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誰かの評価を盲信しているとき

20年間、絵を描くことや何かをつくることを、「苦手」=「センスがない」=「嫌い」だと思っていた。そんな考えが一瞬にしてひっくり返った、衝撃の体験がある。

ネットで誰かのWISHLISTを眺めていたときのこと。あまりにかわいらしく楽しそうだったので、自分でもつくってみたくなった。

「雑誌の切り抜きしようかな〜。あ、色鉛筆があるから絵を描いてもいいかな〜!でもそれは、私には無理だな。」

そこまで考えたとき、ふと自分の思考に疑問がわいてきた。
なぜ、無理なんだろう?
やろうと思えば出来るのに。
別に、作品展に出すわけでもない、自分が楽しむだけのものなのに。

思い起こしてみると、絵を描けないと思いはじめたきっかけは、小学校3年生のときのことだった。3段階評価がつくようになってはじめての通知表、ドキドキしながら開けてみたら、図工だけ「2」がついていた。2年生までの通知表には「よくできました」がずらりと並んでいた私にとって、まさに青天の霹靂。「図工ができない」という烙印を押されたような気がした私は心底ショックで、その瞬間から「私」=「図工のセンスない人間」という等式が見事に完成してしまったのだった。

一度苦手意識を持つと、取り組むことすらおよび腰になり手がつかず、やっぱり私には出来ない、絵を描く価値がないという意識が高まり、楽しさも消え失せるという負のループ。残ったのは「絵を描くことは嫌い」という感情だけだった。

そう、きっかけはただそれだけ。
それまでは、絵を描くのも粘土もレゴも大好きだったのだ。すっかり忘れていたけれど。

私は20年もの間、当時の担任の先生の評価を信じ続けていたのだ。正確には、先生の評価をちょっと歪んで解釈して、価値観を固定してしまったのだ。これに気付いたときの衝撃といったら。先生だって、通知表ひとつで人の人生を左右していると知ったら、怖くて評価出来やしないだろうと思うくらい。それだけ当時の私には、先生が絶対的な存在だったのだろうけれど。

そこで、20年前の古い価値観を上書きすることにした。私は絵を描ける。絵を描くことは楽しい。私には出来る。

たったそれだけで、本当に絵が描けるようになったのだ!下手くそでも味があっていいなぁと思うし、下手なりに丁寧に一生懸命描いてもいいんだと思えるようになった。何より、絵を描くことは楽しい!(この記事の画像は当時描いたひまわりとスイカ!参考画像を観察しまくったら自分にも描けるのだと感動した、思い出のお絵かき。)

こうやって、誰かの評価を盲信して固定観念化してしまい、自分を縛っていることは、誰にでもあるんだろうなぁ。「無理」と思ってしまうことがあったら、それってなんで?って尋ねてみると、意外と手放せる価値観があるのかもしれない。

#エッセイ #価値観の転換 #絵を描く #コラム #お絵かき


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