![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168580289/rectangle_large_type_2_dab9b9238d941b3dc7d25eb256f803f7.png?width=1200)
古事記の神話 #022(藤沢 衛彦)
二十二 高志国沼河比売
此八千矛神(即ち大穴牟遅神)が、高志国の、沼河比売と契りを結ばうとして、お訪ねにお出掛けなされたとき、その沼河比売の家に行つて、その家の前で、歌ひなされた御歌は、次のやうである。
八千矛の 神の命は
八島国 妻覓難て
遠々し 越の国に
賢女を 有りと聞して
麗女を 有りと聞して
結婚に 有立し
結婚に 有通はせ
太刀が緒も 未解ずて
襲をも 未解ねば
処女の 鳴すや板戸を
押ぶらひ 吾立有れば
那づらひ 吾立有れば
青山に 鵼は鳴き
野つ鳥 雉は響む
庭つ鳥 鶏は鳴く
慨たくも 鳴なる鳥か
此鳥も 打やめこせね
急飛や 天馳使
事語言も 是をば。
(釈)自分は、日本国中に妻を求めかねて、遠い遠い越の国に、容姿端麗なる乙女ありと聞いて、その女と婚するために、わざわざ此迄たづねて来た。大力の紐もまだ解かず、被り物もまだ解かぬ間に、乙女が音を立てゝ鎖したる板戸を、押したり引いたりして立つてゐる中に、青山には鵼鳥が鳴き、野辺には雉子が鳴き、庭には鶏が鳴き立てる。あゝ口惜しくも鳴く鳥共であるかな、この鳥共をうち悩ましてやりたい。思へば遠い遠い越の国まで、天を馳せる如くに急いで来しものを、此の妻探しの事は、後世まで、語り草となつて伝はるであらう。
そこで、その沼河比売は、まだ、戸をお開けにならずして、内側から、左のやうにお歌ひなされた。
八千矛の 神の命
軟気の 女にしあれば
吾心 浦清の鳥ぞ
今こそは 千鳥にあらめ
後は 和鳥にあらむを
命に 莫死賜
急飛や 天馳使
事の語言も 是をば
青山に 日が隠らば
烏羽玉の 夜は出なむ
朝日の 咲栄来て
拷綱の 白き腕
沫雪の 軟撓胸を
素手抱 手抱拱
真玉手 玉手差纏
股長に 寝将宿
切に 勿恋聞し
八千矛の 神の命
事の語言も 是をば
(釈)八千矛の神様よ、私は軟草のごとく、なよやかなる女の身でありま
すれば、思ふ通りにもなりませぬ。たとへば、丁度、浦の洲崎に立ち騒ぐ鳥のやうである。しかし、心の中は、何となく、今こそは千鳥のごとく、さわいでゐるが、後には、必ず平和なる浪の上に浮ぶ鳥のごとく、安らかにお逢ひ申しませう。今はしばらく深くなげいて死になどし給ふことなかれ。(青山から以下は別首の歌をつゞけたのである)青い山に夕日が落ちると、鳥羽玉のやうな真黒の夜となるであらう。朝日の昇るが如き、拷綱のやうな白い我が腕、沫雪のやうな若やかな我が胸をそと叩き、叩いて互にひしと抱き、繊手をさし纏ひて、股をずつと長くして寝ませうものを。八千矛の神様よ、後世まで此事は永く語草となるでありませう。
其夜はお逢ひなさらず、翌夜お逢ひなされた。
#023 へ続く(👈リンクあり)