「おかえりなさい」と言われて、考えたこと
「おかえりなさい」は、いい言葉だ。
仕事から帰り、マンションのエントランスを抜け、郵便受けをチェックして、エレベータホールでボタンを押して待った。到着したエレベータの扉が開くと、中から出てきたのは小さなゴミ袋を持ったおばあちゃん。おばあちゃんは自分が降りたあとの扉を片手で押さえながら、「おかえりなさい」と声を掛けてくれた。
「こんばんは」を言う口になっていた私は、とっさのことで「ただいま」が出てこなくて、結局口を半開きにしたまま、笑顔で会釈するだけになってしまった。変なの。だけど、笑顔は本物だ。だって、嬉しかったから。
「おかえりなさい」は、あたたかい言葉だ。帰ってきてよかったと思わせてくれる。
大学入学と同時に一人暮らしを始めたとき、帰っても家に誰もいない、その状況に慣れることが出来なかった。真っ暗のからっぽの部屋に向かって「ただいま」と言い、ベッドに寝そべっている大きな白熊のぬいぐるみに「おかえりなさい」と言ってもらっていた。一人二役の自作自演。一人暮らしは寂しくて、いつも居場所がないようなふわふわした感覚だった。
その点、会社はすごく居心地がよかった。スーツをびしっと決めて商談に向かうメンバーを「いってらっしゃい」と見送って、喜び勇んで、あるいは気落ちして帰ってくるメンバーを「おかえりなさい」と迎える。自分も同じように見送られたり迎えられたりしながら、過ごす毎日。それが「会社」という形であれ、帰る場所がある、と思えるのは、心休まることだった。帰る場所がある、迎えてくれる人がいる、それを想うだけで、安心してチャレンジできる。自分一人分以上の力が出る気がする。まだまだ頑張ろうという気力がわいてくる。傷ついて帰っても大丈夫だと思える。
「おかえりなさい」は、こころづよい言葉だ。共に生きる人がいる、と思わせてくれる。
「いってきます」「いってらっしゃい」「ただいま」「おかえり」これらは数ある挨拶の中でも、近くに生きるもの同士が交わすものだ。物理的な距離だけでなく、心の距離も近い存在。口にすることで、心の距離が縮まる気がする。この挨拶を交わせる、交わしたいと思える人と場所を、これからも大切にしたい。
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