自分を小説の主人公だとすると、ここでどんな決断をする?
こんにちは!
毎度ごぶさた、河北です。
紆余曲折あり、ただいま会社員をしております。(またこのあたりは詳しく書けたらと思っている)
で、一昨日ね、会社でとんでもなく理不尽な目にあったんですよ。
「河北さんは頭がおかしくなった」
要約するとこんなストーリーが出来上がっていて、「明日からおかしくなったフリして出社しなくていいよ」って言われたのね。
「また年明け連絡して。良いお年を」
って。
いやいやいやいや、なぜ?
私がなにをした????
なにがなんだかわからないまま、とっても後味の悪い仕事納めになりました。
たしかに私にも非はあった。
だけどあまりにも理不尽ではないか。
そう思ったけれど、もう歯向かう気力もなくて。
震える声で、たくさんの人たちに「ごめんなさい」をして、家路につきました。
私が悪かったのか?
どこから間違えたのか?
さんざん会社の都合に振り回されて、それでも理不尽に耐えて、自分を犠牲にして過ごしてきた。
これって、私の人生に必要なことなのだろうか。
あなたの人生に、必要なことなのでしょうか。
踏ん張り続けることに、なんの意味があるのだろうか。
「辞めてやらぁ」で退職できたらどんなに幸せか。決断できない自分が惨めで情けない。
こんなに、こんなに、辛くて悲しいのに、まだがんばりたい気持ちがあるのも本当で。
悔しいけど、会社のことも上司のこともまだ信じたくて。
みじめだなあ、と思いながら、ふよふよと頭に浮かぶ『退職』の2文字を掴んでは手放している。
現実的な話をすると「辞めたあとの生活」が気がかりなのもある。
というか、これがデカい。
人それぞれ、現実に目を向けると考えなければならないことがあると思う。
今までのキャリアを手放すことになったり、愛する人を「お金」という部分で守ることができなくなったり。
きっとそれぞれに、ためらう理由がありますよね。
ちなみに私の場合は、自分のスペックにひどいコンプレックスを抱えていて、
(ちなみにこんな感じなんだけど↓)
今以上の条件で雇ってくれる会社があるなんて思えなくて、ためらっている。
事の経緯を知っている人からは「それって河北の人権ないよね、なぜそこまで会社にしがみつく?」と問われる始末。
それでも、
辞めたあとのことを想像すると、とっても怖い。
勢いで退職できるほど、もうそんなに若くない。
私たちが小説の主人公だとすると、いま第何章か。
私はいつも何かに悩んだ時、自分が小説の中の主人公だとすると、いま何章目にいるのかを考えるようにしている。
すると、ふっと気持ちが軽くなったりする。
悩みがちっぽけに思えたりする。
ここでどういう選択をすると、この続きがおもしろくなりそうか。
どういう展開があると、小説(人生)が終わる時、「おもしろかった」と思えるのか。
今の悩みだって、長い小説の、1つの章でしかない。
そう考えると、なんでも出来そうな気がしてきませんか?
私たちの小説は、きっともっとおもしろくなるはずなのだ。
どういう選択をしても、私たちが考え抜いて選んだものなら、おもしろくなるしかない。
私はね、ふつふつと湧いてくる「退職」の2文字と、しばらく向き合うことになりそうです。
だけど、いま悩んでいることが、私の人生の1つのエピソードになることは間違いなくて。
だから大切に、向き合っていこうと思います。
一緒に悩みましょう。
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