拝啓、3人の葵へ 第8話
◇ 8
薫ちゃんの夢も見なくなったわたしは、東京で仕事を始めた。
色々あったが、仕事中は社交的な葵が8時間にこにこと笑顔を作り、ひたすら医者の指示通りに仕事をこなす。勿論、彼女のお陰で違う職種の人と仲良くなることもあった。
ただ、わたしの頭の中はいつもうるさい。仕事をしていても不満があるとすぐに気分屋が口を出す。なので、いくら誘われても彼(彼女)達とどこかに出かけるという事はなかった。
わたしは仕事の疲れで家に帰っても何もしない事が増えた。そしてやっと生活基盤が確立された時に、昔書いていた小説のことをふと思い出した。
ホームページの土台は数年前にサーバーがなくなっていたので、結局無料の広告バナーが鬱陶しい場所を探すしかない。しかしホームページで色々と揉めたり、何も知らない人間に言葉のナイフを突きつけられる事が増え、顔も知らない人付き合いに完全に疲れたわたしはもう少し人との接触が少ない場所を求めた。
『同じもの見たってつまんないじゃん』
気分屋の葵は他者の作品に対しての評価が辛い。いつも機嫌が悪く、わたしの身体を乗っ取っては文句しか吐かない。だが時に正論も言う。じゃあ揉めた時にその正論で論破してくれよと本気で願いたかった。
恋愛小説は妄想族のテリトリーだ。彼女はTL、BL、純愛、何でも読みふけり、気になったものは誰これ構わずアタックしていた。暴走気質なので地味にこいつが一番手がつけられない。
そして社交的な葵は仕事疲れで最近わたしと交代する回数が増えた。仕事中に突然『ああ、つかれた』と話し、そのまま闇に溶けるのだ。
わたしは彼女がふっと消えた瞬間、いきなり身体が重くなり、そのまま心臓の発作を起こして気分を悪くしたこともある。
昔からお付き合いしているただの不整脈だと片づけられてしまいそうなので、具合が悪くても誰にも言えなかった。
「面白いものは、探さないと見つからないよ」
『まず、葵の書きたいもの書いたら?』
珍しく気分屋が嬉しそうに口を開いた。
わたしに創作を勧めてくるなんて珍しい。漫画の時はぼろくそに笑った癖に。
「国語の成績3だし、何も取柄のない感想文しか書かない私が、小説を書くって言うの? 前にも書いたけど、結局ダメだったじゃん」
『葵の作品、薫ちゃんに届くんじゃない? 漫画はダメダメだったけど』
そうだ、わたしは薫ちゃんに届けたい。
でも今のシフトで昔考えていた大きなファンタジー作品を書く力はなかった。エゴサーチの結果、短編の方が痛快でウケルらしい。まず友達も知り合いもない土俵で戦うにはどうしたら良いのか。妄想族の葵が嬉々と動き始めた。
『あんたがファンタジー脳だろうと、そんなのはどうでもいいの。伝えたいところに伝える、そして今ない設定を検索して書くのよ』
「書けるジャンルじゃないものに手を出してうまくいくのかな……」
『バカね、最終的に高みを目指すんだったら、他と一緒の作品書いて何がいいの? あんたはスキルが圧倒的に足りない。だったら、需要のあるものを書いてから自分の上を目指したらいいんじゃない?』
妄想族の言うことは最もだった。彼女は更に先を見据えている。何もない、誰も知り合いのない世界でものを書いたところで誰も読者は居ない。ならば、最初は思い切って書きたいジャンルというものを捨ててでもしがみつけと言うのだ。
わたしは悩んだ。果たして書きたいジャンルでないものを書いたところで、本当に需要はあるのか?
そもそも、国語力すらないわたしに、畑違いのジャンルを執筆したところで誰か読者がつくのか?
結局、わたしは妄想族の言うように需要のある話を書いた。恋愛ではなく、その他という争う相手の限りなく少ない部門で。
そこそこ人に見てもらえ、中でも何人かコメントをくれた。殆どが当たり障りないものだったが、たった一人だけわたしの文章の矛盾点を指摘してくれた人がいた。
この人は一体何者なんだろう、こんなに毎日色々な人が「続き気になります」「一話完結だから面白い」「こういうのリクエストしていいですか?」などそこそこ人気があった。あれが人気になったのは、当時仲良くしてくれた同じジャンルの逆パターンを軸としたドタバタコメディの作家さんの告知や毎度コメントをくれたお陰だ。
コメント欄が潤っていると必然的に人が来る。そのコメントから自分の方に流れるのではないか、というネズミ商法のようなものだ。実際、わたしもコメントをくれた人のサイトに行き、色々な作品を読み、コピペのように営業を続けた。
そんなつまらない作業を眺めていた気分屋がため息をつく。
『そんなに忖度して楽しいのか?』
忖度が楽しいわけないじゃないか。声を大にして叫びたかった。でも、知り合いをまず増やす、社交的な葵が仕事疲れで稼働していない状態で自分が頑張ってまず読者を増やすしか方法が無かった。
段々と書きたい小説とかけ離れた内容と、返信を延々と繰り返し、SNS疲れをしたわたしは、ついに仕事にも支障をきたす。
仕事に疲れたわたしが目にしたのは、暴れ散らした活動報告の内容だった。勿論、わたしが寝ている間に気分屋の葵が勝手に書いたものだ。
生活の中で一番困るのが、自分の知らないところで気分屋だったり、妄想族の葵がそれぞれ推しに勝手にコメントを書いたりメッセージを送ったりすることだった。身に覚えのない返信が来て本気で悩んだのは一度や二度ではない。
今回もわたしはとある作家さんのファンから猛烈に怒られた。内容はわたしが書いている小説の感想で、ちょっとした部分を突っ込みしてきた人だ。名前をみてピンときた。なかなか人の小説に肯定的な文章を書く人はあれど、否定的な感想を書く人は少ない。どうやら、それを気にした気分屋がその人の小説サイトに行き、活動報告にコメントを入れてきたらしい。それのお叱りなのかファンからのクレームだった。
「一体何を打ったのさ……」
『別に、なんか偉そうだからどんなモン書いてるのかと思って』
気分屋はバツの悪そうな顔でそう言った。わたしは否定的な方が何を思ってそう書いてくれたのかなかなか勇気をもって返信する気がなく、当たり障りのないコメントを返していた。それからその人のコメントは来ることは無かった。どうやら、彼が自分で消したらしい。文面が無くて彼のサイトに飛ぶのは苦労したが、別の方に偶然あった活動報告に彼の名前を見つけて飛んだ。
魂を込めた一作品。
しかも壮大なファンタジー。設定はVR。
VRでファンタジー? まだソードアートオンラインが人気の出回る前の世界なので、当時の中でVRファンタジーはなかなか貴重だった。
設定はかなり厨二心を擽る技、3人の主人公はそれぞれ尖った分野があり、VRの世界で出会う人の設定は文面ではライトに描かれていたが、まるで自分がそのVR世界に没入した錯覚に陥った。