古事記の神話 #020(藤沢 衛彦)
二十 根の国
そこで、大穴牟遅神は、母神の仰せのまゝに、根の国の須佐之男命の許に、行きたまひ到りたまふと、その女の須勢理比売が出て、大穴牟遅神と、互に眼を見合はせ、媾合せられて還つて家に入られ、その父神に対つて、
「甚う美しい神がまゐりました」
と申した。大神は、御自分で出かけて御覧になつて、
「此者は葦原色許男といふ神である」
と仰せられて、早速喚び込んで、蛇室(一杯に蛇が簇つてる室)にやすませた。こ、に、其妻の須勢理比売命が、蛇の比礼(布帛)を、その夫に交して、
「若し蛇室の蛇が、あなたを喰ふとしたときには、此の布を三度振つて、打ちはらひたまへ」
と仰せられた。それで、その教への通りにしたからして、蛇が自然と静まつた。それで命は其夜中、のんびりと寝て、朝になつて出かけられた。また次の夜は、蜈蚣と蜂の室に入れたのに、須勢理比売が、また蜈蚣と蜂の比礼を交して「前のやうに、教へたので、安穏に寝て、出てしまはれた、こんどは鳴鏑の矢を広い野原に射込むで、その矢を採らせた。そこで、その野に入らせられたときに、火を放つて、其野を焼きかこまれた。それで出る場所がわからずにゐられると、一匹の鼠が来て、
「内は洞洞、外は窄窄」
と斯様に言つたから、その処を踏んで見ると、穴になつてゐて、落ちくぼんだから、そこに隠れてゐる間に、火は焼けて通つてしまつた。ところが、その鼠が、鳴鏑矢を咋へて持出して来て奉つた。しかしその矢の羽は、その鼠の子等が皆、喫つてしまつた。
須勢理比売は、夫大穴牟遅神が、死んでしまはれたのであらうと、哭きながら葬式の道具を持つて来た。父の大神は、勿論、大穴牟遅神は、死んだことと思召されて、その野に立ち出でて御覧になつたときに、件の矢を奉つた。大神も一寸驚かれて、大穴牟遅神を率きつれて、大広間に喚び入れて、頭の虱をとらせられた。それで、大穴牟遅神が、頭を見ると、蜈蚣が多くゐた。ところが、その妻の須勢理比売が、椋と赤土とを大穴牟遅神に授けられたから、その実を噛み砕き、赤土を口にして、共に吐き出しなされた。すすると、須佐之男大神は、蜈蚣を喰ひ殺して、唾ひ出すのであると思召されて、心中に可愛く思はれて、おやすみになつた。そこで、大神の髪の毛を握つて、その部屋の椽毎に結びつけ、五百人もかヽらねば動かぬ程の大石を以つて、その室の入口の戸を押しふさぎ、自分の妻の、須勢理比売を脊負うて、大神の大切にしてゐる武器の生太刀、生弓矢、及び天沼琴といふ玉飾の琴とを取り出して、逃げ出された。その時、その天沼琴が、樹にさはつて、地が鳴りとゞろいた。そのために、ねてゐられた大神が、此のひゞきに驚いて眼をさまし、起き上られたので、その室を引きたふしてしまはれた。けれども、椽に結び付けて置いた、髪の毛を解く間に、大穴牟遅神は、遠くまで逃げ延びなされた。須佐之男大神は、黄泉比良阪まで追つてお出でになつて、遥かに逃げて行かれる大穴牟遅神を御覧なさつて、呼びとめられ、
「お前の持つてゐる、その生太刀生弓矢を以つて、お前の兄弟の八十神達を、阪の下に追ひ伏せ、または、河の瀬に追撥つて、自ら大国主神(国土を主宰する最大の神)となり、また宇都志国玉神(現身でありながら、自分が国の魂となつてる神)となつて、わが女の、須勢利比売を嫡妻として、出雲国の宇迦能山の麓に根張つた岩に、宮柱太く堅固に建て、千木高く空に聳ゆる御殿を作つて、そこに居れ。可愛しい奴よ」
と仰せられた。
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