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古事記の神話 #019(藤沢 衛彦)

十九 因幡いなば素兎あかはだうさぎ

 この大国主神の御兄弟は、非常に多くあつたけれども、これ等の兄弟の神々は、国を大国主神に譲つて退いた。その故は、かういふ次第である。この兄弟の神々は、稲葉(因幡)の八上比売に結婚しようと思つて、皆皆稲葉にむいた時に、大穴牟遅神に袋を脊負はせ、従者として、つれて往つた。ところで気多の崎に来ると、そこに、毛の無い赤裸の兎がねてゐる。神々は、その兎に、

 「お前は、海の潮を浴び、風に吹かれて、高小山の尾の上に、臥てゐるがいゝ」

 といつた。兎はその教に従つて、臥て居ると、潮が乾くと共に、皮が風に吹き裂かれたから、痛くて泣き伏してゐた。そこへ大穴牟遅神が、最後においでなされて、その兎を見て、

 「なぜお前はなき伏してゐるのか」

 とおたづねなさると、兎は、

 「私は淤岐(隠岐)の島にゐまして、この国に渡りたく思ひましたが、渡ることが出来ませんから、海の鰐を欺して、わたしとお前と、仲間の数の、多い少いを比べよう、それでお前は、お前達の仲間の、ありとあらゆるものを、悉くつれて来て、此島から気多の崎まで、ならんでゐるがよい。わたしはその上を飛んで数をかぞへて見よう、さうすれば私の仲間と、どちらが数が多いといふことがわからう。とかういひますと、鰐はだまされて、並んでゐるところを、私はその上を、ピョイピョイ飛んで、いよいよ陸に上らうとする時に、お前は私にだまされたといひますと、一番端に臥てゐた鰐が、私をつかまへて、私の着物を剥いでしまひました。それで泣いてゐますと、あなたより先に通りかゝつた多数の神々が、海の潮を浴び、風にあたつて、臥て居れとお教へなされました。それでその通りいたしますと、此通り体を傷ひました」

 と申した。これをきいて、大穴牟遅神は、その兎に、

 「早く河口に往つて、真水でお前の体を洗ひ、河口にある蒲の花を取つて、まき散らし、その上に、臥てゐたらば、お前の体はもとのやうになつて、なほるであらう」

 とお教へなされた。兎はそのとほりにすると、体は元のやうになつた。これが稲葉の素兎といふものである。兎神ともいふ。この兎が大穴牟遅神に、

 「御兄弟の神々は、誰も八上比売を自分のものとすることは出来ません。袋を脊負つておいでなされますが、あなたは屹度八上比売をわがものとなされます」

 と申した。

 八上比売は、果して、兎の告げたてまつりし如く、八十神に答へて、

 「わたしは、お前さん方の言葉は、きゝませぬ。大穴牟遅神の妻になりまする」

 といつたから、兄弟の神々は怒つて、大穴牟遅神を殺さうと相談し、伯伎国手間(伯耆会見郡、天万郷)の山の麓に往つていふのには、

 「此山に、赤猪がゐる、われわれが、追下すから、お前は下に待つてゝ、それを捕へよ。若し捕へなければお前を殺してしまふ」

 とて、猪に似た大石を、火で焼いて、上から転ばし落した。大穴牟遅神は、つひ行つて、それを捕へた時に、その石に焼け爛れて、お死なされた。御母神、刺国若比売は、悲しみ泣いて、天に上り、神産巣日命にお頼みなされると、蚶貝姫(赤貝)と蛤貝姫(蛤)とを差遣はして、お助けなされた。蛤貝姫は、その殻を削つて焼きこがし、蛤貝姫は貝中の水を出し、乳汁を塗るごとく、大穴牟遅神の身に、塗つたから、美しい壮夫となつて、また元のごとく歩行なされた。

 兄弟の神は、これを見て、まただまして山に連れて行き、大木を切つて、二つに割き、その間に楔を篏めて、大穴牟遅神をその間に入らしめ、楔を抜いて、挟み殺した。母神は、泣きながら、捜しにおいでなされ、これを見て、その木を割いて取り出して、蘇生させ、

 「お前がこの処にゐると、遂に兄弟の神々のために殺されて了ふであらう」

 と仰せられて、木の国(紀伊)の大屋毘古神(須佐之男命のお子、五十猛神と同神であらう。此神は、父神、須佐之男命と共に新羅国においでなされたと、日本書紀に見えてゐる。また木の種を諸国に分布して、遂に紀伊国においでなされた。樹木の種を分布せられた神が、お在なされた国故、木の国とは名付けたのである。木材は家を造るを主とするがために、大屋毘古の名もお持ちなされたことと見える。旧事紀には、五十猛神又は大屋毘古神といふと見えてゐる)の御許に、急いでお遣はしなされた。兄弟の神々は後から追ひかけて来て、箭で射て取らうとなされたら、大木の下にかくれて、その間から脱け出てお逃げなされた。母神は、また大穴牟遅神に、

 「須佐之男命のお在でなされる根の堅洲国に行くがよい。屹度大神が善い工夫をして下さるであらう」

 と仰せられた。

#020 へ続く(👈リンクあり)

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