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古事記の神話 #004(藤沢 衛彦)

四 生島足島

 そこで、伊弉那岐、伊弉那美の二柱の神は、御相談あつて、

 「われ等が生みたる子は、いづれも宜しからぬ。されば天神の許に参りて、この由申しあげるであらう」

 とて、共に天神の御許に参りて、その御沙汰を乞ひ給うた。天神は太占にて占ひて、

 「女が先に物言ひたるによりて宜しからぬ、再びかへりて、やり直して見よ」

 と仰せられた。

 そこで、二神は、反り下られて、更めて天御柱を先のやうに廻はられた。今度は伊邪那岐命の方から先に、

 「ああ、美しい女子よ」

 と仰せられて、それから後で、伊邪那美命が、

 「ああ、美しい男よ」

 と宜うた。かく御言葉をかけ合ふことを竟へられ、夫婦の契りをなされて、御子淡道穂之狭別島を生み給うた。

 次に伊予の二名の島を生み給うた。此島は身一つで、面が四つあつて、面毎に名がある。一面は伊予国で愛比売といひ、一面は讃岐国で、これを飯依比古といひ、また一面は阿波国で、これを大宜都比売といひ、更に他の一面は土佐国で、これを建依別といふ。

 次に隠岐の三子の島を生み給うた。またの名を天忍許呂別といふ。

 次に筑紫の島を生み給うた。此島は身一つで面が四つある。その中で筑紫国を白日別といひ、豊国を豊日別といひ、肥国の建日向日豊久士比泥別といひ、熊曽国を建日別といふ。

 次に伊岐の島を生み給うた。此島はまたの名を天比登都柱といふ。

 次に筑紫の島を生み給うた。此島はまたの名を天之狭手依比売といふ。

 次に佐渡島を生み給うた。

 それから次に、大倭豊秋津島を生み給うた。此島はまたの名を天御虗空秋津根別といふ。それで以上八つの島は初めに生み給うた国土なるによつて、これを合はせて大八島国といふのである。

 それから後に、還つて来られた時に、吉備児島を生み給うた。此島はまたの名を建日方別といふ。

 次に小豆島を生み給うた。この島はまたの名を大野手比売といふ。

 次に大島を生み給うた。この島はその名を大多麻流別といふ。

 次に女島を生み給うた。この島はまたの名を天一根といふ。

 次に知訶島を生み給うた。この島はまたの名を天之忍男といふ。

 次に両児島を生み給うた。この島はまたの名を天両屋といふ。

 (吉備児鳥から天両屋島まで併せて六島である)

 其他の処々の小島は、皆潮沫の凝りて成れるものであつた。

 大八島国の御霊は、これを生島足島または生国足国と呼ばれる。

#005 へ続く(👈リンクあり)

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