今必要な心持ちを、思い出そう
ここ数日、noteを書く気になれなかった。日に日に息苦しくなっていく(もちろん、比喩的な意味で)感じがするのに、どうやってこのモヤモヤを晴らしたらいいのかわからなくて。新年度を前に、何か少しでも前を向くきっかけはないかなぁと、スマホのカメラロールで去年の3月31日を振り返ってみた。
出てきたのは、「教会のパイプオルガン」と、「スタバのマンゴーパッションティーフラペチーノ」。
去年の3月31日は、ヨーロッパ旅行の真っ最中だった。旦那がプラハでの演奏会に誘われたので、その出演ついでに周辺を観光してまわろう、という、ちょっと遅めの新婚旅行も兼ねた企画。初めてのヨーロッパだった。
3月31日は、ウィーンにいた。日曜日だったから、お店や博物館も開いていないところが多くて、本当に休んでしまうんだ!と、まずびっくりしながら、開いている場所を散策した。
本物の教会でパイプオルガンを聴いてみたいなぁ、と思ってシュテファン大聖堂に入ったら、ちょうど日曜礼拝の真っ最中で、図らずもその場で願いが叶ってしまった。
市民の方の一心に祈る姿と、倍音が多く減衰しないパイプオルガンの音、天まで高く高くそびえる建築の荘厳さを体感したら、「敬虔な祈り」がどういうものなのか、無宗教な私でもわかるような気がした。何百年も、同じ場所で、人々が祈り続けている。その営み自体が尊くて、積み重なった祈りに、神が宿るんだ、と思った。
ウィーンのスタバでは、注文時になぜか、名前を聞かれた。何に使うんだろう?商品渡すときに名前呼ばれるのかしら?などと考えていたら、お姉さんが渡してくれたカップに、「名前」と「スマイルマーク」が描かれていた。
「私」のために描いてくれたんだなぁ、と思うと、一気に距離が縮まった感じがして、それだけでウィーンが大好きになった。カップに描いてくれたスマイルマークの通りに、お互いにっこり笑って、店を後にした。
1年後の今は、簡単に訪れることが出来ない場所になってしまったけれど。あのとき新たに覚えた気持ちは、今でも思い出せるんだった。
どこにいても、祈ることが出来るということ。「私」から「あなた」への優しさは、心にすっと届き、笑顔を生み出せること。
そうか。これが今、必要なことかもしれない。
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