古事記の神話 #017(藤沢 衛彦)
十七 八岐大蛇
須佐之男命は、高天原を追放はれて、出雲国の肥の河の川上なる、鳥髪の地にお降りなされた。丁度その折しも、箸がその河を流れ下つて行くのを御覧なされた。そこで、須佐之男命は、これは河上に住む人があるのであると思召されて、尋ねたづねて、川上にのぼつてお出でになると、翁と妨とが二人して、一人の少女を中に置いて、泣いて居つた。それを見て、命は、
「お前達は何者であるか」
とおたづねなさると、その翁は、
「わたくしは、此国の神、大山津見神の子で御座いまして、名は足名椎と申します、して妻が名は、手名椎、少女が名は、櫛稲田姫と申します」
と答へた。命は重ねて、
「それで、お前の哭くのは、如何なる訳か」
とおたづねなさると、足名椎は、
「私共は、もと八人の少女がございました。ところが、こゝに、高志の八俣大蛇といふものが、御座いますが、それが毎年やつてまゐりまして、一人づつ少女を喫ひ、たつた一人残つたこの少女も今また喫ひに参る時節で御座いますから、それを思うて、悲しむで泣いて居るので御座います」
と答へ申した。命が、
「その八俣大蛇の形は如何様か」
とおたづねなさると、足名椎は、
「はい、その眼は酸漿のやうに紅く、身体は一つで、頭が八つ尾が八つ御座います。またその身体には蘿、及び檜、椙などが生ひ茂り、その長さは、谿八谷、峰八峰に亘る程長く、その腹を見ると、すつかりいつも血が染んで、真赤にたゞれて居ります。」
と答へた。
須佐之男命は、その翁に対はれて、
「これが汝の少女ならば、俺に呉れないか」
と仰せられると、足名椎は、
「御言葉は、畏れ多う御座いますが、誰方で被在すか知りませんから」
と答へ申した。命は、
「俺は、天照大御神の弟であるが、今高天原から、降つて来たところである」
と仰せられた。足名椎と手名椎は、
「然様で在らせられまするか、それなら畏れ多いことです、早速差上げませう」
と白しました。そこで、須佐之男命は、その少女を櫛に化してしまつて、御自分の髪に挿され、足名椎と手名椎に対はれて、
「汝等は、八塩折(何度も絞つてかもした)の酒をつくり、また、垣根を作り廻はし、その垣根に八つの門を作り、門毎に八つの桟敷を架け、その桟敷毎に酒槽を置き、槽毎にその八塩の酒を湛へて待つて居よ」
と仰せ付けられた。
仰せつけられた其通りに、支度をして待つてゐると、八俣大蛇が果して翁のいふた通にやつて来た。そこで、八つある酒槽の、その槽毎に、各々自分の首を差し入れて、酒を飲んだ。やがて酔が廻つて、其場に倒れて寝てしまつた。折こそよけれと、須佐之男命は御佩けになつてゐた十拳劔を抜いて、その大蛇をずたずたに切り散らされたので、肥の河は血になつて流れた。
ところで、大蛇の中の尾を切られた時に、御劔の刄が少し損じたので、不思議なことと思召されて、御釵の切先を以つて、その尾を割いて御覧になると、都牟刈之大刀(鋭く切れる大刀)があつた。そこで、此大刀をお取上げになつて、珍奇な物となされて、天照大御神に献納なされた。これが後世にいふところの、草薙大刀である。
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