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古事記の神話 #012(藤沢 衛彦)
十二 橘之小門檍原
伊邪那岐大神、黄泉国より還りたまうて、後に、其黄泉国に到りたまひしことを悔いたまひて、御楔して吾身の汚穢を滌ぎはらひ浄めんとのたまひて、その御禊したまふべき地を求めて、先づ阿波の門に至り、又速吸の門に到りて見たまへば、潮流甚く急く、これによつて、「此二つの門は潮流いたく急し」とのたまひて、筑紫の日向の橋之小門之檍原に到りたまひ、御楔せんと思ひて、先づ其御身に著けたまへる物を投棄てたまひしかば、其物によりて、十二柱の神が化生でたまうた。
その投げ棄てた御杖からなり給うた神を、衝立船戸神
次に投げ棄てた御帯からなり給うた神は、道之長乳歯神
次に投げ棄てた御裳からなり給うた神は、時置師神
次に投げ棄てた御褌からなり給うた神は、和豆良比能宇斯能神
次に投げ棄てた御冠からなり給うた神は、飽咋之宇斯能神
次に投げ棄てた左の御手の手纒からなり給うた神は、奥疎神、次に奥津那芸佐毘古神
次に奥津甲斐弁羅神
次に投棄てた右の御手の手纒からなり給うた神は、辺疎神、次に辺津那芸佐毘古神、次に辺津甲斐弁羅神等の神々である。
(以上は船戸神から辺津甲斐弁羅神まで、十二柱の神々は、身に着け給ひし物を、脱ぎ棄て給ひたるによりて生りませる神々である)
そこで、
「上の瀬は、瀬が速く、下の瀬が弱い」
と仰せられて、初めて中の瀬に下り、水中にて御身を洗ひ浄めなされた時に、なりました神は、
八十禍津日神
大禍津日神
であつた。此二神は、彼の穢れの多き国に御出でなされて、その穢れから
お生れになつたのである。次にその拠れを直さむがためにお生みなされた神は、
神直日神
大直日神
伊豆能売神
次に水底にてお身を洗ひ給ふときにお生れなされた神は、
底津綿津見神
底筒之男神
の二柱で、水の中程にてお身を洗ひ給ふ時に、お生れなされた神は、
中津綿津見神
中筒之男神
である、また水の上にてお身を洗ひなされたときに、お生れなされた神は、
上津綿津見神
上筒之男神
此三柱の綿津見神は、阿曇連等が、祖神として祀る神である。阿曇連等は此綿津見神の御子宇津志日金拆命の後裔である。また底筒男命、中筒男命、上筒男命の三柱の神は、墨江(摂津国住吉)の三社の大神である。
それよりして、左のお眼をお洗ひなされたときに、お生れなされた神は、
天照大御神
右のお眼をお洗ひなされたときに、お生れなされた神は、
月読命
お鼻をお洗ひなされたときに、お生れなされた神は、
建速須佐之男命
(以上八十禍津日神よりして、建速須佐之男命に至るまでの十四神は、お身を洗ひ浄め給ふによりてお生れなされた神である)
#013 へ続く(👈リンクあり)