古事記の神話 #038(藤沢 衛彦)
三十八 丹塗矢
山城国の賀茂神社は、日向国高千穂峰にお降りになりました賀茂建角身命をお祭りしてあります。この神は、神武天皇が東の方を御征伐に行かれるとき、その御軍をお引きつれになり、大和国へ行かれました。そこの葛木山にしばらくのあひだおとゞまりになつてゐましたが、ほど経て山城国岡田の賀茂へ行かれ、そこを流れてゐた山城川に沿つておくだりになつてゐますと、葛野河と賀茂河とがおちあつてゐるところにつきました。
命は、賀茂川を見られながら、
「この河は、小さいけれども、きれいな河である」と、おほめになりましたので、それからのち、石河瀬見小河といふやうになりました。命はそれから、だんだん川をおのぼりになり、久我の北方の山本といふところに、おしづまりになりましたので、その時から、賀茂神社といはれてをります。
賀茂建角身命は、丹波国神野の伊賀古夜姫命をおよびよせになられたので、まづ最初に、玉依彦命をお生みになり、ついで玉依姫命をお生みになりました。と、その玉依姫命があるとき、れいの石河瀬見の小川のほとりで、おあそびになつてゐました。すると、川上から丹望矢がひとつ流れて来ました。で、玉依姫命はそれをひろひあげて家に持ちかへりました。そして、床のところにさして置きました。と、それがもとで、たうとう、おはらみになり、男の子をお生みになりました。その御子が大きくなられましたとき、御祖父建角身命は、八尋屋を作り、八つの戸扉をかため、八醞酒をつくつて、神々たちをお集めになりました。よろこびのあそびは七日七夜つゞきました。建角身命は、そのとき、御子にむかひ、
「お父うさんと思はれる方に、このお酒をおつぎなさい」
と、おいひつけになりました。
御子は、すると、すぐにその酒づきを挙げ、天にむかひながらお祭をはじめました。それがら屑根の甍をやぶつて、天にのぼつてしまひました。さうして、屋根の甍をやぶつて、おのぼりになられたので、外祖父のお名をとり、賀茂別雷命とまをしあげました。それから、その丹塗矢になつて流れた、お方こそは火雷命なのでありました。また、蓼倉にある三井社は、賀茂建角身命と、伊賀古夜姫命と玉依姫命のお三方をお祀りしてあるといひ伝へられてをります。
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