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料理の魔法

今晩の夕食は、チキンのトマト煮込み。煮込み料理は楽しい。お肉がほろほろになっていくのを待つ時間はとても贅沢だし、グツグツしている間に他の作業が出来るのはお得な感じがする。

料理は、人が一番簡単に創造主になれる事柄だと思う。

前職を辞めたあとしばらくは、ぼーっとするばかりの毎日だった。仕事は楽しかったけれど終電続きで身体は疲れていたし、社内がゴタゴタの最中に辞めてしまったので心も弱っていた。本を読んでも内容が頭に入らず、ピアノを弾く気にもなれず、出歩く気も起こらなかった。

そんなある日、ふと、出張帰りの旦那のために夕飯でもつくろうか、とひらめいた。レシピサイトを眺めながら何をつくるか品定めし、スーパーで買い出しをして、ごはんを炊いて、出汁をとって味噌汁つくって、浅漬け仕込んで、炒め物をして。帰ってきた旦那は大喜びで、「何食べても美味しい!幸せ!家で食べるごはんが一番美味しい!疲れもふっとぶ!美味しすぎてお店出せちゃうよ!」などと褒め称えてくれた。

褒め上手な旦那の声に気を良くしたのももちろんあるが、それ以上に、達成感と、じんわりとあたたかい気持ちが、自分の内からわいてくるのに驚いた。料理するという行為が、幸福感をもたらしてくれたのだ。

自分の手で、自分達の生きる源を生み出せる。自分の手で、満たされた気持ちを生み出せる。
それって、めちゃめちゃすごいことだ。

忙しい時には外注される「料理」、誰もがある程度は出来る「料理」。忙しい毎日を言い訳に、今まで蔑ろにしてきたし、正直侮っていた。そんな自分がバカだった。「料理」は、クリエイティブな行為なのだ。

何を作るか決め、家にある材料を把握し、足りないものを購入し、複数の品の出来上がりを逆算して手順を決め、合間に調理器具を洗いつつ、切ったり混ぜたり焼いたり煮たり、火加減や音にも注意して。器を選んで、見た目よく盛り付けて、熱いものは熱く冷たいものは冷たく出せるように、タイミングをはかって。

どれだけの能力と五感が求められるのだろう。

立派な料理人でなくても、普通の料理を普通につくることができる、ただそれだけで十分創造的な営みだ。

仕事で何も生み出せなくて落ち込むとき。クリエイティブなセンスがないと嘆くとき。自分には価値がないなどと考えてしまうとき。

とりあえず、料理をしよう。
きっと、自分にも幸せを生み出す力があることを、思い出せるはずだから。

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