古事記の神話 #027(藤沢 衛彦)
二十七 雉子の頓使
天照大御神は、
「豊葦原之千秋之長五百秋之水穂国は、わが子、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命の治むべき国である」
と、仰せられて、天之忍穂耳命を、天降らせ給うた。そこで、命は、天浮橋にお立ちなされて、御覧なされ、
「豊葦原之千秋之長五百之秋之水穂国は甚だ擾いでゐる」
と宣はれ、天上にかへりて、此旨を天照大御神に復命なされた。高御巣日神、天照大御神の御沙汰として、天安河の河原に、八百万の神々をお集めなされ、思金神に思はしめんがために、
「此葦原中国は、わが子の治むべき国と、命ぜられた国である。然るに此国に勢の猛き、荒れ廻る国神共、多くあるとのことであるが、唯を使にして、帰服させたがよからう」
と仰せられた。思金神は八百万神達と相談して、
「天菩比神が、よろしう御座りませう」
と申しあげて、そこで天菩比神をお遣はしになつたが、却つて大国主神に媚び付いて、三年に至るまで復命するところがなかつた。そこで、高御座巣日神、天照大御神は、また諸々の神々に、
「葦原中国に遣はした、天菩比神が、久しく復命致さぬが、今度は誰を遣はしたらばよからうか。」
とお尋ねなされた。思金神は、
「天津国玉神の子、天若日子をお遣はしになつたら、よろしう御座りませう」
とお対へ申した。よりて天之麻迦古弓、天之波々矢(書紀には、天鹿児弓、天羽羽矢とある)を、天若日子に下されて、お遣はしになつた。天若日子は、その国に下つて、大国主神の女、下光比売と婚し、またその国を自分のものとしようと考へて、八年になるまで、復命を致さなかつた。
天照大御神と、高御巣産日神とは、また神々に、
「天若日子が、久しく復命致さぬが、誰を遣はして、天若日子が久しく滞留する訳をたづねさしたらばよからう」
と意見をお問ひなされた。諸々の神々及び思金神は、
「雉名鳴女が、よろしう御座いませう」
とお対へ申したから、
「汝が往いて、天若日子に、お前を葦原中国に遣はしたのは、その国の荒れ廻る神共を、帰服させようとのためである。然るにお前は何故に八年になるまで復命しないかと問へよ」
と仰せられた。鳴女は、天より降つて、天若日子の門にある、湯津楓の木の上に止まつて、天神の詔を悉しく伝へた。天佐具売、此鳥の声をきいて、
「此鳥の鳴声は、甚だ宜しくないから、射てお殺しなさい」
と天若日子に、すゝめたから、天若日子は、天神から賜はつたる天之波士弓、天之加久矢を取つて、其雉を射した。すると、その矢は、雉子の胸を射透して、遂に射上げられて、天安河原にお在でなされる、天照大御神、高木神の御許にとゞいた。高木神とは、高御産巣日神の御一名である。高木神が、その矢を取つて、御覧なされると、その矢の羽に血がついてゐた。
「此矢は、天若日子に与へた矢である」
と高木神は仰せられて、神々に之を見せて、
「苦し、天若日子が、命令に反かないで、悪神を射た矢であるならば、天若日子にあたるな。たゞし、彼に悪しき心があるならば、天若日子は、此矢で死ね」
と仰せられて、その矢をとりて、もとのところから、御投げ返しになると、胡床に寝ねてゐた。天若日子の胸にあたつて、天若日子は死んだ。またその使の雉子が返らないから、今日でも、返事のないことを、諺に雉子の頓使といふのは、此故によつてである。
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