相手の成長を自分のエゴで潰さない ~コラム②~
今日は少し気温が上がり、昨日までの寒さからホッとする一日でしたね(^^)
今回は、『自分と相手の間の境界線』についてお話したいと思います。
コラム①の話から派生することなのですが、
誰かからやってほしいと頼まれたことや、助けを求められた場合、あなたが「自分のためにやりたい」「自分が好きだからやりたい」と思えることなら、基本的にやってOKなのですが、
もし、「相手のために」や「頼まれたから」という自己犠牲の気持ちが少しでもあるのであれば、その行動は間違えかもしれない。(というか間違えであることがほとんど)
ということなのです。
言い換えると、
相手が、自身の成長のために取り組まなければいけない課題を、自分の「相手の役に立っている嬉しさ・優位さ」というエゴで、その課題の横取りをして、相手の成長を阻害している
状態になっているということ。
私の職場や業界では、よくこの状態が起きているな~と日々感じています。
最初は気前よく、相手に頼まれたことをやっていて、だんだんと相手からの依存が大きくなり、ついにはその依存に耐えられなくなって、モンスター扱いする場合がとても多い・・・
簡単に相手に頼むことに慣れた人は、同じことを繰り返す傾向があります。そして、だんだんと要求が増えてきて、増えてきた段階でこちらが断ると、今までやってくれてたのに、なんでダメなんだ!と他責にすることを誤学習してしまうわけです。
これは、友達関係でも親子関係でも同じことが言えると思います。
特に、親子関係などの血筋のつながりがある場合が一番難しい。。。
「親だから」「子どもだから」「家族だから」、言われたことをやったり、助けるのが当たり前。。。と思いがち。
一見正しそうだけど、本来の、人間としての成長(歳に限らず)や自立を考えると、逆行する形になっていることも多々あるのではと私は理解しています。
自分の過去を話すのはかなり不得意なのですが(-_-;) 一つのパターン例としてお伝えすると、
私の父がよく、「おまえのために」と、私が望んでいないことでも、父が良かれと思ってやってくれることが多く、「いらない」と言っても、「おまえはバカだから分からないんだ。俺の言うことを聞け」と否定される始末。
あまりにその圧力が常時かかるので、学生時代は面倒くさくて、基本は父の言いなりにしてました。(お金も力もなかったですし)
社会人になったら少しは収まるかと思ったら、全然収まらず、実家をなんとか出た私の家に度々勝手に登場するし、職場のことにも口を出してくる始末。
こらあかんと、何とかしようとしても、なかなか人の話を聞く耳を持たず、話をしようとしても意見が平行線で、折り合いがつかない。そして最終的には恫喝されたり否定される。。。
そんな状態が35年位続きました。
そんなこんなでしたが、私も仕事柄、徐々に相手との間に境界線を引くというスキルを身につけ、とにかく、相手がなんと言おうと、自分が嫌なところは嫌であると伝え、頼まれても出来ないことは出来ないと伝え、その一線を死守する。(頼まれごとで自分がやったほうが良いと思うことはやる)
その頼まれごとは、相手自身が解決すべき問題ではないのか? 自分を思い通りに動かしたくて言ってきているのではないか? 他責にしようとしてないか?と、冷静に分析し、
境界線を引く(ルールを決める)ことを諦めるのではなく、境界線の位置を相手と共有する努力をする。そして、正しい方向に導くための方策を探る。
特に、相手と、境界線がどこにあるかをしっかり共有することがとても大事です。
ということを今なお続けています(・_・;)(何年やれば気が済むんだという気持ちですけど)
慣れてないと、この境界線を引くという作業はとても大変なのですけど、相手の成長のためにも、自分の成長のためにも、とても大事なことです。
風の時代の精神性を凝縮するためにも、この作業を意識してやってみると、新たな発見があるかもしれません。。。
コラム③に続く(^^;
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