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自分の発信がおもんなさすぎて絶望している話




なんかもう本当に自分の発信がおもんなさすぎて、何百回目かの絶望をしております。


どうも、元保育士の河北です。今はフリーランスのコーチをしています。


ありがたいことに発信から出会えたクライアントさんがいて「発信見ました!」とわざわざご連絡くださる方がいて。こうやって私の発信を見てくださる方がいる限り、自分の発信を否定することは本当に良くないことだと思っているのだけど、どう考えてもおもしろくないんですよ。泣



ということを、つらつら書く記事になりそうであり、なんのオチも有益な話もクスッと笑える小ネタもないですが、それでも良きよ〜!という方は、よければお付き合いください。



発信のズレは初期からずっと感じていること




私はコーチングを仕事をしたいと思ったとき、人脈はなくまわりに自分のコーチングを買ってくれそうな人もどうしても思い浮かばなくて、発信からお客さんに出会うという方法を選びました。



もともとプライベートでSNSのアカウントをもったことがないくらい、発信とは程遠い生活をしていて。おまけに「自分のことを人に話す」ということが昔からどうも苦手で。


起業するために「泣く泣く発信をはじめた」というスタートでした。



ということもあり「自己発信が怖い」「書いた記事が投稿できない」「もう無理」などと、発信をはじめてしばらくの間はとにかく発信が嫌で嫌でたまりませんでした。



ちょっと余談になるのですが、発信初期に感じていたズレや違和感って、はじめて発信からクライアントさんができたときに、全部なくなったんですよ。



この記事を見てくださっている方の中には、もしかすると発信をはじめたばかりという方や、今もがきながら発信を続けている方もいると思います。


発信をしていると、違和感とかしっくりこない感覚とか、そういったズレを感じる場合もありますよね。



が、一旦それは無視していいと思います。


私はその違和感たちを無視できなかったんですよ。で、発信がストップしてしまったり、やりつくした自己分析をやりなおしたり、他にいい方法があるのではないかと情報収集に走ったり。



だけど、それは時間のロスになるだけだった。


まず1円でもいいからお金を手にする、なんとかしてクライアントさんを作る。



違和感の修正は、そこからでよかったです。初期に抱える違和感やズレは、そのまま抱えて進んでいくのが正解でした。



修正はあとからいくらでもできるから、とにかく前へ進めばよきです!(訳:なんとかして発信を続けたら道は拓けてきます)



(と言っても、無視しきれない違和感もあると思うので、一概には言えないですが)





とまあ、そんな発信初期をなんとか乗り越えて、あーだこーだ言いながらなんとか発信で集客ができるところまでたどりついたわけですが。



クライアントさんができた時、たしかに違和感は全部なくなったのですが、別の違和感というか、そういうのを、それからずっと抱えていて。



毎日毎日、「なんかしっくりこんなあ」と思いながら発信をしてるんですよね。



私いくら発信をしても、自分の発信をおもしろいと思えないんですよ。思ったことないんですよ。「うまくいったな〜」「発信楽しいな〜」と思えた日って、冗談じゃなく一度もなくて。


(ゆいいつラジオの対談だけはめちゃくちゃ楽しい。)


楽しんでいる人には勝てないって言うじゃないですか。自分の作ったコンテンツを愛せないって悲しいじゃないですか。


だけど、ぜんっぜん楽しめないし、おもんないんですよ。笑



「たった1人にヒットする発信」がしたい




発信ってかなりクリエイティブな作業だと思うんですよね。


作曲家さんと一緒で、ふとしたときに降りてくるインスピレーションとか、河原を自転車で走っていた時におもいついたメロディーとか、そういうパッとしたひらめきが大事で。そういうのが、ヒット曲になったり。



私の発信って、A面でもB面でもなくて、アルバムに入れる曲でもなくて、なんか携帯のボイスメモに録りだめてある、いわゆる「ボツ案」になったものを、なんとかかき集めて形にして出している感覚なんです。



そのボイスメモっていうのも「あの時はいいメロディーだと思ったけれど後から聞くとあんまりだな」とかそういうんじゃなくて、なんとか締切に間に合わせないといけないから頭ん中をこねくりまわして組み立てて作ったメロディー、みたいな。


もうびっくりするくらい、無駄な力が入ってるんですよ。


この感覚が抜けなくて。癖になっちゃってるんですよね。


私はどちらかと言うと、発信を気合と根性でやってきたタイプだと思うんです。母の血を注いで根っからの負けず嫌い。ぜったいに発信に勝ちたくて、根性でゴリ押ししてきてしまって。



(「発信に勝つってなんですか?」と聞かれたことがあるのですが、「発信を継続すること」と答えた気がします。今は「発信と仲良くなる」とかそういう感覚が近いかな〜)



もちろん根性で押しきったからここまで来れた。だからそれでよかったと思っているのですが、やっぱりどこかで歪みが出ているんですよね。


私も「これはヒット曲だ!」と思えるくらい大好きでたまらない記事を書きたいんですよ。もちろんミリオンヒットやレコード大賞を狙っているわけではなくて。刺さる人にぶっ刺さる、そういう発信がしたい。


私はわりと「みゅーじっくおぶらいふ」という、そのまんまの生き方をしています。音楽がないと生きてけないくらい音楽にまみれた生活をしていて。音楽に溺れることができるなら死んでもいいと思っているくらいです。(でした)


その中でもやっぱり、歌詞がグサグサくる音楽に惹かれるんですよね。


1人暮らしをしていた時は、家にいる時間はたえず音楽を流しっぱなしにしていて。そうすると、ふと「この曲気になる!」という曲がパッと耳に入ってくるんです。


もちろんメロディーとか楽器の雰囲気とかに惹かれることもあるのですが、多くの場合は「歌詞」で。


「まって!今の歌詞なに??」「ちょ、このフレーズどこから繋がってやってきたの?」など、グッサグサくる歌詞にめちゃくちゃ心引っ張られる。


私は「ヒグチアイさん」というシンガーソングライターさんが好きで。歌詞がぶっささってくるんですよね。


以前インタビューかなにかで「歌詞は、たった一人に届くように書いています」とおっしゃっていて。


そういうね、そういうヒグチさんの歌詞みたいな、たった1人にヒットする記事を書きたいんですよ、私は。そういう文章をつくりたいし、そういうのがいいんですよ。



芯をくいたい




私が私の発信を面白くないと思っている理由に「言いたいこと言いきれてない」という感覚がずっとあるんですよね。


なんかふわっとしていてぼやっとしているんです、私の発信って。芯をくっていなくておもしろくない。


なんかさ。守っているものがあるのでしょうね、私は。なにかを捨てられないでしょうね。だから、ゆるく、ふわっと、さらっと、芯のない発信になってる。


だから、いつまでたってもおもしろいと思えない。

もっともっと、研ぎ澄まさないといけない。




なんかさ、保育士とかフリーランスとか起業とか、べつにそんなんどうでもよくて。


でもそういうのがないと怖い。「私以外のなにか」で勝負したくなってる。んまあ保育士だったことも、フリーランスになったことも、起業してみたことも、まぎれもなく私なのでわたしなのだけど。


なんか、そういう肩書きとか持ってるものとかやってきたこととか、そういうのにすがりすぎているんよね。手放さなきゃいけない。こわいけど。


もっと人間として勝負できるようになりたい。そんなことを考えている今日この頃。



おわり!!





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