古事記の神話 #035(藤沢 衛彦)
三十五 石上神剣
神倭磐余彦命が、長髄彦といふわる者をお撃ちにならうとして、紀伊国熊野の村へつきましたとき、命の前に大きな熊がすうと出たかと思ふうちに、すぐに消え失せてゆきました。が、その熊があらはれたことによつて、命はにはかに様子がをかしくなられて、お伏しになりました。たいていその熊の神気にでもあたりになられたのでありませうか。命にひきつゞいて、おつきであつたところの皇軍のたくさんの兵士の方たちも、病み伏さねばならぬ身体になりました。
ちやうど、その時、そこには熊野之高倉下といふ方がありましたが、その夢によりますと、天照大御神高御産巣日命の二桂の神は、建御雷命をお召しになられ、
「豊葦原の中国は、いまひどくさわいでをります。荒振国神どもが、たくさん起つて、わが御子のみ軍の途を防がうとしてをります。その葦原の中国は、あなたがおたひらげになられた国ですから、建御雷命よ、いますぐにお降りになり、わが御子の皇軍をお助けになられ、荒神振たちを打ちはらつて、滅ぼしてしまはれよ」とおいひつけになりました。
「わたしが降りませんでも、わたくしが、ずつと昔、葦原国を平げたときに用ゐました横刀がこゝにございますから、これを、高倉下の倉のいただきをうがつて、そこからおとしいれてやりませう」と、建御雷命はさうお答へしました。そして、すぐに高倉下にむかひ、
「倉のいたゞきをうがつて、この横刀をいれますから、朝目よくとりもつて、天神の御子に、横刀をたてまつていたゞきませう」と、お教へになりました。とすぐに夢から、目が覚めました。
高倉下はその夢で教へられましたとほりに、夜が明けると、先づ一番に、その倉の中を見ますと、横刀がありましたので、それをもつて磐余彦命のおやすみになつてゐるところへ行き、たてまつりました。命はうけとられますと、熊野の山の千早振、あらぶる神々を、お手づから、お切り仆されました。と、いままで、病の床にありました皇軍は、残らずさめて起きあがることが出来ました。
で、この横刀の名を佐志布都神といひまた、甕布都神とも、布都御魂ともいひますが、いま、大和国の石上の社にお祀りしてある神は、とりもなほさずこの神のことであります。
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