地獄の44歳

1980年に生まれた44歳。

その呪われた人生を見ていこう。

1980年、昭和55年に産まれた僕たちは、何も知らず世に飛び出した。
日本の経済は右肩上がり。バブル経済に一直線に向かっていく時だ。

1989年
 昭和天皇が崩御。 9歳なのでよくわからないが、昭和64年の硬貨が貴重なのは覚えている

 消費税が初めて導入された。現在のように消費税込みの価格を表示する決まりもないので、9歳の私たちにとって3%の消費財分を計算するのは困難だった。
 いつも買っていたアイスを50円玉を握りしめて買いに行ったが、消費税がかかるので51円だと知り1円を取りに帰る。その途中で自電車で転び大怪我を負う。

 1990年〜1994年

 ドイツ統一、ソ連崩壊、55年体制崩壊、村山連立政権誕生などなど政治の世界でも大きな変化が起きていた。
 10歳〜14歳 小学生高学年〜中学2年生になる年。
 テレビでぼんやりと「なんかやってた気がするなぁ」くらいにしか覚えていない。そんなこと言ってられなかった。
 バブルが崩壊。
 バブル経済の崩壊で一気に日本の景気は減退。生活のレベルは大きく落ち込んだ。実際に周りでは車を売ったり、生活が困難になる友達一家も見てきた。
 ここから30年。実質的な経済の復興は果たされていない。僕たちの人生は大きく歪んだ。

 1995年
 僕たちは中学2年生から3年生に上がる年だ学年でいうと中学2年の1月17日午前5:46 阪神淡路大震災が起きる。
 産まれて初めての大災害。近畿地方の人にしてみれば恐ろしい記憶は消えないだろう。東海地方に住んでいた僕も、その時間に目が覚めた。朝のニュースでとんでもないことが起こった、ということは覚えている。その後、関西地方から転校してきた同級生も何人もいる。
 
 3年生になって行く修学旅行の行き先が変更となった中学校も多かっただろう。

 震災のニュースがまだ冷めやらぬ3月20日、日本中に激震が走る。地下鉄サリン事件だ。連日報道がされ、麻原彰晃が捕まるまで毎日テレビでその放送を見ていた。 オウム真理教の歌は今でも歌える。

 4月になり、中学3年生となった僕たちはオウム真理教の話で持ちきりだった。それ以上に6月に行く修学旅行に変更があった。
 本来、都内分散を行い電車で行き先を決めて班で行動する予定だった。その練習として2年生の時に名古屋市内で電車に乗って市内分散活動を行った。その練習は霧散した。地下鉄サリン事件の影響で全てバス移動となった。 とりあえず東京に行くことができてよかったのかもしれない。

 大阪がなくなって東京になったけどそれの変更。そんな中学校もどこかにはあっただろう。

 ちなみにあまり知られていないが、ゆとり教育のスタートは私たちの世代である。「競争しない」とか「円周率がおよそ3」のようにメディアで大きく取り上げられていないが、私たちが中学生の時に「解の公式」はなく理科も今よりはだいぶ浅いレベルだった。

 そんな僕たちも高校受験を経て晴れて高校生となった。 この高校時代は最も平和だったかもしれない。

 私たちの生活には大きな変化があった。中学の3年ごろからポケベルを持つ友人が増え始めて、高校1年生の時にはクラスの半分以上の生徒が持っていた。
 高校2年生になるとそれがPHSに。高校3年生では携帯電話が主流となった。今のスマホを「ケータイ」というのはこの時代の名残で、バリ3、ポケベル文字などの言葉を使っていたのは僕たちだ。
 

 大きな出来事はなかったが、震災•サリン事件の影響は尾を引き復興などに大きな時間がかかることとなった。
 
 1999年 私たちは大学生となった。ノストラダムスの大予言も逆に落ち着き、あまり話題に上がらなかった。むしろ2000年を迎える盛り上がりと2000年問題でいろんなものが止まるんじゃないか、と懸念が広がっていた。
 2000年に20歳。なんともめでたい気がする年だ。

 次は就職。いよいよ社会に出て行く。人気があるのは大企業と銀行系だった。特に携帯電話会社などはいち早くインターネットでのエントリーや入社説明会に参加申込を行った。 家にPCがない家も多く、あっても通信が遅いのでエントリーをしようと思っても「待機中」となって繋がったと思ったら全ての説明会は満席となっていた。
 街に出来てきたネットカフェが通信が速いと聞いてわざわざ通ったものだ。おしゃれなカフェにはiMacが置いてあってかわいかった。

 そんな2001年9月11日アメリカで同時多発テロが起きる。 大学3年生の時だ。アメリカの影響を受けて日本の景気も一気に減退。企業は急激に求人を減らしていった。 いわゆる2003年就職の過去最低の就職活動と言われるのは我々の世代だ。
 実際の友人には100社近くの説明会と就職試験に参加していた。

 今とは真逆で求職者数の方が多い状態。学生の時にあるバイト先は選ばなければいくらでもあったが、時給は800円台。600円台も普通に見受けられた。確かに物価は現在の方が上がっているが、今が時給1,000円だとすると25%上がっていると言える。物価はそこまで上がっていない。 いつも金欠だった。

 社会に出ても言われるのは「代わりはいくらでもいる」という言葉。入社して研修として1か月半の期間、研修施設で過ごす。朝6:00の起床。部屋を綺麗にして6:30からラジオ体操。朝食をとり研修開始。夜19:00まで研修を行い、その後は自習が22:00まで。
 現代では驚きの研修だが、2週間もすれば慣れるもので人間の慣れの方が自分でも驚いた。 
 
 研修が終わると朝8:00までに出社して新聞をコピーして先輩たちの机に置かなければならないので7:30前には出社していた。仕事が終わるのは早くて19:00。
 これは一般企業だ。

 ちなみに私が転職後に入社したある塾業界の企業は勤務時間が16:00〜22:00と書いてあった。
 実際仕事を始めると朝9:00から仕事を始めて22:00に授業が終わる。そこからさらに仕事で帰るのは朝3時を回ることは週の半分以上。2月中旬から次の休みが6月最初の週。それも肺炎になって金曜の夜に倒れ、救急車で病院へ、土曜日にどうしても休めない授業があるからと点滴を打って午前3時に帰宅。7:00に起きて9:00からの授業を行った。18:00ごろ再度体調が悪くなり病院へ搬送。1週間の入院と診断されたが、優しい上司は「日曜は休んでいいよ。月曜日から頑張って」と言ってくれた。 異世界に召喚されてもおかしくない。

 ブラック企業は現在では「本当にあるの?」とか、ちょっと待遇が悪いだけでブラック企業と言われるが、そんなもんではない。生死を彷徨うレベルがブラック企業だ。

 不景気の影響で内部留保が増え給与は上がらず、少し景気が上向いてきたと思えば、コロナが流行しまた給与が上がらない言い訳ができた。
 
 それでも物価は高騰し、税金は上がり続ける。
 いわゆる働き盛りの我々に働く気力は残っているのだろうか。

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