのがやや問題あるものの、ウケル恋愛小説を探すのはうまかった。
中にははずれもあったが、彼女に任せておけばバズる作品は何となく推測できたので、時折その作家さんに恋文を送ってくれていた。
お陰で作品を通じて表面上とは言え知り合いが増えた。それはある意味広告塔という人数を増やす意味では大切だったので、わたしにとって都合が良かった。しかし交流に疲れてきたことでわたしは再び孤独の波へと堕ちた。
元々人づきあいが得意ではない性格もあり、途中から交流に疲れ、やめた。それでも、推しの彼にはメッセージを送り続ける。更新する度にどこが良かった、ここが良かったと感想文には書けないほどの愛を送った。それでも彼からの返信はいつも代わり映えのないものだった。それを読んだ妄想族が首を捻る。
『文章が甘いのかしらね、何で彼は反応しないのかな』
「だって、こんなにアクセス数もあって、有名な人なのに、わたしみたいなただの趣味レベルの人間にいちいち構っていられないでしょ」
少しだけ寂しかった。他の知り合いとは和気あいあいとしているのに、わたしに対してはどこか素っ気ない態度だった。その理由はもう一人の仲介者を通じて知る事となる。
彼はわたしの作品を好んでくれていた。ただ、文章のブロックの中で気になる文章が多すぎて、そこがつっかかると先が読めなくなるというのだ。
とある日に彼から来たメッセージに私は左目だけが異常に熱を感じていた。重すぎるメッセージが彼を殺してしまったのだ。重荷である、と言わせてしまった事にわたしはショックを隠せなかった。
どうして毎日メッセージを送り付けてしまったのだろう。今まで差しさわりのないコメントをしても、彼からの返事は同じようなものだったではないか。
表面しか理解しないまま感想を送ったことを恥じた。
もう送らない、彼のことを、彼の作品をこれからも一ファンとしてひっそりと見守ろう。
そう決意したのに、四か月後に彼から再び作品に対して感想が舞い降りる。