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招かれざるものの呪い(葵の忘却のアポカリプスより)

招かれざるものアウトサイダーの呪い

(葵の忘却のアポカリプスより)3569文字



 【へプル】が今期発掘した少年らの中に紛れていた“金の卵“はメキメキと頭角を伸ばしていた。
 18歳という異例の若さ。そして彼の容姿はどこか懐かしささえ感じる。
 ──誰かに似ているような。けれども一向に思い出せない。まるで、その記憶部分だけ鍵がかけられているように。








「何で、俺だけ……訓練が……」
「……規律を乱す人間は真っ先に死ぬ」

 ヴィクトールは精巧な顔を顰め、三度目の深い溜息をついた。彼の重い鎧の下で片手腕立て伏せを課されているリーシュの規律違反は一度や二度ではない。
 元々、彼が皇立アカデミーに居た頃から同室者や同僚と揉めてトラブルを起こしまくっていた事は知っていたが、命を賭ける【フレイア】に入団してもトラブルメーカーになるとは。

 揉める原因は、出生を馬鹿にされた事だ。
 地上から連れてこられた少年達は振るいにかけられ、殆ど【フレイア】入隊どころか、皇立アカデミー入学前の段階で落とされる。
 とは言え、エデン側の都合で連れてこられた彼らをまた適応外という理由だけで地上へ戻すこともできず。
 親と離された子どもらはメタトロン帝国西側にある貧民街でひっそり暮らしているという。

 リーシュはその筆頭とも言える存在で、貧民街で生活しつつ、難攻不落の皇立アカデミーに武術部門の特待生で入学し、【フレイア】への切符を手に入れた。貧民街の民から見た彼はヒーローに相応しい。
 サラサラと風に靡く金色の髪を無造作に束ね、切れ長のブラウンの瞳はメタトロン帝国の行き先と、“不平等“なエデンを壊すという強い意志に満ちている。

 そんな彼は非常にモテる。彼を一眼でも見ようと貧民街に来る貴族のお嬢様同士のトラブルが原因でリーシュが【フレイア】の訓練に遅れたのは数知れず。

「俺の、所為じゃ……ねえ……」
「団長! ほ、報告ですっ!」

 険しい表情を崩さずに腕組みをしたままリーシュの上に乗るヴィクトールにぎょっとした通信兵だったが、己の任務を優先してすぐに面を引き締めた。

「に、西の貧民街側で“招かれざるもの“が出たようで、現在──」
「っ……ざけんな。早く言えっての!」

 どこにそんな力が残っていたのか。リーシュは背中に乗っていたヴィクトールを振り落とし、壁に立てかけていた長剣を取り外へ飛び出した。

「全く──種類は?」
「おそらく強くともC、その他はFランク程度かと」
「──ならば、奴に任せてみるのも良いか」
「で、ですが、リーシュは」

 まだリーシュは魔装具を得ていない。【フレイア】に入隊する絶対条件の一つなのだが、彼だけは色々な武具と契約する際に、精霊神が認めなかったのだ。
 故に、リーシュだけが魔装具を扱う事なく“招かれざるもの“と対峙することになる。
 攻撃の通じない相手に素手で立ち向かうようなもの。はっきり言うと死ににいくようなものだ。
 精霊神が何故リーシュに魔装具を与えなかったのか。彼の外見は同じ名を持つ皇子にあまりにも似ている。彼が使っていた熾天使の剣とやらに何か鍵があるはずだとヴィクトールは睨んでいた。
 熾天使の剣をリーシュ皇子に与えたのは、創世神イリアの生まれ変わりと言われているクレセント大神殿の巫女。
 熾天使の剣は同じ名を持つ持ち主へ還るのではないか。これは、リーシュの命を天秤にかけた非常に危険な決断だが、このまま魔装具を持たないトラブルメーカーを最前線の【フレイア】に配備する事は出来ない。

「──風が動く。問題ない」

 ヴィクトールの瞳に迷いは無かった。









 全ての民を敵国シャルムと謎の魔物、“招かれざるもの“から守るほどの戦力をメタトロン帝国は持たないのだ。
 切り捨てるものと、守るもの。それが徹底されている。貧民街はまさに、前者だ。

「くそっ……こんな時に」

 共に駆けていた馬が灰色の土を踏み締めた瞬間、突然苦しみのたうち回った。手綱を強めに引いたリーシュもそのまま振り落とされる。

「灰色の、雨……」

 頬を濡らしたのは、灰色の雨だった。本来、“招かれざるもの“が去る時に降ると言われているものだが、何故かそれはリーシュと馬の周辺だけ強く降り注いだ。
 雨は強い酸を帯びているのか、馬の皮膚は見る見る焼かれ、黒い泡を吹き出してそのまま痙攣した。
 【フレイア】の鎧は特殊な魔法糸で編まれているので、リーシュは無傷のまま頭に青いマントを被せた。
 何故自分の周囲だけ灰色の雨が降り注いだのか。その原因を探る前に、彼の足元から黒い影が這い寄った。

 汝、力を求める者か?

 聞いたことのない言葉だったが、何故かリーシュにはそう聞こえたようだ。周囲を見渡しても馬の死骸と灰色の雨が降り注ぐ雨音しか聞こえない。いつまでこのマントも持つかわからないので、とにかく雨を凌ぐ場所を探さないと。
 ふと視線を動かすと今度は目の前に女の黒い影が立っていた。影はニタリと嗤いリーシュの体に無数の黒い蔦を埋め込んだ。

 声が出ない、息が吸えない。これが、“招かれざるもの“なのか?
 手も足も出ないまま、こんな簡単に死ぬのか。一体何のためにエデンに来た、思い出せ。何よりも、誰よりも大切な──。

「が、はっ……」

 内臓にも蔦が抉られてきた。わざと急所を外しているのは、このよくわからない敵が人間をなぶり苦しむ様を見て楽しんでいるのだろうか。
 持ってきた長剣を蔦に刺しても虚しい金属の跳ね返る音が響いた。自分の手が折れたと錯覚するくらい痺れて感覚がない。“招かれざるもの“には、魔装具しか通用しないのだ。

 汝、力を求める者か?

 再び謎の言葉がリーシュの脳内に響く。何故この言葉が理解出来るのかはわからないが、この際どうでもいい。

「あーくそっ……当たり前の事を何回もうるせえな……力が欲しい。あいつを──守る力が!」

 ならば、解放せよ。己の血を。

「解放……《召剣・セラフクライム》」

 頭の中にざわついた言葉をそのまま紡ぐ。すると、リーシュの金色の髪は一気に漆黒へ変化し、ブラウンの瞳は燃えるような朱に染まった。

「がっ、あああああっ!」

 色々な記憶と声が逆流する。銀色の男、同じ金髪の青年、そしてどこな見覚えのある小さなプリンセスと、写真でしか見た事のない若きヨハネス皇帝。
 その者、金髪の髪に、同じ顔。同じ風貌、そして穏やかに微笑む若きヴィクトールに、見知らぬ騎士。
 誰だ、お前は誰だ──。心の中に入らないでくれ!

 頭を抱えるリーシュの横で再び蔦が彼の急所を狙ってきたが、力を解放させたリーシュの前でそのようなものは通用しない。
 蔦を操っていた“招かれざるもの“は知恵を持っているのか、リーシュの変貌を見て何かを察したらしい。地面にズブズブと潜り込みその気配、存在全てを消した。周囲に静寂が戻るものの、一度力を解放したリーシュは灰色の地面を転がりながら全身を焼くような強烈な熱と戦っていた。

「くそ……なんだ、よ……これは」

 左手は黒く変貌し、右手は血に塗れている。さらに急所を外した部分に傷があったはずなのだが、その傷は既に塞がっていた。あるのは刺された時の痛みのみ。

「これじゃあ……俺が」

 “招かれざるもの“ではないか。

 不気味なほどの自然治癒力に、灰色の雨から襲撃してきた敵の撃退。そして謎の声により偶然魔装具を手に入れた。喜ばしい功績なのだが、下手をすると彼が化け物なのではないか、と疑われそうな内容のみ。
 特に、もともと地上人であるリーシュらに対してエデンの人間からの風当たりは決して良いとは言えない。

 何とか痛む身体を叱咤し、近くの大きな木の幹まで歩き腰掛ける。安堵の息と共に全身から脂汗が滲んだ。傷は消えているが出血はかなりのものだ。果たしてこれを、命令違反して貧民街の“招かれざるもの“を追ったのに誰にどう伝えるべきか。

「よく頑張ったわね、リーシュ」

 瞳を閉じて体力を回復していると、どこか見覚えのある灰色の髪の少女がふわりと微笑んだ。とは言え、彼女とは初対面のはず。なのに何故かリーシュの心臓がざわついた。先ほど頭の中を駆け巡った他人の記憶だろうか。口を突いて出たのは創世神の名前だった。

「もう休んで。大丈夫、大丈夫──わたしは、貴方を絶対に魔物になんかしないからね」

 穏やかな彼女の声にほっとして、リーシュは瞳を閉じた。左腕の黒い紋章と、頬の黒い刻印、そしてザワザワしていた空気はからりと晴れ、彼の黒く変色した髪の毛も再び美しい金色へと戻る。




 メタトロン歴、358年──

 地上から選ばれた少年は、魔装具《セラフクライム》に認められ、“招かれざるもの“と対峙する。
 それは、エデンと地上を巻き込んだ壮絶な戦いの序曲に過ぎない。


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