見出し画像

雨宿り、想定外を楽しむ心

雨宿り。おそらく誰もが知っている単語だが、意外と体感する機会は少ないものかもしれない。最後に雨宿りしたのは、いつだっただろうか。

朝、隣駅のスーパーまで買い物に行った。以前は電車に乗ることも多かったけれど、最近は断然歩きだ。緩やかに上り下りがある坂道を、ずうっとまっすぐ歩く。頂上にたどり着けば、隣駅まで一直線に見える。

帰りがけの花屋さんには、母の日用に綺麗に束ねられたカーネーションの花がいくつも並べられていた。鮮やかな赤とピンクに魅かれて、自分用に買って帰ることに決めた。おじちゃんは花束にリボンをくるっと巻き付けて、「はい、かわいいのができましたよ」と手渡してくれた。

お店を出てしばらくすると、ぽつ、ぽつと手の甲に雨が当たった。あっという間に、ざぁぁっと降り始める。身軽に歩きたかったから傘は持ってきていなくて、逃げ場のない一本道の住宅街で途方に暮れてしまった。

どうしよう、走ろうか。まだ家まで半分以上の道のりがあるし、サンダルだし、スーパーで買った食品と花束まであるけれど。雨が当たらないように伏し目がちに、速足で歩きながら考える。

ふと顔をあげると、少し先の道端に大きなイチョウの木があった。豊かに生い茂った葉の下の地面は、そこだけアスファルト色のままだ。

あの木の下で、雨宿りしていこう。急ぐ用もないし。

イチョウの木に、お邪魔します、と挨拶して、木陰に入れてもらった。まったく濡れないことにびっくりして、気付く。あれ、雨宿りってしたことあったっけ?記憶を手繰っても、思い出せるエピソードはひとつもなかった。

雨宿りしている横を、自転車のおねえさんが走り去っていく。前かがみに、全速力で。折り畳み傘をさしたおじいさんも、目を伏せて、足早に通り過ぎていった。

そう、私も、そっち側の人間だったのだ。仕事があり、やるべきことがあり、やりたいこともあるのに、雨が止むのをぼーっと待っている時間なんてなかった。いつ止むかもわからないのに。

そもそも、ただ食料品の買い物のためだけに歩いているなんて、その時間すらもったいない気がしていた。だから、買い物は仕事帰り、移動は電車自動車タクシー自転車、万が一に備えて折り畳み傘も持ち歩いて、荷物は増える一方で。時間を管理して、効率を上げて。

これまでは時間に余裕がなかったから、雨宿りしてこなかったのかな。

いや、違う。時間は表面的な理由で、本当は、思い通りにならないことを楽しむ、そんな考え方と心の余白を持てていなかったのかもしれない。

何事も自分の思い通りになればいいと思いがちだけれど、それだと自分の想像した通りの人生にしかならない。自分の想像を超えた場所で出会えることを、奇跡と呼ぶのに。

雨宿りをしてみたら、素敵な人に出会う奇跡が起こるかもしれない。今日はそんな奇跡は起こらなかったけれど、いつでも想定外をおもしろがるような、そんな心持ちで居たいな、と思った。

雨に濡れた住宅街は、濃い緑と土のにおいがした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?