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古事記の神話 #030(藤沢 衛彦)

三十 天孫てんそん降臨かうりん

 天照大御神と高木神とは、太子の正勝吾勝勝速日天忍穂耳命に、

 「今、葦原中国が平定したと、建御雷神の復命である。それ故、お身は先に下しし命の通りに降つて往つて治めよ」

 と宣はせられた。

 太子、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命は、

 「私は、降下らうと支度の最中に、御子が生れました。名は天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命と申します。これを下すがよからうと存じます」

 と仰せられた。天忍穂耳命が、高木神の女、万幡豊秋天師比売命に婚して、お生みなさるゝまゝに、日子番能邇々芸命に詔して、

 「此の豊葦原中国は、汝の治むべき国である」

 と仰せられた。邇々芸命は、

 「御命令のとほりに、天降りて、治めませう」

 とお対へ申した。

 日子番能邇々芸命が、降臨なさらうとしたときに、その途なる、天の八衢にゐて、上は高天原を照し、下は葦原中国を照す神がゐた。そこで、天照大御神と高木神との仰せで、天宇受売命に、

 「汝は、かよわき女子であるが、敵に向ひて勝つ神であるから、まづ、汝が行つて、吾が御子の降臨せむとする道に当つて、かうしてゐるのは誰かといつてたづねよ」

 と命ぜられた。宇受売命が命ぜられた通りに、問うた時に、その神は、

 「私は、国神で、名は猿田比古神と申す者である。今此処に出てゐる所以は、天神の御子が、国土に降臨せらるゝと聞いた故に、御案内申しあげようと思つて、お迎へに参上しましたので御座います」

 と申した。

 (註)猿田比古神は、天孫のために、響導となり、伊勢の細長田五十鈴川上に至れりと伝へらる。古史伝に、出雲国島根郡加賀郷にまします、砂田大神を以つて、猿田毘古となせるは、信ずべくもあらぬ。猿田は細田であつて、天細田長田の細田と同様であらう。その子孫は、宇治土公と称して、世々伊勢の豪族であつた。天照大神宮が、伊勢国に鎮座し奉れるに就いては、宇治土公が少なからぬ関係を有してゐた。

 それから、天孫邇々芸命に、天児屋命、布刀玉命、天宇受売命、伊斯許理度売命、玉祖命、併せて五部族の頸に、各々その役目を割りあてゝ、副へて天降らしめられた。

 こゝで、斎つきまつつた八尺勾玉、鏡、及び草那芸剣、また、常世思金神、手力男神、天岩戸別神を副け賜はつて、さて天照大御神は、

 「此の鏡は、もつぱら、わが御魂として、見るごとくに仕へ奉れ。次に思金の神は、これに関する一切のことを、受持つて取斗へ」

 と仰せられた。此鏡と思金神との二柱の神は、伊勢国、五十鈴宮(内宮)に祭り奉れるがそれである。次に登由字気神は、度会の外宮に鎮座し給ふ神である。次に天岩戸別神一名を櫛石窓神、更に他の一名を豊石窓神ともいふ。此神は門を守る神である。次に手力男神は、伊勢国佐那県に鎮座まします神である。天児屋命は、中臣連等の祖先、布刀玉命は忌部首等の祖先、天字受売命は猿女君等の祖先、伊斯許理度売命は鏡作連の祖先、玉祖命は玉祖連等が祖先である。

 そこで、天津日子番能邇々芸命は、天上の御殿を、お離れになり、棚引ける大空の、幾重の雲を押し分け、行き行きて、天の浮橋を打渡りて、筑紫の日向の高千穂の、串触岳(蔵異の儀)に天降りましました。その時、天忍日命、天津久米命の二人は、天の石靱を背負ひ、頭椎の太刀を佩き、天の波士弓を取り、天の真鹿児矢を手挟んで、御前に立つて従ひまつつた。此天忍日命は、大伴連等の先祖で、天津久米命は、久米直等が先祖である。

#031 へ続く(👈リンクあり)

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