秋、雑感
時々、私以外の人がみんな分かっていて私だけが知らないことがある気がして怖くなる。
この前見た映画で「世界は優しいから、そんなに優しくされちゃったらあたし壊れるから、だからせめてお金を払って買うのが楽、たぶんお金ってそのためにあるんだよ」と言っていて、とても分かるなと思った。
世界は思ったより優しくて、私は思ったよりだめで、ねじ曲がった性格が光っている方を選べない。
優しさを上手に受け取ることができない。
優しさを受け取ることを、私が私に許せていない。
私の中学には、卒業するとき後輩に自分の名札をあげるという文化があったのだけれど、学校に来ていなかった先輩が、あまり話したことのなかった私に名札をくれた意味を、時々ふと思い出しては考えている。
私が学校に行けなくてペアを組めなかった隣の席の子のことを、行けなかった日のノートを写させてくれたあの子のことを、時々考えている。
秋は思い出すことが多い。
学校の最寄り駅まで行ったが学校には行けなくてトイレで泣いた日のことも、帰りの電車で聴いたWeapons of mass destructionのことも、家で食べたお弁当も、眠れなかったあの夜のことも、秋の冷たさで思い出した。
バイトの面接に行って、面接をしてくれた人が優しくて帰り道に少しだけ泣いて、私はもっと人とコミュニケーションを取らなきゃいけないなと思った。
そうしないと私はまた優しさを前にしたときに涙しか流せなくなってしまう。
ずっと苦しい。
どこに居てもここは私が居ていい場所だとは思えない。
自分のことを病気だと思う。
バイトが落ちていればいいなと思った。
人の気持ちを想像しすぎないようにしていきたい。
伝えてもらったことだけをそのまま受け取る練習をしている。深読みをしない。
相手の気持ちを私が勝手に決めつけない。
人の気持ちなんて1ミリも興味がねえ、つーかわからねえ、くらいの感じで生きていきたい。
ただ無関心ではいたくないと思う。
ほどよいバランスを探している。
自分の歪みを直視するのは痛い。
ただこれをどうにかしないと私は私が素敵だと思う人間になれない。
大人になりたい。
もう守られてるだけではいられない。
ネバーランドはどこにもない。
自分の不調の原因を考えないようにしている、というか、そもそもあんまり分かっていない。
なんだかなあ、と思いながら生きている。
自分の書いた日記を読む。
暗いことだけがつらつらと書いてあって、なんだかなあ、と思う。
死にたいという文字をどこか他人事のように眺めた。
自分の意思で自由に操れることが少ないから不安なんだろうなと思う。
なにか、自分の体でも言葉でも料理でも編み物でも電車の乗り換えでもいいので自由に操れるようになりたい。
永遠を信じた彼女やうつむいてばかりの彼にも許される日が来るのだろう。