見出し画像

10年続けて見えてくるもの

10年続けて見えてくる景色。

楽団でお互いトータル10年以上打楽器をやっている子と、10年続けて見えてくるものってあるよね、と盛り上がった。

話の始まりは、ある奏法が難しくてなかなか出来るようにならないんだよね、なんていう雑談。でも、結局、「魔法のような解決策はなくて、出来るまでやる(一番確からしい方法で練習を積み重ねる)のが一番近道」って、お互い同じ結論に至ったのが、興味深かった。

失敗せずに最短距離でうまくいく、なんてことはない。練習して、本番でチャレンジして、思った通りにいかなくて、また練習する。

10年も続けて、これから、奇跡のようなブレイクスルーが起こることはまずないだろう。飛躍的な進歩は望めない。どこかでぐんっと吸収して伸びる、ということは難しい。だから、ただただ地道に毎日積み重ねて、少しずつ上達するだけ。ぶつかり続けるだけ。

「昔の方が上手かった」と感じることがあっても、それはきっと違う。

今はいろいろなものが見えているから、自分の下手さに気づけるようになった、というのが正しい。昔は気付けなかったり、井の中の蛙で知らないことばかりだったから、無敵で有頂天でいられただけ。

そして、0から1の伸びは大きくて体感としてわかりやすく記憶に残るけれど、1を10に、100に、101にするのはまた違う形の努力が必要になる。他者から学び、課題を抽出し、記録しながら冷静に過去の自分と比較し、ゆっくりな自分に腐らずに継続し続ける力。

歩めば歩むほど奥深い世界が見えてくるから、今の方が、より面白い。自分が天才ではなく凡人だってわかってしまっても、やり続けることで見えて来る景色がある。

10年続けると、他者のすごさがわかる。
20年続けると、自分の未熟さがわかる。
30年続けると、何やってるかわからなくなる。

以前、友人(彼も、ギターを10年以上続けている人だ)に聞いた言葉が、言いえて妙だなと思う。

80歳を過ぎてもバイオリンを弾いている知人(プロではなく、趣味で弾いている方)は、招待されて年の3分の1は海外公演をしているし、依頼されて音楽教室で先生をしている(繰り返すが、プロではない)。30年続けて至る場所では、本人でも想像していなかった景色が見えるのだろう。

10年でも、まだまだひよっこ。続けてきたからこそ、自分がひよっこだって自覚できるのだ。今日も地道に頑張ろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?