古事記の神話 #033(藤沢 衛彦)
三十三 海津見の宮
火照命は、海幸彦として、海の漁が巧みで、善く大魚、小魚をお捕りなされ、火遠理命は、山幸彦として、山野の狩が上手で、旨く獣類、鳥類をお捕りなされた。火遠理命は、その兄神、火照命に、
「互に猟具を易へて、用ひて見よう」
と言つて、三度願つたけれども、許されなかつた。がたうとう漸つととり易へて下された。それで、火遠理命は、漁具を以つて魚を釣つてみると、かつて一尾もお捕りなさらなかつた。あまつさへ、其鉤を海へおなくしなされた。そこで兄神、火照命は其鉤を乞うて、
「狩猟も漁猟も自分の馴れたものがよいから、今はお互に、佐知を返し合はう」
と仰せられた時に、火遠理命は、
「あなたの鉤で、魚を釣りましたところが、一尾も捕れませんで、遂に、鉤を海中に失つて了ひました」
とお話になつたが、兄神は、一向に返せ返せと、おせめなされた。で、弟神はお佩きになつてゐた、十拳剣をこはして、五百の鉤を作つて、その代償をなされたが、兄神は、お取りにならない。また、一千の鉤を作つて、代償なされたが、おうけとりにならないで、なほ、
「もとの鉤を返せ」
と云つた。
兄神に、せめはたられるので、弟神、火遠理命は、海辺に泣き患うておいでなされた時に、塩椎神が来て問ふには、
「あなたのお泣きなさるは、何故ぞ」
命は、
「我は、兄神の鉤と、我が猟具とをとり易へて、釣をしたところが、その鉤を海に失つた。兄神は、鉤を返せといふから、多くの鉤を作つて、代償したが、とらないで、なほそのもとの鉤をよこせといふのである。それで如何したらよいかと思ひわづらつて泣いてゐる」
と仰せられた。塩椎神は、
「私が、あなたのために、善い工夫を致しませう」
と言つて、早速、密に編んだ目のない籠の小船を作り、その船に載せ奉つて、
「私が、その船を押し流しますから、しばらくおいでなされ、さうするといゝ路があります。その道に乗つて行きますと、魚鱗のやうに造つた御殿があります。それが、綿津見神の住まはれてゐる宮であります。其宮の御門のところに行くと、傍の井戸の上に、桂の木が御座いませう。その木の上に、あなたが乗つてお在でなされば、海神の女が、あなたを御覧になつて、何とか、旨くとりはからひませう。」
と教へ申した。
教へられたとほりに、少しお住でになると、悉くその言の如くであつたから、即ち、その桂の木にのぼつておいでなされた。すると、海神の女、豊玉毘売の侍女が、玉の器を持つて来て、水を掬まうとしたときに、井に光輝があつた。振り仰いでみると、立派な丈夫がゐたのて、甚だ不思議な事と思つた。火遠理命は、其侍女を御覧なされて、
「水を呉れ」
と乞はれた。侍女は、水を酌んで、玉器に入れ、命に奉ると、命はそれをお飲みにならないで、頸飾の玉を解いて、口にふくみ、その玉器に唾をはいてお入れなされた。すると其玉が、器についてしまつて、待女の手では離すことが出来なかつた。それで玉の着いたまゝを、豊玉毘売にさゝげた。毘売はその玉を見て、侍女に向ひ、
「若し門の外に、人がゐるか」
とおたづねになると、
「井の上の桂の木の上に人が居ります。非常に美しい丈夫で、わが玉にもまさつて気高うございます。その人が、私に水を呉れと仰せられる故、差上げますと、水をお飲みにならずに、此の珠を唾はいてお入れなさいました。私の手では之を離すことが出来ませぬから、入れたまゝにして、持つて来て献上致しました」
と云つた。
豊玉毘売は、奇妙な事と思召され、出て御覧なされて、大層美しいと感じ、互に見合つた。それで父神に向つて、
「門に美しい丈夫が居ります」
と仰せられた。海神は、自分で出て見て、
「此人は、天神の御子でお出でなさる」
と云つて、内につれて入つて、海驢の皮八重を敷き、亦絁畳八重をその上に敷いて、火遠理命をその上に座らせ、多くの祝儀の品物を準備し、饗応をなし、その女、豊玉毘売を婚はせた。それで三年になるまで、その国に御住居なされた。
火遠理命は、或夜その郷里にありし時のことを思ひ出して、大きな嘆息をなされた。豊玉毘売は、その嘆息をお聞きゝになつて、父神に向つて、
「わが夫の君火遠理命は、三年此処にお住居になつても、平常は何もお嘆きなさることもなかつたのに、今夜、大嘆息を一つなされたのは、何の理由があるのでございませうか」
と仰せられると、父神は、婿君火遠理命に、
「今且、私の女の話をきくと、三年此処にお出でになつたけれども、平常にお嘆きなさることもなかつた。それだのに、今夜大嘆息を一つなされたと申すことでございます。若し、何か理由のあることがありませうか。また此処にお出でなされた訳は何故でございますか」
とたづねられると、火遠理命は、悉しくその兄神から失つた鉤を、是非返せとせめられたといふことを語つた。海神は、そこで、海中の大魚小魚を一切召び集めて、
「若し此中に、火遠理命の鉤を取つた魚がゐるか」
とたづねられた。多くの魚共は、
「此間中、鯛が喉に刺をさして、物を食べることが出来ないと心配して居りますから、必度、彼が取つたのでございませう」
と言つた。
そこで鯛の喉を探すと、鉤があつた。早速取つて、清水で洗つて、火遠理命に差上げる時に、綿津見神が、
「此鉤を兄神に差上げられる時に、此鉤は、游煩鉤、須々鉤、貧鉤、宇流鉤(愁思跳踉、貧苦、癡駿の義)と云つて、後手でお渡しなさい。そして兄神が、高田を作られたなら、あなたは下田を、若し兄神が下田を作られるなら、あなたは高田をお作りなさい。さうなさると、水は私が主配して居りますから、あなたの田にばかり、都合のよいやうにしてあげる。三年の間に、必ず、足神が貧窮になつて了ひませう。若しもさうすることを怨むで、攻めて来られたら、潮満珠を出して水で溺らし、降参したならば、潮乾珠を出して助け、斯様に和戦両様にお苦しめなさい」
と云つて、潮満珠と、潮乾珠と、併せて二個の珠を下され、即座に鰐共を召し寄せて、
「今、天神の御子、火遠理命が、上国へおいでなさらうとしてゐる。誰か、幾日でお送り申して、返事を持ち来すことが出来るか申せ」
とたづねられた。鰐共は、各々身の長さに応じて、日を限つてお答へ申した中に、一尋鰐は、
「私は、一日でお送り申して、返つて参ります」
と申した。そこで、一尋鰐に、
「それなら、汝送り奉れ、海を渡るときに、怕しい思ひをおさせ申してはならぬぞ」
と仰せつけられて、鰐の頸に載せ申して、送り出しなされた。鰐は、その言のごとく、一日の中に送り奉つた。鰐が返らうとしたときに、火遠理命は佩び給うた、匕首をおとりになつて、鰐の頸に著けてお返しなされた。それで、その一尋鰐を、今では佐比持神と申すのである。
鰐は、一切海神の教へた言の通りにして、兄神火照命にお返しなされた。それから後に、火照命は、いよいよ貧しくなつて、乱暴な心を起して攻めて来ようとした。攻めようとした時には、潮満珠を出して、水に溺らし、その苦しみに堪へずして、降参するときは、潮乾珠を出して助け、かく幾度も苦しめたときに、火照命は、頭を下げて、
「私は今より以後、昼夜の番人となつて、お仕へ申しませう」
と申した。それ故、今になるまで、火照命が、水に溺れたときの、様々の様子をして、踊をして仕へ申すのである。
(註)此後、大隅薩摩の隼人は、朝廷に仕へて、宮門を守り、儀式の日には、吠える声をなし、また、国ぶりの歌舞を奏する。此隼人は、此火照命の子孫である。日本書紀の一書には、火照命が、様々の俳優の真似をなし、溺れ苦しんだ様をならひ、潮が足に附くときは、腰をもぢり、腋に至にときは足をあげ、股に至るときは、走り廻り、腰に至るときは、腰をもぢり、腋に至るときは、手を胸に置き、頸に至るときは、手を挙げ、掌を翻へす。その時より今に至るまで、かつて絶ゆることなし、とあるがごとく、その当時の風にならひて、後世朝廷に任へ奉つたのである。
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