古事記の神話 #034(藤沢 衛彦)
三十四 鵜戸の産殿
彦火々出見命が、海宮より帰りたまはんとする時に、海神の女、豊玉毘売は、自ら出でまして告げたまはく、
「私は、疾くより懐姙して居りましたが、今は出産の時になりました。けれども、天神の御子を、海原に生みまつるべきでないと思ひます、よりて、産むべき時になりますれば、愛しき御君の国に到らんと存じます。風濤急峻からん日に、海辺に産殿を造りてお待ち下さいまし」
と教へたてまつつたので、産火々出見命は、即ち海辺の波限に、鵜の羽を葦草にして、産殿を造られてをつた折、その産殿のまだ葺き合へないうちに、豊玉比売命は海原よりおいでになり、葺合ふを待ちかねて、その産殿におはひりなされた。
そして、御子産まんとしたまふ時に、豊玉比売命は、その夫彦火々出見命に告げたまふやう、
「すべて、他国の者は、臨産時になれば、元の国の形になりて産むものであれば、あなたも、私を見たまふな」
と申された。
その言を、産火々出見命は、奇しと思しめして、豊玉比売命のまさに産みたまふ時に、窃に伺きたまふたところ、豊玉比売命は、八尋和邇に化つて、腹這ひてゐたまふたので、彦火々出見命は、驚き畏れて遁げ退きたうた。
豊玉比売命は、その伺見たまひしことを知りたまうて、うら恥かしとおもほし、
「私は、恒は、海路を渡つて行き通はふと思うてゐましたに、わが事を聞きたまはず、私の形を伺見たまひしことの怍かしさ。また通はじ」
とのたまひ、海阪を塞ぎて、返り入りなされた。これをもて、其生みたまへる御子の名を、天津高日子波限建鵜葦草葺不合命とまをす。
けれども、後は、その伺見たまひし御心を恨みつつも、恋しきにえ忍へたまはずて、その御子を養しまつる縁に因つて、その妹玉依比売命に附けて、御歌をたてまつつた。その歌、
赤玉は
緒さへ光れど
白玉の
君が儀し
遺くありけり
彦火々出見命の、それに答へたまへる御歌、
奥つ島
鴨着く島に
わが率寝し
妹は忘れじ
世の尽に
彦火々出見命は、高千穂宮に、伍百捌拾歳ましました。御陵は、やがて、この高千穂山の西の方にある。
さて、又、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命は、姨玉依比売命に娶ひまして、四柱の御子を生みたまうた。その生みたまへる御子の名は、五腹の命、次に稲氷命、この命は、妣国として、海原に入りましき。次に御毛沼命、この命は、波の穂を跳みて、常世国に渡りましき。次に若御毛沼命、またの名は豊御毛沼命、またの名を、神倭伊波礼毘古命と申上げ、後に、荒ぶる神等を平げて、畝火之白棒原宮にましまして、天下治しめたまうた神武天皇であらせられる。
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