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常に、尊敬できる人と一緒にいたいと思うのです。

この記事は私の徒然草のようなものなので、生活してて感じたこと、思ったことなどを書いていこうと思います。

まず、日々生活していると、人間関係はつきもので、その中でも合う、合わない、関わらざるを得ない、縁を切りたい。もっと仲良くなってみたい。そんな感情を複雑に、言語化できないほど本能的に体で感じていると思います。小学校の頃のように友達になろうといって友達になった契約、もう嫌いだから関わらないからと言い合えた単純な年ごろでもないので、そういうやり取りを経て、仲良くしたいけど合わないだろうな、最初はいいと思ったけどやっぱ合わなかった。いろんな数学の場合分けのように複雑化してますよね。

国、人種関係なく関わっているここ2、3年。いろんな人と出会い、縁を切られ、縁を切り、はたまた、まだ続いていて、遠くても連絡は取り合う仲、私は知ってたと思ってもあっちは認識してなかった。あっちは認識してくれたのに、私は気づいてなかった。いろんなケースがあるけど、ここ最近私気づいちゃったことがあるんですね。。。。

どんな関係でも、尊敬できる人としか気が合わない。友達、恋人、後は何でしょう、、、カフェとも?ジムとも?課題友達?会う頻度は少なくとも多くとも、一緒にいて心地いと思う人、一緒にいたいと思える人、それは、私が根底から尊敬を感じている人。そしてこれはこのトピックからは外れるのですが、単純に偏見なしに私と接してくれてる人。見下してない人。嫉妬や憎悪を感じない人。怖そうとか性格悪そうとか、私の周りの子たちは少なくとも私に対してこういう偏見はなかった。今はフレネミーという言葉がありますからね。フレネミーといると必ずと言っていいほど、言葉にできない心地悪さを本能的に感じるし、違和感を感じる。そして必ず、自分の嫌なところと必ず向き合わせさせられるそんな状況に必然的になる。でも、私が尊敬してる尊敬できる、いや、お互いに尊敬してる間柄では、こんなことは生じないし、どんだけ長くいても飽きないし疲れない。楽しい。よくインスタで流れてくる、自己啓発動画みたいなので、自分の本能を信じろみたいなのあるけど、その本能って、自分が今まで経験してきた人間関係とかから統計を取って本能的に分析してるよねって思った。

ここで一つ例を出したいと思います。これを本人が読んでないことを願う。
フランスに来て日本人ルームメイトそしてその子が連れてきた香港人の子と、ルームシェアしているけど、私は彼ら二人とは、仲良くできなかった。仲良くなれなかった。いやうまくやっているふりはしている。この貴重な一年。留学中に日本人と喧嘩してましたずっと。。。。で終わらせたくないから。でも本音を言うと、全く話通じないし、いつも論点ズレてる。でも、私は会話をしようと仲良くやて行こうと試みるけど、いつも若干喧嘩っぽくなるのはなぜだろうと考えてみた。私が彼、もしくは彼らに対して尊敬できる部分が見られない。どこが尊敬できないのか考えてみた。

みんな人それぞれ、プライドというものがあると思う。プライドはどんなに高くてもいい。でもそのプライド高さゆえに他人や自身を卑下した表現をするような場面が多々見られる。私はそういう考えを持つ人に対して尊敬という念は一切生まれない。そしていつまでも過去を振り返る人。過去を振り返って思い出を楽しみ感情に浸るのはある一種のエンタメなので全然いいと思う。ただ、私が彼と会話すると必ず、それは支配された考えだ。という結論に至る。無論、彼は自分の言いたいことを言っているだけなので、話が通じるわけもないのだが、私は未来今後どうしていくかを話しているのに、対相手は過去がどうだったから私たちは学ばなければならない、の一点張り、で私はそんなえらいこと言うならさぞかし立派な生活してるんでしょうねというと、自分の口で自分も口だけだというのである。ただそんな私からしたら生産性のない会話いつまでもしてる暇はなく、今後どのように動くのがベストなのかそれを話したいのでもう最近は会話も最低限しかしないが、アラビっクリ香港人とは何時間もずっとおんなじ話をしているのである。聞いていれば、そんな答えの出ない会話してて暇かよと思うが、

という長い話をまとめると、シンプルに行動に移そうとしない彼らに対して尊敬という感情を抱けないという話。そして早く縁を切りたいという感情になるのである。なぜなら彼らの輪の中に入ることでいつまでも過去を振り返らせられ、自分がいかに良くない人間であるかを認めなければならないという思考にいき、最悪、他人や環境を攻めざるを得ないことになりそうと本能的に感じたのである。

自分の特性を理解し、いかに自分をよく売り出し、そして何かに対して貢献している人間に対して、そしてそのために目標を立て、それに向かって一心不乱に走りる人間に対して、自分が抱えてきたつらい経験や思い出を糧に生きてる人。彼らに対して、基本そういう心持でいる人にしか、つまりまとめると、何か目標としているもの追いかけているものがあり、好奇心旺盛なヒトに私は尊敬を感じる。

当たり前だが性格の悪い人間には尊敬は全く感じない。

留学に来ている留学生同士でも感じるのである。ただただ自分より弱そうな存在に対してただマウントを取りたいだけなのだろうと本能的に感じる人はまず私がその場にいても話しかけてはこないし、目も見ない。し、あ、こいつ舐めてるなと感じる。もう見てくる目が違う。

結論としては、一緒にかかわってきた人たちは、私の本能的に、こういった基準でかぎ分けていたのだということが分かった。いや。こんなことはずっと前から思っていた。最近やっと言語化できた。



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