ベスハチとの出会い以前② TVっ子の音楽生活~90年代後半TV番組
【前回記事↓】ベスハチとの出会い以前① オタクが始める音楽生活
前回、
Elizabeth.eight(エリザベス・エイト)こと
ベスハチ に出会う以前の、
わたしの音楽ルーツのひとつについて書いた。
一応これらの記事は、ベスハチとの会いにまつわるあれこれを書いていくシリーズではあるが、
いくつかのアイテムが揃う事で扉が開くタイプの話なので、
どうか長い目でお付き合いいただければ。
今回は、わたしの もうひとつの音楽ルーツについて書いてみる。
90年代後半を過ごした者の多くが通っていそうな道。
如何にしてベスハチの音楽にたどり着いたか。
わたしの通ってきた道と少しでも道が重なるのであれば、
これからこれを読むあなたには、
ベスハチを好きになる素質や素養がある。
そう思う。
▼ 宿命としてのTVっ子生活
前回と時を同じくして、90年代中盤から後半。
視界にTVがあるのなら、
アニメ以外の他の番組も、当然観ている訳で。
わたしの住むトチギの過疎地域は元々娯楽の少ない地域ではあったが、
地元の本屋(漫画描画用品の品揃えが異様に豊富な)では、同時にVHSのレンタルも行っており、
それらが当時のわたしの娯楽のメインであった。
毎週のように、大長編ドラえもんをレンタルした。
著作権についてだいぶ大らかな時代でもあったので、千円も払えば、レンタルVHSのダビングもやってもらえた。
それでなくとも、
母が趣味で買い集めた手塚治虫アニメVHSや、
写真のようなVHSが豊富に揃う我が家。
そうなると、TVの前にほぼ かじりつきである。
あまりにもVHSばかり観ていると、
母から『いい加減にしなさい』と たしなめられ、
じゃあ仕方ない…と、代わりにすることといえば、
VHSではないTV番組をリアルタイムで観ること。
要するに、学校や友達と遊ぶ時間以外は、
ずっとTVの前にいたのだ。
わたしもこの当時の記憶と言えば、
大長編ドラえもんのことばかり思い出される。
平日夕方や休日はVHS鑑賞やアニメのリアルタイム鑑賞。
夜は基本的にTVのチャンネル権が父や母にあり、
ゴールデンタイム以降に放映されていたバラエティ番組を中心に観ていた。
ただ、TVっ子というには少々偏りがあるラインナップではあったので、
TV(※本体)っ子だった、が正しいように思える。
▼ 音楽番組からの出会い
基本的にはバラエティ番組ばかりで、
音楽番組らしいものは意識的に観てはいなかったものの、
それを観るきっかけになったものがある。
JUDY AND MARY である。
(↓※参考用 前回記事)
当時はジュディマリがゲスト出演するような
『ミュージックステーション』や
『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』等の
音楽番組を逐一チェックした。
(新聞の番組表にジュディマリの出演表記の無い日は基本的にスルー)
ゲストトークは全く興味がないため流し見し、
演奏が始まれば一転、
TVの中の演奏と一緒になって、画面の前で歌いながらギャーッと騒いで観るような感じであった。
これらの番組でのジュディマリ出演時、出番待ちの間は他の出演者も目に入るのだが、
それらを観るうち、どうやら SPEED や 小室ファミリー 等のアーティストが流行っているらしい事を観測した。
中でもSPEEDは、『THE夜もヒッパレ』という音楽番組内の公募でグループ名が決まったらしく、
熱心にこの番組を観ていた妹がSPEEDにハマり、
わたしはそれに便乗するかたちで徐々に聴くようになっていた。
するとより一層、音楽番組のチェック頻度が増えた。
これらもまた女性アーティストであったため、
自分の中ではますます
音楽 = 女性アーティスト
というイメージが根付いた。
さらに、わたしの中でいう『音楽』の楽しみを定着させたのが、
当時のTV番組
『速報!歌の大辞テン!!』という、
毎週のヒット曲トップ10をランキング形式で紹介していく音楽番組。
ジュディマリの曲がランクインしているかどうかを確認する目的で観始めたものだった。
ここではシングル曲単位で「ヒット曲」を紹介していた事と、
同時期に手を出していたアニソンもシングル単位での購入が基本であったため、
自分の中にはアルバムという概念が存在しておらず、後になってからその存在を知り、シングルの値段設定のエグさに絶望したものであった。
(でも結局アルバムを待てずに買う)
しかし2023年現在と違い、アニソンがこのランキングに食い込んでくる事はほとんどなかったため、アニソンというやつは基本的に日陰の存在なのだな、と子ども心に思ったのだった。
この番組を通して、
初めてアニソンの他に好きになったのが、
下の写真のような、ザ・J-POPど真ん中なグループである。
ソロ名義のアーティストよりもグループばかり聞いていたのは、個人にフィーチャーされたものよりも、多人数によって生まれるグルーヴみたいなもの、良いよね!的な感覚があったため。
当時この番組を観るのは、
ジュディマリの『クラシック』や『くじら12号』がランクインしているかどうかの確認作業に過ぎなかったが、
いつしか、この番組で知った globe の『FACE』にドハマりするようになった。
特にこの曲に関しては、
こんなに素晴らしい楽曲なのに、2位3位状態が続くとはどういうことか!?
と毎週 鼻息荒くしながら観ていたし、
当時ずっと1位に君臨し続けるミスチルに対し、
謎に敵意を向けたりもしていた。
(今は普通に好きです)
今改めて聞いたら名曲すぎてビックリした。
1997年1月発売だったglobeのFACEも、
この翌月にミスチルがリリースされても なお上位に居たのだから、十分すごいことなのだが。
思った以上にとんでもない割合の国民が、
これらの曲を知っていて聞いているという異常性。
そもそも当時のエンタメ最上位にいた音楽というコンテンツでトップ10を維持し続けていた事自体、それらがどれほど化け物コンテンツであったかがうかがえるのだが、
わたしの音楽の世界はこの番組で完結していたので、せいぜいTVの中の出来事でしかなかった。
そんな形で自分の好きになったグループが、
どの程度の人気があるのか…というより、
TV番組を作った人の好きな曲ランキングぐらいの感覚で捉えていつつも、
それを毎週確認するのが楽しみとなっていた。
さらにもうひとつ。
この番組を観るうちに出会った音楽が、
ポケットビスケッツ である。
当時 放映されていたバラエティ番組、
『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』
から生まれたユニットで、
ウッチャンナンチャンの内村光良、
タレントの千秋、
キャイ~ンのウド鈴木
の3人からなる。
『速報!歌の大辞テン!!』内のランキングで、
上位に食い込んでいて気に入ったのが、ポケビの
『YELLOW YELLOW HAPPY』という曲であった。
この番組で知るまでは、ポケビがバラエティ番組から生まれたユニットだとは知らなかったのだが、
これをきっかけに当のウリナリ!!を観るようになり、今度はポケビそのものの動向もチェックするようになっていった。
小学生当時の時間感覚で言うと、1アーティスト単位の新譜リリースのペースが遅く感じる事もあり、1~3つ程度のアーティストを追いかけているだけでは物足りなかった。
毎週代わり映えのしないランキング上位陣にも予定調和感が出てきて、新しい刺激が欲しかったのだろうと思う。
▼ バラエティ番組からの新規開拓
ポケビを目的にウリナリ!!を観るようになると、
自然とその中でポケビメンバーの新譜としてリリースされた
UDO(ウド鈴木)ヴォーカルの『GREEN MAN』や、
TERU(内村光良)ヴォーカルの『青の住人』も、
男性ヴォーカルの楽曲でありながら、自然と聴くようになっていた。
また、番組内ではポケビの対抗馬として
ブラックビスケッツ
というユニットが出てくるようになった。
ポケビに対してこちらは、
ウッチャンナンチャンの南原清隆、
台湾出身の女優、ビビアン・スー、
キャイ~ンの天野ひろゆき
というメンバー。
わたしは基本的にはポケビを応援していたが、
ブラビは見た目も当時としてはイケてる(死語)し、音楽的にもトレンドになりつつある雰囲気。
これを好きにならなければ、時代に乗り遅れるのでは…というような感覚はうっすらと有ったが、中々 興味がもてず。
番組を観るうちに愛着がわくだろうとも思いきや、どうもそういう気配はなく。
番組内でのポケビとブラビの対決によってポケビが敗れた際、
リリース予定だった新譜のマスターテープが鉄球で破壊されるという映像にショックを覚えたのち、
ポケビの新譜発売を賭けた100万人署名でもしっかり署名したりなどのビッグイベントを経て、
何かと『●●できなければ解散!』という難題を突きつけられるポケビを何とか守らねば!!という思いもあり、
最後までポケビ一筋という結果となった。
(今思うと何て酷な企画なんだろう)
当時は番組で追っていたポケビというキャラクターに愛着があっての事だと思っていたのだが、
結局のところは
パッパラー河合の音楽が好きだったのだな、
と後になって気付いたのだった。
この経験から、
TV番組発の音楽は、楽しい!!!!!
という見解を得た わたし。
その後ドラマの主題歌等にも手を出すようになったが、
何よりTVでグループの状況を追いながら摂取する音楽というものに味をしめ、
『雷波少年』
というバラエティー番組でも、いくつか音楽をテーマにした企画があったため観るようになった。
中でも
Something ELse(サムシングエルス)の、
狭い一部屋にバンドメンバーが缶詰となって楽曲製作を行う企画や、
Bluem of Youth(ブルームオブユース)の、
ロシアでストリートライヴをしながら日銭を稼いで旅をし楽曲製作を行う企画に夢中になった。
女性ヴォーカルが良いとか、この時点では既にどうでもよくなっていた。
サムエルの企画も、彼らのために出来る事としてシングルCDを購入した。
しかし、問題はブルームの企画。
ロシア横断の旅の最後、運命の1曲を披露する武道館で、1万人以上の観客動員がなければ解散!
というルールで、
サムエルやポケビの時と違い、田舎からでも投げかける事のできる応援方法が無かった。
何よりこれはTVの中の出来事であり、
家から出て行動を起こすという発想自体も皆無であった。
しかし、ポケビの時のような失敗パターン(新譜のマスターテープが鉄球で破壊されたような)が、どうしても脳裏に焼き付いてしまっていて、
このまま彼らに対して何も出来ないのか?
という悶々とした思いを日々抱えながら、
祈るような気持ちで番組を見守った。
いよいよ番組の中で曲が完成し、この企画もついに終わってしまうのか…と感慨深い気持ちになっていたところ。
父の突発的な提案により、どういう訳か
現場(武道館)に行く事になった。
TVの中だけの出来事だったはずが、心の準備もないまま、突然現実になってしまった。
ブルームのロシア横断の旅の企画中に出来た曲『ラストツアー』の1曲を聴くためだけに行く、
人生で初めての武道館ライヴ。
(実はそれ以前にもライヴ自体は行っているのだが、その話はまた次回)
武道館前はものすごい人だかりで、
番組の中に出てきたロバ(という事になっていた)のロシナンテが居たりと、たった1曲のライヴであるにも関わらず、お祭り騒ぎであった。
座席は今も忘れない、ステージを真横から観る形となった、上手側の2階席。
武道館に美しく響き渡る、情緒たっぷりな別所さんのヴォーカル、本当に泣けた。
このライヴをもって、完全に
男性ヴォーカル、好きだ!!!!!
となった。
生のギターサウンドの良さも、ここで体感する事が出来た。
また、当時から歌う事が大好きだったが地声が低く、しかし聞くのは女性ヴォーカルの音楽ばかりで、高音が歌えないのがコンプレックスでもあった。
ブルームのライヴおかげで、男性ヴォーカルも好きだという確信を得られた事で自分のカラオケのレパートリーも広がり、色々な気持ちが楽になったのであった。
▼ TV画面の外での出会い
またしてもここで、新たな行動実績解除!
で弾みがついたのか、
その後の『雷波少年』のチューヤンの企画で
後楽園遊園地をプロデュースするという、
『後ろ楽しいガーデン』
といったイベントにまで足を運ぶ事となった。
実際そこで具体的に何が行われていたかというのは記憶の彼方なのだが、
ミラクルラーメンなるものを記念品か何かでもらった事だけは覚えている。
(具の一部に宇宙食のキューブ型バニラアイスが入っていて、意外に美味しかった)
また、イベント中は園内を盛り上げる演出の一貫なのか、アトラクションの前の何もないスペースにて、ストリートライヴが行われていた。
アトラクションもそこそこに、ふと立ち止まったそこで出会いがあった。
TVで有名になる前の、森三中のお笑いストリートライヴ。
結成から間もない頃で、大島さんや村上さんは2023年現在でも雰囲気は変わらない印象ではあったが、黒沢さんが眼鏡をかけ、とても華奢な体をしていた。
どんなネタをやっていたのかは忘れたが、結構しっかり通して観たことだけは覚えている。
森三中の後も同じスペースでストリートライヴが継続され、次に出たのは、
banana fish(バナナフィッシュ)なる、紅一点女性ヴォーカルの4人組インディーズバンド。
吉田秋生が原作の同名漫画があるが、もちろん関係は無かったと思われる。
(由来ではあったかもしれないが)
軽い気持ちで観ただけではあったが、楽曲とアンサンブルが本当に気持ち良く、サムエルやブルームにハマって以降 久々に、
バンドの音に乗った女性ヴォーカル良いな、
と思えるような良いライヴであった。
(また別途書くが、これより少し前の時期に若干モヤる事があった)
ライヴのチラシをもらって帰ったが、そもそもがライヴに行くという発想もなかったので特にその後ライヴに足を運ぶような事はなかったし、
インディーズバンドであったのでCDショップにも流通がなく、
その場で何らかの音源を買うなり何なりすればよかった、と後で心底後悔した。
のちにこのバンドの存在が わたしの行動に、
運命を変えるほどに大きく影響することとなるのは、その数年後の話である。
次回以降へつづく。
今回もまたベスハチのベの字もなかったので置いておきますね(すいません)
この曲、映画一本観るような感覚があってすごく好きなんだ…
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