20歳の夏
あの頃の私たちは溶け合うくらい同じになることが必要で、それが私たちの生きる術だった。
バイトをしようと思って応募したのだけれど、不安で涙が出るので応募を辞退した。
辞退してからしばらく苦しくて布団でもがいて涙を流していた。
それでもやっぱりお金が欲しいのでまたバイトに応募した。
お金って愛の数値化だって歌う志磨遼平のことがあんまりよく分からなかったけど、今はちょっとだけ分かる。
面接に行って、帰ってきてからも苦しくて布団にうずくまった。
もう落ちてしまえばいいな、と思った。
過去のことをずっと考えていて、過去を清算するために今を生きている気がする。
何歳になったら楽に生きられるのかな。
40歳くらいかなあ、なんてぼんやりと考えている。
小山田壮平がいま幸せそうに生きているのがなのが希望なのか絶望なのか分からない。
分からないけれど、ただただ嬉しいなと思う。
私の痛さもそうやって消えていくのだろうか。
最近は腕の傷を隠していなくても不安じゃなくなった。
もちろん長袖はとても安心するけれど、コンビニくらいなら半袖でアームカバーもしないで出かけられるようになった。
もしも生きていけたら半袖で出掛けたい、は今年の夏だった。ひとつ叶った。
まだたまに増えてしまう傷跡と生きていく覚悟はないけれど、いつか生きるために必要だったこの傷を優しく撫でてあげられたらいい。
昔好きだったものが今はあんまり好きじゃない。
中学の、あまりに愚かで幼くて柔らかい時期に好きだったものが、今はもうどこまで行っても思い出でしかない。
それでも時々箱から出してそっと抱きしめている。
中学の苦しかった時期を支えてくれたのは確かにそれで、今の私を形作っているひとつでもあって、好きじゃなくなってもずっと大切なんだろうなと思う。
そういうものが増えることを大人になるというのだろうか。
今もそれは同じ色で、同じ形をしてそこにあり続けている。
いつも最後は外側に開けていたいなと思って文章を書いている。
あの頃の私たちは同じであることに救われて、それでどこか保っていた。
それでも私たちは違う人間で、それぞれ違う物語があって、同じ歌を聴いていても同じことに心揺さぶられていても完全に同じ感情ではなくて、そういう違うところを知れるのが今は嬉しい。
離ればなれの僕らは誰の力も借りずにちゃんと出会えたから、私たちはひとつだって間違っていなかった。
同じところも、違うところも、ひとつだって。
一緒に大人になりたいねって言い合った言葉の重さを、私はまだ忘れていない。