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古事記の神話 #037(藤沢 衛彦)

三十七 伊勢津彦いせつひこ

 天御中主尊の御末の方で、天日別命といふ神がありました。神倭磐余彦命が日向国高千穂宮を出でられて、東へ上られたときに、天日別命は、おともをしながら、紀伊国の熊野へ行きました。と、その時、黄金の烏があらはれて、命を導きましたので、大和国に事もなく行きつくことが出来ました。そして、磐余彦命は、長髄彦といふ悪者をうちました。それから、命は、天日別命に、

 「東の方に国があります。あなたが行つて、その国を平らげてくだされたら……」と、おいひつけになりました。

 で、天日別命は、しるしのあるお劔をいただいてから、おいひつけのとほりに、すぐに東国へむけておたちになりました。

 つきますと、その国に神がゐましたので、

 「なんといはれる神でございますか」と、お問ひになりました。

 「わたしは、この国の神で、名は伊勢津彦といひます」

 「天神の御子が、この国を平らげ、しづめるやうにおいひつけになりましたので、わたしが使ひにまゐりました。で、すぐに御子にまつられたいと思ひますが……」

 と、命は、神にむかつて、ふたたびおたづねになりました。

 「わたしが、この国を得ましてから、ながいあひだ住んで居りますから、この国は、あたしのもので、御子のお国ではございません。さしあげるわけにはゆきません」

 と、その神はお答へするのでありました。

 天日別命は、そのことを開かれ、ひどくお怒りになり、軍を起してその神を殺さうと、いはれました。すると、その神はおそれをいだき、畏まりながら、

 「この国は、みんな、天神の御子にたてまつりませう。そして、わたしもこの国から去つて行きませう」と、答へました。

 天日別命は、

 「それでは、この国を去られるについて、何をおしるしになさりますか」

 かさねておたづねになりますと、

 「わたしがこんばん、風をおこし、海の水をなみたゝせて、それに乗つて行きますから、それをもつて、わたしがこゝを去つたものとお思ひくだされ……」

 かやうに、神が申されましたので、命はやうやうお許しになりました。

 けれども、天日別命は、もしもまちがひがあつてはとお思ひになられたので、軍士をととのへながらお待ちしてゐました。が、夜がだんだんにふけて行つて、夜なかごろになりますと、急にお風が吹きはじめ、荒波は高くたちあがり、昼のやうに光りかゞやいて、海も陸もともども、明るく照りわたりました。で、命はそれを目にとめられて、伊勢津彦の神が、東の方へ去られたことを知り得ました。で、命はすぐにおかへりになり、磐余彦命に、その国をたひらげて来たありさまを、こまかに申しあげますと、磐余彦命は大へんにお喜びのいろを顔にみせながら、

 「その神の名を、そのまゝとつて、その国の名にせられたい」と、おほせになりました。

 で、その国を、それからのち、伊勢国と名づけられました。

#038 へ続く(👈リンクあり)

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