また学校に行けなくなってしまった。 もうとっくに限界だった。 子どもみたいに泣いて喚いて、それでも自分で休むと決められなかった。 休むことを決めてしまったら私はもうなにも頑張れないんじゃないかと思って怖かった。 そんな私の重さが、父の「休んじゃいなよ」の一言であまりに簡単に吹き飛んでしまった。 雨が降っていた。 休めることへの安心感と罪悪感ごと布団にもぐり込んだ。 雨の日は好きだけど、どうしたって元気が出ない。 雨粒が窓を叩く音だけが聞こえて、それをどこか他人事のように聞い
時々、私以外の人がみんな分かっていて私だけが知らないことがある気がして怖くなる。 この前見た映画で「世界は優しいから、そんなに優しくされちゃったらあたし壊れるから、だからせめてお金を払って買うのが楽、たぶんお金ってそのためにあるんだよ」と言っていて、とても分かるなと思った。 世界は思ったより優しくて、私は思ったよりだめで、ねじ曲がった性格が光っている方を選べない。 優しさを上手に受け取ることができない。 優しさを受け取ることを、私が私に許せていない。 私の中学には、卒業す
一度壊れた心はもう元に戻らないのなら、私たちはこれから一体どうやって生きていけばいいのだろう。 そればっかりをずっと考えている。 自分の薄っぺらさを日々痛感している。 つらさを人としての厚みだと勘違いして生きてきてしまった。 言葉にならないと言い訳して言葉にしてこなかった色々なことと泣きそうな気持ちだけを抱えている。 感じていることはたくさんあるはずなのに言葉になって口から出てきてくれない。 口から出てこないから何も伝わらない。 本当はもっと色々あるはずなのに、自分は空っぽ
バイトをやめた。 1日しか行かなかった。 心がだめになってしまって涙が止まらなくなってしまった。 たくさん泣いてたくさん眠ってから電話をかけた。 バイト先は優しい人ばかりだった。 優しい人ばかりだったから、私がだめなだけだったんだなあって思った。 私がいてもいい場所がどこにもない気がする。 朝早くからのバイトだった。 起きたときのまだ日が熟していない感じが好きだった。 頑張れるかもって思った。 そう思ったのは確かだった、けど、それと同じくらいもうだめだと思ったのも確かだった。
言葉にしたら何かが変わってしまう気がして何も言えなかった。 そうやって飲み込んだ言葉たちが腹の底に溜まっている。 バイトの何が不安なのか考えてみたら、優等生だった頃の私に戻らなきゃいけないと思ってるからだった。 ちゃんとやらなきゃいけないと思いすぎている。 山口コンボイの、バイトで食洗機にかけちゃいけないコップを食洗機にかけてしまって、大量に割れたコップを隠すためにそのまま全部ゴミ箱に捨てて怒られた話を思い出してちょっと元気をもらった。 意味のない自分を許せない。 私につ
あの頃の私たちは溶け合うくらい同じになることが必要で、それが私たちの生きる術だった。 バイトをしようと思って応募したのだけれど、不安で涙が出るので応募を辞退した。 辞退してからしばらく苦しくて布団でもがいて涙を流していた。 それでもやっぱりお金が欲しいのでまたバイトに応募した。 お金って愛の数値化だって歌う志磨遼平のことがあんまりよく分からなかったけど、今はちょっとだけ分かる。 面接に行って、帰ってきてからも苦しくて布団にうずくまった。 もう落ちてしまえばいいな、と思った。
自分の年齢に慣れないから意識して声に出して言っている。 通信だから学校はないのだけれど、でも、学校に行けなくて、ていうか、授業が受けられなくて、夜中に不安になってわーわー泣いた。 もう辞めちゃおうかな、と思ったけど辞めてしまったらまた動けなくなるので辞めないことにした。 動かなきゃいけない、生きていかなきゃいけない、と日記に書いた。 0か100しかなくて、0のときは布団から出ることもできずただ重力の言いなりになって1日を潰して、100のときは夜に眠ることもしないで課題を進
雨が降ると悲しくて、でもこの悲しさを全部雨のせいにするには悲しい日が多すぎた。 だけど私はやっぱりこの季節がとてもすき。 外で風鈴が鳴る。 祖父が取り付けたもので、2つも付けたからちょっとだけ賑やか。 田んぼに水が張られだすこの季節のにおいで小学生の頃のプール開きを思い出した。 読んでいた本に「こんな本を読んでいないで走りなさい!」と書いてあったから走った。 ほんとうに走った。 小山田壮平のライブに行ったこと、すこし悲しい思い出になってしまったからあまり人に話せていない
雨の日が多くなってきて、本格的に季節が変わろうとしているのを感じる。 この季節がとても好きだ。 私が生まれた季節。 心も体もバランスを崩しやすい季節だが、その不安定さやこの鬱々とした空気からどんよりとした微睡みまでもが愛おしかった。 眠くて眠くて1日中眠りこけて、その全てを低気圧のせいにした。 猫が時々やってきて、私の布団に潜ったかと思えば数分もしないうちに出ていった。 やらなきゃいけないことがずっと頭の片隅に居座っている。 時折ふっと思い出しては逃げるように布団に潜った。
かなしいことだけじゃなくて明るいことも書きたいのに、それを書くにはもう少し覚悟が必要らしかった。 春が来て、ふわふわとしていて、つらいのかつらくないのか分からなかった。 泣きながら母に不安だと話したとき、病院に行こっか、と言ってもらえてとても安心した、のに、母は私が病院に行くのに前向きではないらしいという話を父から聞いてまた泣いた。 申し訳ないってずっと思ってる。 私の奥にまで罪悪感が根を張っている。 通信制の大学に進学しました。 がんばるぞ、って思ってがんばろうとしたら
悲しい気持ちをそのまま悲しいって言わなくなったのはいつからだろうか。 相変わらず日記は書いている、が、それを公開したいと思わなくなった。 他人の目を気にせずに書いていい私だけの日記ですら、頭に色んな批判が浮かんで、言い訳するように言葉を書いてしまう。 人の心の裏の裏はただの表だったりして、みたいに、裏まできちんとしてないとそれが表に出てきてしまうような気がして、私の全部が見透かされてるような気がして逃げるように自分の内側に引きこもった。 前に、母が私の肌について指摘してき
ばあちゃんが亡くなった。 85歳だった。 4月24日、私と同じ春生まれのばあちゃん。 優しくて、少し心配性なばあちゃんだった。 「碧ちゃんはやさしいね」「碧ちゃんはかわいいね」っていつも言ってくれた。 亡くなる前の日にお話することができたのだけど、その時も消え入りそうな声で「碧ちゃんはかわいいね」って言ってくれたの。 ばあちゃんは神道なので神葬祭を行った。 宮司さんがばあちゃんの代わりにばあちゃんの言葉を届けてくれた。 「何回もお見送りしないでね。隠世へは行きたくないんだよ
2023.9.17 大人は何もわかってくれない。 ずっとそうだった。 小2のとき、私は少しだけ学校に行けなくなった。 毎日のようにお母さんが迎えにきてくれて早退した。 この頃のことはあんまり覚えてないけど、行けなくなった理由はちょっとだけ覚えてる。 お母さんが言うトンチンカンな私の学校に行けなくなった理由を、私はいまだに訂正できていない。 お父さんは私が学校に行けなくなっていたことすら知らなかった。 たった数ヶ月のことだった。 このあと私は何もなかったかのように学校に通える
2023.8.31 19歳の夏が終わる。 きっともう少し暑さがだらだらと続くのだろう。 まだクーラーはつけているし蝉も鳴いてるけれど、それでも確かに夏が終わろうとしている。 本当に夏が終わってしまう前に、この夏を振り返ろうと思う。 薬が効いていたのか、ただただ夏だったからなのか、比較的安定していた。 どうしようもない世界のことや、心ない言葉に涙がぽろぽろしてしまうこともあったが、それでも私はちゃんと歩けてた。 夜に寝て朝に起きられるようになって、私はとても健やかに過ごしてい
2023.8.9 死にたい、と思う。 最近は死にたいが近すぎるから自分でも気づかなくて、音楽が「死にたい」と歌ってるのを聴いて自分が死にたいことに気づく。 体の居心地が悪くて、わかんないけどずっと変な感じで、私が私である気がしなくて気持ち悪い。 自分のことがひとつも信用できない。 ほんとは、そんなにつらいわけじゃない、はず。 それは低気圧のせいで、生理のせいで、眠れないせいで、寝すぎているせいで、私のせい。 もう少し、もう少し頑張ればきっとよくなる。 台風が過ぎる頃に
2023.8.5 お母さんと夜にドライブに行くのが好き。 夜の道路は信号機の色の違いがわかりやすい。 信号機は3色ある。 抹茶とメロンソーダとラムネ。 もっとあるのかな。 みつけてみたいな。 夜の道路を走るトラックはみんなちっちゃいリボンをつけてる。 それがかわいくって好き。 ネイルのことはマニキュアって言いたいし、コスメのことはつい照れてお化粧品って言ってしまう。 パスタは言える。 たまにスパゲッティとも言う。 モーニングも言える。 たまにモーニングを食べるって表現をして