古事記の神話 #031(藤沢 衛彦)
三十一 笠沙の宮
さて、邇々芸命は、御座すべき国を求めんがため、曠漠なる不毛の地を過ぎて、笠沙の御崎に至り、
「此地は、朝日の照す国、夕日のかがやく地である。住むには、最も善い処である」
と仰せられて、地下の大磐石に太き宮柱を立て、空に向ひて氷椽を高く聳かし、宮殿をお作りになつてお住ひなされた。天孫は天宇受売命に、
「御前に立ちて、仕へ申したる猿田毘古大神を、汝は善く識つてゐるから、此度は汝がその大神を、本国へお送り申せ、またその神の名を、汝が負うて仕へ申せ」
「と仰せられた。それで猿女君達は、猿田毘古神の名を負うて、猿女君と呼んだのである。猿田毘古神は、阿邪河(伊勢国売志郡)にゐた時に、漁をして、比良夫貝(日月貝)に、其手を咋ひはさまれて、海中に沈溺なされた。海底に沈んでお居でになつた時の名を、底度久御魂と称し、海水のつぶたつ時の、都夫多都御魂、沫の立つた時の御名を、阿和佐久御魂と称した。
天字受売命は、猿田毘古神を送つて、伊勢に行つたときに、海中の大魚小魚を、追ひ寄せ集めて、
「お前方は、天神の御子に、仕へまつるか」
と問うた時に、多くの魚共は、皆、
「お仕へ申しませう」
と申した中に、海鼠だけは、返事を致さぬ。天宇受売命は、海鼠に、
「此口が、返事をせぬ口であるか」
と云ひながら、匕首を以つて、その口を拆いた。それで今に海鼠の口が折けてゐる。此より世々志摩国から初物を献上するときには、御女君達に賜ふといふ例になつた。
天津日高日子番能邇々芸命は、笠沙の御崎にて、美しき女に遇はれて、
「そなたは、誰の女であるか」
とお問ひなされた。すると答へて、
「大山津見神の女で、名は神阿多都比売、一名、木之花之佐久夜比売でございます」
とお答へ申した。
「そなたには兄弟があるか」
とおたづねなされると、
「石長比売と申す姉がございます」
と答へられた。そこで、
「私はお前と結婚したいと思ふが、どうであるか」
と仰せられると、
「私は御返事しかねまする。父、大山津見神が、申上げるでございませう」
と申した。
それで、大山津見神に、お申込なされると、非常にうれしがつて、姉の石長比売をも一所にそへて、沢山の御祝の品々を持たせて奉つた。然るに、姉の姫は、甚だしい醜婦であつたから、恐ろしく思つて、送り返し、妹姫の木之花之佐久夜比売のみを止めて、一夜ちぎりをお結びなされた。大山津見神は、石長比売を送り返されたので、殊の外之を恥ぢて、申されるには、
「私が、二人の女を差上げたのには、理由がございます。石長比売を差上げましたのは雨が降つても、風が吹いても、何時までも、びくともしない石のやうに、お変りのなくお在でなされるため、また木之花之佐久夜比売を差上げましたのは、木の花の華やかに咲くやうに、お栄なれませと、誓つて差上げたのでございます。然るに、今石長比売をお返しなされて、木之花之佐久夜比売ばかりを、おとゞめなされたから天神の御子の御寿命は、木の花のやうに、脆くうつろひ散るでございませう」
と申上げた。これからして、今に至るまで、代々の天皇の御寿命は、お長くあらせられないのである。
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