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古事記の神話 #014(藤沢 衛彦)

十四 天津罪

 御子の神々は、各々父神の仰せに従つて、お治めなされたが、建速須佐之男命は命ぜられた国を治めずに、八握髯が胸のところまで生える程成長しても、足摺りしてお泣きなされた。あまりにお泣きなされたがために、青山を枯山に泣き枯らし、海川は悉く泣き乾された。

 それ故悪神共が騒ぎ立てた声は、五月頃の蠅が湧き騒ぐが如くで、種々なる妖気がおこつた。伊邪那岐大神は、須佐之男命に、

 「何故汝は、わが命じたる国を治めずに、その様に泣きむづかつてゐるのか」

 と仰せられると、須佐之男命は、

 「私は母神のお居でなされる根の堅洲国(根は下の底の義で、堅洲国とは片隅の国の義である)に参らうと思つて泣くのでございます」

 と答へられた。伊邪那岐大神は、大いにお怒りなされて、

 「さらば汝は、此国に住むな」

 と仰せられて、追放らはれた。此伊邪那岐大神は、近江の多賀にお出でなされる。

 それで、須佐之男命は、

 「然らば姉神なる、天照大御神にお暇乞をいたしてまゐりませう」

 と仰せられて、それより高天原に上つてまゐられるときに、山も川もすべて震動し、国土が一切震れ渡つた。天照大御神は、此の物音をお聞きになつて、非常にお驚きなされ、

 「わが弟神の上つて来るは、決して善い心ではあるまい。わが治むる国土を奪はうとするのであらう」

 と仰せられて、即ち御髪を解きほごして、御角髪(男髷)に結びなほされ、左と右の御角髪にも、また御曼にも、左と右の御手にも、みな八尺の勾玉を沢山に糸もて貫き通したる飾珠をまきつけ背には千入の靱(箭を千本盛りて負ふ器)と五百入の靱とを着け、また臂には勢よく音のする竹鞆、(弓を射る時左の手につける物)を帯び、弓の末を振り立てゝ、力足踏み占め股のあたりまでかくるゝ程に大地を踏みつけ、庭の堅土を粉雪の如くけちらし、建速須佐之男命を待ち受け給ひて、声はり上げて勢鋭く、

 「何しに上つて来られたのか」

 と宣はれた。すると、須佐之男命は、

 「私は決して少しの邪心をも抱いては居りませぬ。私が泣きむづがつて居りましたれば、御父伊邪那岐大神が、私の泣きむづかる故をお尋ねになりましたから、私は私の妣の国なる、根の堅洲国に参らうと思つて泣くと、お答へ申上げたところが、大神は、さらば汝は此国に住むなと仰せられて、追放されましたから、これより母の国に参らうと思ひ、此旨をあなたに申上げお暇乞をしようと存じまして、上つてまゐりました。決して異心を挟んではをりません」

 とお答へなされた。天照大御神は、

 「その心の潔白なることは、如何して知れようか」

 と仰せられた。須佐之男命は、

 「さらば、互に誓をして、子を生みませう」

 と御答へ申した。

 さて、そこで天照大神と須佐之男命とは、各々互に天の安の河を中に挟んで、誓をなされる。その時天照大御神は、まづ、須佐之男命の佩びて居られた、十拳劔を乞ひ受けられて、三段に打折り、さらさらと音立てながら、天の真名井に於て振り滌いで、かみにかんで吹き棄てた、その吹く息の霧の中に、生れました神は、多紀理毘売命で、またの御名は奥津島比売命と申上げる。次に市寸島比売命、またの御名は狭依毘岐命と申上げる。次に多岐津比売命であつた。

 それから此処は、須佐之男命が、天照大御神の、左の御角髪に懸けてお居でになつた、八尺の勾玉の沢山を糸で貫いてくゝつた飾珠を乞ひ受けられて、さらさらと音立てながら、天の真名井に於て振りそゝいで、かみにかんで吹き棄てた、その吹く息の霧の中に、生れました神は、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命であつた。また左の御角髪に懸けてお居でになつた、珠を乞ひ受けられて、かみにかんで吹き棄てた、その吹く息の霧の中に、生れました神は、天之菩卑能命であつた。また、御鬘にかけてお居でになつた珠を、乞ひ受けられて、かみにかんで吹き棄てた、その吹く息の霧の中に、生れました神は、天津日子根命であつた。

 また、左の御手に懸けてお居でになつた、珠を乞ひ受けられ、かみにかんで吹き棄てた、その吹く息の霧の中に生れました神は、活津日子根命であつた。また、右の御手にかけてお居でになつた、珠を乞ひ受けられて、かみにかんで吹き棄てた、その吹く息の霧の中に、生れました神は、熊野久須毘命であつた。

 (以上併せて五柱である)

 そこで天照大御神は、建速須佐之男命に向ひ給ひて、

 「この後から生れ出でた五柱の男神は、わたしの物を種として出来たものであるから、当然、皆わたしの子であつて、前に生れ出でた三桂の女神は、汝の物を種として出来たものであるから、それはすなはち汝の子である」

 と、斯様に分けて仰せられた。で、前に生れ給うた三柱の女神の中、多紀理毘売命は胸形(筑前国宗像)の奥津島に御出でになる。次に市寸島比売命は、胸形の中津島に御出でになる。次に田寸津比売命は、胸形の辺津鳥に御在でになる。此三柱の神は、胸形の君達が、祖神として祀る大神である。後でお生れなさつた五柱の神の中、天菩比命の子、建比良鳥命、武蔵国、上海上国造(上総国海上郡)下海、上国造(下総国海上郡)伊自牟国造(上総国夷隅郡)、対馬県直、遠江国造等の祖神である。

 次に天津彦根命、凡河内国造(河内)額田部湯座連(大和か河内)茨木国造(常陸)倭田中直、山城国造、馬来田国造(上総国望陀郡(未詳)周防国造、倭淹知国造、高市県主(大和)蒲生稲寸(近江国蒲生郡)、三枝部造等の祖神である。

 そこで、速須佐之男命は、天照大御神に向つて、

 「私の心が潔白で御座いましたから、私の物を種として生んだ子は、皆柔順なる女神でありました。これで申しますれぼ、当然私が勝ちました」

 と仰せられて、勝に乗じて、天照大御神の作つて御在でなされる田の畔を壊し、溝を埋め、また新穀を聞食さるゝ御殿に、糞を放り散らされた。けれども天照大御神は、少しも咎めだてをなさらずして、

 「糞を放た様なのは、あれは酒に酔うてした反吐であらう。又田の畔を壊し、溝を埋めたのは、土地を溝や畔にして置くのは、惜しいとて、わが弟神がさうしたのであらう」

 と弁護をなさつて、お在でになつたが、それでも、その悪行を止めずして、盆々甚しくなつて行つた。天照大御神が、不浄物を忌む機織場に御在でなされて、機を織らせなされた時に、その機織場の棟に穴をうがちて、そこから逆剥にした、血だらけの班馬を堕し込まれた。その時、機織の女子は、それを見て驚いて逃げようとした機端に、狼狽のあまり、梭でかくし部を衝いて、死んでしまつた。

 天照大御神、これによつて大く怒りたまひて、

 「汝なほ黒き心あり、相見るを願はず」

 と、建速須佐之男命にのたまうて、天之窟に入りたまひて、其窟戸を閉したてゝ幽れてしまはれた。

 (この、須佐之男命の、高天原に坐まして犯したまへる種々の罪を、天津罪といひ、後の世に、六月十二日の大祓に祓ひたまひ浄めたまふ罪である)

#015 へ続く(👈リンクあり)

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